帰り道の馬車
それからのヴァリアーゼへの道中は実に平和だった。
温かい陽気と、カタカタと心地良い馬車の音。まだ昨晩の疲れも残っているのか、ユイとミリーはお互いに頭を預け合いながらぐっすりと眠っており、テトラとアイリーンも毛布をかぶってすやすやと寝息を立てている。あのリリーナさんですら、姿勢を正しく座りながらもこっくりとこっくりと船をこいでいて、みんな相当気を張っていたのだろうことがわかった。
ヴァリアーゼへの道はまだ長い。
彼女たちの寝顔を見てほっこりしていた俺は、みんなを起こさないようにゆっくりと起き上がり、テトラとアイリーンに代わって御者台に座っていたシャルの元へ向かう。
「――よっ、シャル」
「カナタ殿? どうした? 休んでもらっていて構わないぞ」
「や、俺は才能とあの秘湯のおかげで元気あるからさ。平気平気」
シャルはすぐに場所を空けてくれて、二人揃って御者台に並ぶ。
するとラークとルークが「ぶるるっ」と挨拶をするように鳴き、俺も「おつかれ」と二頭に声をかけておく。二頭とも今日も元気そうでよかった。でもたった一晩程度しか休めていないんだし、これくらいのスピードでのんびり帰るのがこいつらにも負担がないだろう。
もちろんそれは、シャルたちも同じだ。
「つーか、シャルこそ休んでてくれていいんだぜ? シャルなんて特にいろいろあって大変だっただろ。俺がラークとルークの手綱引くからさ。一応、乗り物系の才能もあるしね」
「ありがたいが、ここは私に任せてほしい。私のために励んでくれた皆を少しでも休ませてやりたいのだ。もちろん、カナタ殿も入るぞ」
「シャル……」
「それに、私は牢の中でゆっくり休ませてもらっていたからな」
なんてちょっとブラックなジョークを挟みながら軽く笑い、その場を和ませてくれるシャル。
本来は使用人を休ませて自分が働くなんてことありえないだろうに。そんなシャルの優しさは、やっぱり好感が持てるよな。
そのまましばらく馬で前を先導してくれる騎士二人の背中を見つめつつ、俺たちはのんびりとした時間を過ごした。
「……カナタ殿。少し聞いてもらえるだろうか?」
「ん?」
そんなときにシャルがそう切り出し、俺は聞く体勢を整える。
「今回のこともあって……私は、その、少し迷っている」
「迷ってる?」
意外な言葉に聞き返す俺。シャルはすぐに続けた。
「うん。宰相殿とアンジェリカ殿に言われて……考えるところが、多くてな。私は、常にヴァリアーゼのためを思って働いてきた。それが、いずれ世界平和に繋がると信じていたから。しかし……それは甘い幻想で、子供の夢物語だったのかもしれない」
「シャル……」
「今の世界は、一国がどうこう出来るものではないのではないだろうか。それをアンジェリカ殿に出逢って……今回のことを経験して、よく解った。やはり、私はまだまだ未熟だ」
「……そっか」
語るシャル。実は俺も似たような感想を抱いていた。
「たぶん、俺たちには知らないことが多いんだ。例えばアンジェだって災いの竜とか言われてたけど、実際はそんなものじゃなかった。あのときはアンジェが解放されたのはマズイことだって思ってたけどさ、今になって思うと……もしアンジェが自由になれずに宰相の手に掛かったりしてたら、ドラゴニアって種族は滅びてたかもしれない。そうなれば、世界を繁栄させてくれていた種族がいなくなって、この世界はよりピンチになってたかもしれないんだよな。俺は、そんなこと何もわかってなかった」
「ああ、同感だ。だからこそ私は――もっとこの世界を知りたいと思っている」
「世界を?」
シャルはうなずき、その大きな瞳は真っ直ぐに前を見つめていた。
「この世界はとても広いのだろう。だが、私がこの目で見てきた世界も、感じた世界も、それはごく一部のものに過ぎない。他国のことも、戦争に関連する一部の事情を知っているだけだ。それは……あまりに無知だろう。今回のことも含めて、私にはまだ知らないことが多すぎる。騎士であろうとなかろうと、私は所詮、ただの小娘だと、それを痛感した」
「……シャル」
「卑下しているわけではないぞ。むしろ、今の自分がよくわかって前向きな気持ちなんだ。だから……これから自分が何をすべきなのか、考えている。そのためにも、もう少しここで空を眺めていたかったんだ」
少し心配してしまったが、どうやらその必要はないみたいだな。
だって、シャルの目には曇りがない。
「……これから、か。まぁ、それは俺も同じだけどなぁ」
「ふふ。まだ答えは出ていないが……カナタ殿たちが守ってくれたこの命と、そして聖剣と共に、もうしばらく考えてみるつもりだ。自分に恥じない生き方を」
「ん、それがいいね。俺も応援してるよ。そうだっ、何か力になれることがあったら言ってくれ。出来ることは手伝うからさ」
「ありがとう、カナタ殿。であれば……まずは諸々の礼をさせてほしいな。国に戻ってもしばらくは滞在してほしいのだが、どうだろうか。まだ湯巡りも残っているだろう?」
「ああ、わかったよ。んじゃあシャルも付き合ってくれると助けるけどな。あ、それといい加減『殿』とかいらないからな? 俺たち同い年なんだぜ? それに、も、もう仲間っていうか、友達って言ってもいいだろ?」
「カナタ殿…………そうか、うん。嬉しい。ならば、これからは我が友に敬意を込めてその名を呼ぶことにしよう。カナタ」
「オッケー。そっちのほうがしっくりくる」
「承知した。――ふふ」
「お? な、何かおかしかった?」
微笑むシャルは、チラ、と俺の方を見ながら嬉しそうに話した。
「違うんだ。あのリリーナが……テトラとアイリーンが、短い期間でここまでカナタを信頼していた理由がよくわかったと思ってな。いや、私も里で出逢った頃から信用はしていたが、それが今、ハッキリと信頼に変わっている。この聖剣を扱えたこともそうだが……何より、リリーナたちや私などのためにその身を賭してくれて……ありがとう。心より感謝している」
「な、なんだよ。そう改まって言われると照れるってっ。つーか、あんなの当然だろ当然! ほら、お、俺は勇者だしさ!」
「ふふ、そうだったな。しかし、カナタはユイ殿を許嫁に持つ身。多少の色は看過するが、リリーナたちを泣かせるようなことはしないでくれよ」
「え?」
「ううん、特にテトラとアイリーンはまだ子供だからな……。いや、我が国は十六から結婚も出来るし、合意の上ならば一夫多妻も問題なかろうが、さすがにあの歳で子を授かるには早いだろう。何より彼女たちがいてくれなければ私も困るし、側室とするならば一定の配慮を持ってもらえると――」
「何の話だよ!? つーか俺まだ誰かを側室にするとか決めてないからね!? そもそもユイとも結婚すらしてないですし!」
「そ、そうか? ふふっ、そ、そうだったな。いや、すまない」
「な、なんだよもう! 自分で言い出して笑うなって!」
慌てて言えば、シャルはまたおかしそうに口を開けて笑う。
そんな隙のある表情を見せてくれるのがなんだか嬉しくて、俺も一緒に笑い出してしまった。
そうして一息つくと。
「……カナタ、感謝する」
「ん? な、なんだよ急に。だからもうお礼はいいってっ。友達なんだし!」
「うん、そうだな。けれど……もう一度だけ。ヴァリアーゼの騎士としてではなく、ただのシャルロットとして、もう一度だけ、言わせてほしいんだ」
シャルは俺の方を見て、そして今までで一番優しい顔をして笑った。
「ありがとう、カナタ」
その笑顔があんまりにも綺麗だったから。
「……お、おう。どういたしまして」
少し見惚れてしまった俺は、つい照れながら返した。
それからは、お互いに何も言わないまましばらく静かに前を見つめ続けた。
カタカタと揺れる馬車に身を任せながら、俺たちは国への道をゆっくりと進む。
みんなが無事にこうして帰路につくことが出来て良かったと、俺は、そこで改めてそう思った――。




