月のウサギ《ラビ族》
――気付いたとき、俺たちは宇宙にいた。
「……へ?」
思わず間抜けな声が漏れる。
いや、本当に宇宙かどうかなんてわからないけど、上下左右360度、見渡す限りに煌びやかな星々が瞬いていて、それらがどこまでも続いている。
しかも俺たちは見えないガラスのようなところにへたり込んでいて、近くにはこの宇宙環境にまったく不釣り合いなログハウスがぽつんと一軒建っている。あまりに現実味のない珍妙な光景だ。
つーか、ここが宇宙だとすればなぜ呼吸が出来てるんだ? 重力はどうなってるんだ?
自分の見ているものが幻ではないかと思って頬をつねったり耳を引っ張ったりしてみたが、別段変わりはない。いやほんとなんなのここ!?
「綺麗なところでしょう。お気に召していただけましたか?」
呆然とする俺たちの前に立ち、ニッコリと微笑むウサ耳少女。
話しかけられたことで、俺たちはようやく目の前の現実をしっかりと認識した。
「あのっ、こ、ここって一体なんなんすか!?」
「ど、どこなんでしょうか?」
俺に続いてユイもそう尋ねて、みんなもウサ耳少女の反応を待つ。
するとウサ耳少女は口元に指を当てるポーズを取って言った。
「ここは『月』です。ほら、眼下に皆さまの暮らす惑星がよく見えますよ」
「え?」
そう言われて指差された方角……座り込んでいたガラスの下を見てみると、そこには地球が――いや、地球ではない。俺が召喚された異世界の惑星が浮かんでいる。それは地球と見間違うほど青く、美しい姿をしていた。
俺は感嘆に息を呑み、ユイたちもみんな信じられない状況に目を点にしている。同時に、その目には高揚が強く表れていた。
「わぁ……とっても綺麗です……!」
「ユイねえさま! すごいですすごいです! あんなにおっきいです! 青いです!」
「へっ? ちょ、ちょっと待ってよ! あたしたち、あんなとこに暮らしてたの!? て、てててていうか! あたし! 高いとこだめなのぉ~~~ひゃああぁぁぁぁぅ~~~~! 」
「きゃっ!? お、落ち着いてミリー! わ、私のお尻にすりすりしないで~!」
みんながそちらに注目する中、俺は思い出したようにスキルで自分の精神状態を落ち着けることに成功。そのおかげでいろいろと思考の整理がつくようになる。
――この子は、一体何者なんだ?
ここがどこなのかも気になるが、やはり一番気になるのはそれだ。
さっきこの子は、俺たちを『秘湯の英雄とその奥方様』と呼んだ。
なぜそれを知ってる?
俺たちは、さっき初めて会ったはずだ。自己紹介だってしていない!
怪訝な目をしていただろう俺に、ウサ耳少女はくすくすと愉快に微笑んで言う。
「どうやら訊きたいことが多そうですね。では、まずこの場所のことをお教えしましょう。ここは『月』と呼ばれてはいますが、本物の月ではありません。皆さまが見ているものも、本物を模して創られた世界の一部――虚像に過ぎません」
「え? ……つ、創られた世界?」
「はい。ここは元・魔王様が生み出した擬似的な魔力空間なのです。それを『月』と呼称しているのですが、まぎらわしくてすみません。一応、本物の月もあちらに見えますよ」
「元・魔王? あ、ほ、本当だ」
笑顔のウサ耳少女が手を差し出す方向には、確かにまんまるな月が確認出来る。アイが「キレイー!」と大きな声を上げていた。だが、あれも本物を模して創られたニセモノということか。
落ち着いてきた俺はなんとなく話を理解出来ていたが、しかしみんなはまだ明らかに困惑したままだった。いや、そりゃそうだよな。俺だって信じがたい状況だし。
すると、ウサ耳少女は青い星の方をじっと見つめながら話した。
「本来ここは、とある『特別な世界』を監視するために用意された場所でしたが、その任が解かれた現在、わたしの仕事はここを管理することだけです。でも、誰かが遊びに来てくれるわけでもないですし、とってもとってもヒマなんですよぅ。ですからよく地上へ遊びに出掛けているのですが、あまりにお腹が減ってしまって、こっちに帰ってくる魔力を失ってしまったのです。そこを皆さまに助けていただいた、というわけですね。誠にありがとうございました」
「そ、そうなんすか……」
信じられない世界の信じられない状況で、そのにこやかな饒舌ぶりに呆然と答える俺。
「さてさて、お客様たちをいつまでもこんなところにいさせては失礼ですね。どうぞこちらへ。中でたっぷりとお話をしましょう。きっと、皆さまにとって良き滞在になりますよ」
ウサ耳少女はちょいちょいと俺たちを手招きし、ログハウスの方へと向かう。
そこで俺は「あっ」と声を掛けた。
「あの! そ、そういえば君の名前は……!」
その問いに、彼女はぴん、とそのウサ耳を立てて振り返る。
「あ、そうでしたそうでした。わたしは皆さまを存じていましたから、つい自己紹介を忘れてしまっていました。すみません、悪いクセです」
ウサ耳少女は申し訳なさそうにそう言ったあと、ニッコリとこちらに微笑みかける。
「わたしはラビ族の『チュリム・チュトレーゼ』。ウサ耳とまぁるい尻尾がチャームポイントな月のウサギちゃんです。どうぞ愛情を込めてチュチュとお呼びください。よろしくお願いしまちゅ♥」
ラストに投げキッスをしてウィンクをするチュチュ。
こうして俺たちは、月のウサギによって『月』へと招待されてしまったのだった。




