勇者の覚醒
時間がない。
必要最低限なことだけをつぶやく。
「ユイ。今から魔術を『転写』する。俺が飛び出したらそれを使って」
「――え? あっ! カ、カナタ、目が朱く……っ!」
繋いだ手に熱を感じた。
淡い光が俺の身体からユイの身体に流れていく。
――『転写』完了。
「あの、ど、どういう意味ですか? 今の光は……? 私は、魔術なんて何もっ――」
「使えるよ。大丈夫。ただ言葉にすればいい」
「で、でもっ」
「ユイ」
目が合う。
「俺を信じて」
今度こそ、真っ直ぐに言えた。
大丈夫だからと。
安心してほしいと。
信じてもらいたい、その気持ちを込めて。
その言葉に――ユイはわずかにだけ間を置いて、
「――っ!」
けれど、大きく頷いてくれた。
再びそちらを見る。
そこでは騎士の男が剣を振り上げていて。
「これが最後や。せめて仲間の居場所を教えたら俺の妾にしたるぞや?」
果たして、ミリーは言った。
「…………ふん、バァァァァ~~~~~~カッじゃないの!? あんたみたいなブサイクの最低最悪暴力男に教えてやることなんて何もないわよ! あたしを口説きたいなら生まれ変わって出直してこい大バカッ!」
「もう少し可愛げもありゃ生きていけたもんを。もういいわ。望みどおり死ねや!」
その剣が振り下ろされる刹那の時間。
地面を蹴り上げていた俺は既に“そこ”にいた。
「――んなやっ!?」
騎士の男が驚愕する。
男が振り下ろした剣は――そのまま地面に叩きつけられていた。
俺はミリーの身体を抱きしめてそれをかわしており、軽く男の足を押しただけで男は弾き飛ばされて、その剣と共に重苦しい尻もちをつく。
強く目をつむっていたミリーがそのまぶたを開けて俺を見た。
「――え? あ、あんた――」
「ユイッ!」
叫ぶ。
すると草むらの方からユイが飛び出し、その両手を前に掲げ、
「――水と風の精霊よ、我が呼び声に応えて! 『エルヴィン・シュトローム』!!」
呪文に反応し、ユイの持つ莫大な魔力がその両手に集中し、拡散。
するとすぐ側の『死の温泉』が突如激しく巻き上がって巨大なうねりの波となり、それは俺たちの方へ襲いかかる。
「えっ、ちょ、ウソ!? キャアアアアアアア!!」
「んな! な、なんやああああああああ!?」
ミリーと騎士の男が同時に叫び、降り注ぐ波がザパアアアアアアアと大きな音を立てて落ちる。
その激しい波に騎士の男や他の兵士たちは飲み込まれ、そのまま『死の温泉』の中へ連れていかれてしまった。
「やだやだやだ! 死んじゃう溶けて死んじゃう! あたしまだ恋もしてないのに! 好きな人の子どもだって産んでないのに! 死にたくないよおおおおお~~~~!」
「いっ!? こ、声でかっ!」
抱き寄せていたミリーの声量に圧倒されつつ、俺は言った。
「だ、大丈夫! あれは上級精霊魔術の一種で、詠唱者が敵と判断した相手にしか襲いかからないんだ。それに、俺が一緒ならお湯を浴びても溶けることはないよ」
「へ、へ、へっ……?」
そこでようやくミリーは泣きじゃくっていた目で俺を見て、何度かパチパチまばたきをしたあと、自分がちゃんと地上にいること。そこで俺に抱き寄せられていること。ユイが走ってこちらに近づいていること。男たちが温泉で激しく渦巻いている竜巻に閉じ込められて悲鳴にもならない声を上げていることを確認したようだ。
「ごめん遅れて。平気だから落ち着いて。深呼吸。ユイと一緒に助けに来たんだ」
「た、助け……あたし、を……」
少しずつ落ち着いてきた様子のミリーだったが――急にその目が恐怖に染まる。
そのときだった。
「――っ! カナタ後ろですッ!」
振り返る。
先ほど『死の温泉』に落としたばかりの男が――あの騎士の男が血走った目で俺を睨みつけている。
その金属の鎧さえどろどろに溶け始めていたが、男は呼吸を荒げたまま剣を振り下ろす。
「死ねやああああああああああああああああああああ!!」
屈強に鍛え上げられた身体による一振り。
本来なら、俺みたいな子どもにこんな攻撃を防げるはずがない。
ズバッと斬られて終わりだ。
けど、今の俺なら話は別だ。
「「「――ッ!?」」」
その場にいた全員が同じような顔をしていたのだろう。
俺は、振り下ろされた男の剣を親指と人差し指の二本のみで掴み、止めていた。
まるで細い糸をつまむように。
その軽さは、大して力を込める必要すらなかった。
「バ、バカな…………片手、で!? 俺の剣が! ヴァリアーゼの剣がこんなガキにいいいッ! こんな……ことがっ! は、はなれんんんん!!!!」
男は必死に剣を動かして引き抜こうとするが、それは俺の手が許さない。
全部見えていた。
攻撃のモーションも、どこに何が来るか、どこに手を置いておけばいいか。どのタイミングで掴めばいいのか。
後は上手く身体を誘導してやるだけでいい。
脳内で高速にシミュレーションされた状況を忠実に再現するだけでよかった。
――【思考加速】
――【神眼】
――【魔力耐性】
――【精密動作】
――【オートモーション】
――【身体能力向上】×20
女神の力が――膨大な『才能』が次々に発動して俺に力を貸してくれる。
ずっと頭に流れていた言葉の数々は、すべて俺の力だったんだ!
剣を持ったまま立ち上がり、少し力を加えてやるだけでその大男の身体はいとも簡単に持ち上がった。
「ん、なああああっ!?」
驚くのは当然だよな。俺みたいなガキにこんな風に持ち上げられるなんて思わねーよ普通。
ともかく、これ以上こんな乱暴なやつらにいられては困る。
この里は、ユイやミリーにとって特別なものなんだからな!
「せっかく大勢で来たんだ。そんなに早く上がらないで、もう少し秘湯を楽しんでけよッ!!」
そのまま剣を放り投げてやれば、騎士の身体はポーンとまるでサッカーボールのように高く舞い上がり、『万魔の秘湯』目掛けて飛んでいく。
「お、おおおおおおおお――――――――もがががががッ!?」
騎士の男はそのまま竜巻状態となっていたユイの魔術に巻き込まれ、他の兵士たちと一緒になって身動きも取れなくなった。
「あーあ、剣を離せば良かったのに。やっぱ騎士にとっては命みたいなもんか。そこ、結構熱くて良いお湯だよな。まぁ溶けないうちに上がった方がいいだろうけど」
パンパン、と両手を払って格好付けた俺は、そのままミリーの方に目を戻す。
ぽけーと言葉も失っていたミリーは、俺の目をじっと見つめながらつぶやいた。
「………………あんた、ホントに、勇者さま……なの?」
俺は苦笑した。




