大賢者の魔術
「そうだ、お姉さん!」
「はい? なんでしょう?」
「えっと……良かったら、これ!」
俺は岩の上に脱ぎ捨ててあったジーンズで適当に手を拭き、その横に置いてあったリュックサックの中から一冊の本を手に取るとお姉さんの元へ戻る。
本のタイトルは、『はるかカナタの秘湯へ』。
「これ、実は俺の本なんすけど」
「あなた様のご本、ですか?」
「そうっす! 実は俺、今まで行った日本の秘湯についてブログ書いてて、それが奇跡的に本になったんす! って、ち、ちかっ」
お姉さんは俺の隣にぴったりと寄り添って、興味深そうに俺が開いた本を覗く。
その際にお姉さんの肩が俺の肩にくっついて、その際にお姉さんの大きな横乳がむにっと俺の腕に当たって心臓がハイテンション!
「まあ。秘湯のことがたくさん載っています……すごい!」
「そ、そうなんす! これ、全国の秘湯マップとか、そこへの行き方とか感想とか、いろいろ書いてあるんで。良かったらお姉さんの秘湯めぐりの参考にしてもらえたらと思いまして!」
「参考に、ですか?」
「うっす! あ、そういや名前まだでしたよね? 俺、奏多っていうんすけど、ブログもタイトルも『はるかカナタの秘湯へ』ってタイトルで、そのまま本になったんす! で、著者分がすげぇ余ってるんで、良かったらお姉さんにも一冊もらってもらえたらと!」
「私に? こんな素敵なものを、いただいてしまって良いのですか?」
「もちろんすよ! こんなところまで来るお姉さんみたいな秘湯好き、そうそう会えませんし! つーか、こんなところで混浴とかちょっと運命的なもの感じたりして、お、お姉さんともう少し仲良くなれたらなーって……あ、いや下心まるだしっすね? あ、あはは! と、とにかくよかったらもらってやってください!」
妙にペラペラ喋ってしまった俺は、照れ隠しに頬を掻きながらお姉さんに本を手渡す。
お姉さんは手元のそれをじっと見つめて……それから、しばらくペラペラと本をめくりながら真剣に目を通していた。
それはまるで、本当に大切なものを一字一句見落とさないように。
その姿に、なんだか緊張してきた俺は黙り込んでしまう。
――やがて、お姉さんは「ふふっ」と柔らかく微笑んで、本から俺に目を移した。
お姉さんは、大事そうに本を抱えて薄いピンクの唇を開く。
「これは……とても素敵な書物ですね。あなた様が――カナタ様が本当に秘湯が好きなことが伝わります。心から感動致しました」
「え? そ、そうすか? いやぁ、て、照れますねあはは!」
「本当に……とても素晴らしいです。わたくしは、此所でカナタ様に出逢うためにジャパンへ来たのだと、そう思えるような運命を感じます。ありがとうございます、カナタ様。大切にいたしますね」
「お、お姉さん…………」
――初めてだった。
誰かに自分の本のことを、自分が今までやってきたことをこんなにも褒められたのは。こんなにも認めてもらうことが出来たのは。
だからだろうか。
自然と涙が出てきて、俺は慌ててそれをぬぐい取って誤魔化す。
「あ、あははっ、こっちこそありがとうございます! なんか、俺、今まで生きてきてよかったなって思いました! こんな趣味が誰かの役に立つなんて思ってなかったから……でも、これからも秘湯めぐり続けていきたいって思います!」
「はい。心より応援しております」
「あざーっす!」
そのとき決めた。
俺はやっぱり好きなことをやっていくしかないんだ。
だから、これからも秘湯めぐりを続けていく。日本にないなら外へ出ればいい。それこそお姉さんの国にでも行って、また秘湯めぐりを続ければいいんだ!
そうやって、俺が自分の将来について決意したとき。
お姉さんは言った。
「カナタ様」
「は、はい?」
「いろいろと助けていただいて……感謝しております。ありがとうございます」
「い、いやぁたいしたことは何も。つーか感謝したいのは俺の方ですし!」
「ふふ。それで……もしよろしければ、私の世界にいらっしゃいませんか?」
「……え?」
呆然と返す俺。
お姉さんは微笑みながら続ける。
「カナタ様にはとてもお世話になりました。そのお礼に、是非私の世界へご招待したいと思いまして。私の世界にも、たくさんの素敵な秘湯があるのですよ。きっと、この世界にも負けないくらい」
両手を広げて語るお姉さん。俺は目を点にしていた。
「そ、それは嬉しいっすけど……えと、招待っていうのは……? というか、お姉さんってどこの国の人なんですか?」
「少し遠いですけれど……大丈夫、一瞬で着きます」
「え? 一瞬? ど、どういうことですか?」
尋ねれば、お姉さんは愉しそうにスラリと長い人差し指を上げ、まるで魔術のステッキみたいに指を軽やかに振った。
「うふふ。わたくし、こうみえて『大賢者』なんて呼ばれておりまして。いろいろと特別な魔術を授かっているのです。その魔術で、カナタ様をわたくしの世界までお送りします」
「ま、魔術ですか?」
「はい♪」
嬉しそうにウィンクするお姉さん。
ていうか大賢者? え? ゲームの話か?
「どうしますか? カナタ様さえよろしければ、すぐにでもお送りしますよ」
ほほう……これは……どうやらまたお得意のジョークらしいな。
よし、そうとわかれば乗ってやろうじゃないか!
「……なるほどなるほど。よーしっ! いいですよ! 俺もお姉さんの国に行ってみたいと思ってましたし! 是非その魔術で送ってください! この奏多がお姉さんの国の秘湯も制覇してやりますよーッ!」
「うふふ、とっても嬉しいお返事です。カナタ様が何十年――何百年かかるかわかりませんが、楽しみにしておりますね。その間、私はジャパンの秘湯を制覇してみせましょう」
「お、いいっすね! お互い頑張りましょう!」
「はい。それではお送りしますね。あ、でも……そのついでに……」
「ついでに? なんすか?」
お姉さんは少しだけ逡巡して、それから笑顔でこう言った。
「――どうか、わたくしの世界を救ってください」
世界? おお、大きく出ましたねお姉さん!
「ういっす! わかりました! おまかせあれっす!」
さてさて、それじゃあ一体どんな可愛いジョーク魔術を見せてくれるんだろう。
そんなことを楽しみにしていた俺の前で、お姉さんはその人差し指をサッサと左右に振り、
「――開け、『アスリエゥーラの扉』」
たった一言そう告げただけで。
「……え?」
俺たちが浸かっている湯が淡い緑色に発光していき、気付けば底がなくなっていて、俺の身体はお湯の中に吸い込まれるように沈んでいってしまった!