その2
「……といった具合なのよ分かる?」
イルカをバラバラにした話までを終えて、私は一息ついた。
「そいつぁ災難だったねぇ」
「ちなみにあなたはバラバラになるのかしら」
「ならないよ。これは私の夢だからねぇ」
「気晴らし本舗があなたの夢? 理解不能即刻死刑うりり!」
「気晴らし本舗! いいじゃないか! 気晴らしはいいぞぉ! お酒よりも良い煙草よりも良い薬よりもイイ!」
「……あーあー、歌でも歌いましょ!」
「もちろん。ここは気晴らし本舗ですから」
ワンダーランドは砕けた
消えた空想に世界は泣いた
世界が泣いたら時が止まった
便りが消えたら私は死んだ
「もう随分と大人になったものだわ。ワンダーランドは砕けた、私は死んだ」
「なら仮面を作ろう。薬よりも、よっぽど良い」
「なら、舞踏会に招待してくれるかしら。もちろん、皆仮面を被っているのでしょう」
「もちろん。皆、臆病者だからねぇ」
「誰に顔を明かさない舞踏会。表面上の空想舞踏会。狭まった視界は大事なものを何も映さない。でも問題はそこじゃない。その仮面は、一体だれが作ったものかしら」
「全て臆病が悪いと決めつけるのは悪くない。仮面を被ればね。だけど仮面は自分で作らなきゃダメだなぁ。そう、お嬢ちゃんは正しい。奇抜なやつを期待してるよ」
「……そろそろ醒めそう。さよならね」
「また、気晴らししたかったらおいで。薬よりもよっぽど良い」
「いいえ、矛盾してる。だってあなたは……」
バタン!
扉が開く音で私は目を覚ました。目覚めが悪い。イライラする。
体が痛い。異常に浮き出た血管は、早く早くと次を求めて脈を打っている。中毒症状だ。
打つ、打つ、打つ。
その前に扉を開けた主だ。
「ごめんなさい。私目が見えなくて。今扉を開けたのはどなたかしら」
返事はない。
次の薬を探して私の体は床を張って動いていく。確かこっちに、まだ少し。
「そんなところで寝ると風邪をひいてしまうよ」
体の動きを止める。
「……なんだ、やっぱりいるじゃない。しかも、その声は気晴らし本舗ね! いざ薬をというタイミングでなかなかやるじゃない」
「そちらに薬はないようだよ。気晴らし本舗は鼻が良いんだ」
「切らしちゃったみたい」
「なら、置いとこう」
私は今、気晴らし本舗と一緒に中毒症状から立ち直るために薬を飲んでいる。依存性はないが幻覚性が強く、退屈はしない。
それにしても、幻覚の中にまで現れるなんてやるわね本舗!次はちゃんと気晴らししてあげようかしら!
彼女は見えない目で薬を探し当て、器用に注射器に詰めている。今日のは、とびきり強い薬。
患者No.998
氏名:アリス
性別:女
病状:レベル5
彼女は既に手遅れだった。目が見えなくなるほど薬図家にされた体は、見ることすら憚られるほどボロボロになっている。
麻薬に溺れて始末がつかなくなった。そんな彼女の為に両親がとった選択は、安楽死だった。
しかし、それも仕方ないことだろう。
世界は薬に支配されていた。もはや止められぬ薬の万円に、世界が取った選択は、私たち気晴らし本舗というプロフェッショナル集団の設立、そして幻覚剤という最も質の悪い代物を扱って少しずつ安楽死を増やしていく計画だった。もう、止められぬ。推し進めることしかもうできないのだ。
まもなく彼女は死ぬ。
「ねえ。私、お母様にも、お父様にも感謝したことないの。でも気晴らし本舗さん。あなたには感謝してるわ。気晴らしなんて、したことが無かったんだもの。それでね、本舗さん。私、考えたんだけどね」
「なんだいなんだい」
「本舗さん。お母様とお父様に、私の代わりにありがとうって言っておいてくれるかしら。ごめんなさいと迷ったんだけど、こっちの方が良いと思って……。だってほら、最後だし……。泣いてもらわなきゃ」
「ああなんと。気づかれてたか。いつから死ぬって気付いてたんだい?」
「そんなの、生まれたときからよ」
「……なら、辛くないねぁ」
「そうね。もう、慣れたから……。辛くない、辛くないわ」
「……なら話そう。それが最後の薬さ。思う存分、気晴らすといい。気晴らし本舗も、バラバラに出来るはずさ」
「それはすっごく良いわね……! それを早く言いなさいよ! あー、ダメ。もう限界。本舗さん、出ていってくれる? 薬ってね。打つとき一人じゃないと恥ずかしいのよ」
「そうしようかね。じゃあ、また夢で会おう」
私は部屋を出た。
部屋を出て、しばらく経った後、私は彼女の両親を連れて部屋に入った。彼女の死を確認した後、彼女が伝えられなかった言葉を両親に伝えると、両親は泣き崩れてしまった。
薬は注射器に残ったままだった。最後は、苦しかったろうか。いや……。
彼女は安らかな笑顔で眠っていた。泣き崩れる両親を見て、まるで計画通りだと誇らしげに。
その顔を見て、少し安心した私がいた。しかし、それはすぐに思い違いだと分かった。彼女の病状はレベル5だったのだから。
辛くない。と言った彼女の顔を思い出し、私は耐えられずに外へ出た。きっと彼女は私が出ていった後も、繰り返し呟いていたに違いない。辛くない、辛くない……、と。
あの、恐怖を隠し切れずに歪んだ顔が、どうしても頭を離れなくなった。
彼女が両親に用意した笑顔の仮面は、苦しくて仕方なかったであろう彼女には全く似つかわしくなかった。
その仮面の奥に潜む絶望の眼差しが私を捉える。彼女は最期まで辛かったのだ。
辛くなってその場をすぐに立ち去る。
薬のにおいがする車に乗り込んで、私は彼女の幻覚が見えてくれないかと思った。できることなら、謝らせてほしかった。もう少し生きさせてあげたかった。
しかし、それが出来ない己の非力さを嘆くことしかできないのだ。
これは、本当にただしいことなのだろうか。自分に出来る最善の方法だったのだろうか。
私はあの子を少しでも救えたのだろうか。
こちら気晴らし本舗。
気を晴らすにも気を付けて。やがて手遅れになる前に。
私が、壊れてしまわないように。