第六話 はじめてのおつかい
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オーレリアちゃんとお友達になって、一ヶ月と少し。
爽やかな夏は過ぎて、秋も終盤に差し掛かった、ある日の図書館で。
「(寒っ!前世では寒暖激しくなってくる頃合いでっすけど、マクデルは既に冬でっす!)」
フード付きの厚手の上着の裏地には羊毛が使われ、ズボンも綿入りで暖かいけれど。
「御本を読んでると、手が冷えるでっすねぇ」
吹き抜けに面した木製のベンチに座りながら、悴む手を擦り再び書物を拡げ目を落とす。
今読んでいる書籍は【初級錬金術教範】。
冒険者の必需品である【水薬】や、触媒となる各種【混合液】と【混合粉】の製法。
その手順と、使用する器具が図解入りで判りやすく記載されている。
「……虫茸の煮汁に吸血樹の根、水霊草を加えひと煮立ち。この時に灰汁を取り切らなければ【体力回復促進の水薬】としての効力は変わらないが、飲み口に苦みが残るでっすか」
材料を見ていると、凄く美味しく無さそうです。
それに効能は、傷を即座に治すものは無く。
自然治癒力を高める物中心で、即効性を求めるなら回復の術式の頼る事になる。
「(【水薬】を飲んでも傷がすぐ治るのはゲームだけっすねぇ……)」
しみじみと目を閉じて瞼の裏に浮かぶのは。
敵に囲まれて絶体絶命かつ、経験値減少の危機を回避するべく、回復アイテムを登録したキーを高速で連打する前世のボクの指。
最後には、切り札の課金アイテムを消費して切り抜けたでっす。
……あの課金アイテム確か名前が【炸裂する短筒】、つまりは爆弾。
「(数十を超える敵が、どっかーんと吹っ飛ぶのは爽快だったでっす……あれ?)」
そこで、不意に気が付く。
「あれ、あれれ?」
ボク、この世界で火薬の記述を見た事が無いでっす。
「確か材料は……」
材料は木炭に、硫黄に……えと、喉元まで出掛かってるのに出てこないでっすよっ!
しばらく唸りながら。
脳内で連想を続けること、数分。
「(そもさんっ!!戦国大名達がこぞって欲しがった、日本では天然物がほぼ産出されない鉱物とは)」
「(せっぱっ!硝石でっす!)」
脳内問答で、目的の鉱石の名称を思い出し。
本を閉じ、立ち上がると【初級錬金術教範】を元の書棚に戻す。
鉱物関連の書籍や資料が収められている場所は、図書館の二階。
この図書館には、六カ所も階段があり。
「確か、鉱物関連の書棚は、入り口横の階段を上った方が早いでっすねぇ」
硝石が存在しなくて、黒色火薬を作れないなら、それで何も問題は無いんでっすが。
もし作れるなら、冒険者として活動する時に色々と便利でっす。
「(あ、花火作りたいでっすね四尺玉とか……、いやいや【取らぬ狸の皮算用】は駄目でっす)」
見通しも立たぬまま計画を立て様とした事を、自分の中で戒めつつ。
静かな図書館に、小さな足音を響かせながら目的地への階段を目指していると。
小さいながらも、館内では響く声で。
「オーサちゃん」
お母様の声がして。
振り向けば、そこにはお父様とお母様が、二人して手招きして呼んでいるでっす。
「お父様、お母様。どうしたでっすか?」
ボクも来館者の邪魔にならないよう小さな声で返事をして、足音をあまり立てずに駆け寄ると。
「丁度良い所に来てくれたわねぇ、オーサちゃん」
「本当だね、オーサ。お使いを……頼めないかな?」
「お使いでっすか?」
手渡される物は、お母様からは白いメモ用紙が一枚。
「ごめんねぇ、魔女様のお店で取り寄せたい品物が出来ちゃって、ね?」
九分九厘、魔女様のお店で取り寄せるのは毒物系書籍かと思ったですが。
メモの内容は。
「時鉄鉱粉末の小袋、封印加工済み羊皮紙百五十枚でっす、一厘引いたですよ」
「もう、オーサちゃん。私だって毎回趣味の本ばかりじゃ……、ないわよぉ」
ボクの頭を、優しく撫でながら一瞬だけ、言葉に詰まるお母様。
「はは、リコリスも最近は料理の本を増やしてるよね」
内心。
「(毒性生物の安全な食べ方の御本でっす)」
と、思わずツッコミを入れそうになったですよ、お父様。
そんなお母様に、甘々なお父様が手にしたのは。
一冊の書籍と、使い古されて濃い飴色になった革の背嚢。
「オーサに頼みたいのは、この書籍を冒険者協会の受付のルイさんに渡して欲しいんだ」
その書籍を収める背嚢は。
お父様がボクが生まれる前から使っていた、愛用の品。
「お手伝いのお駄賃として、オーサに。どうかな?」
「やったでっすよ!」
嬉しくて館内で大きな声を上げそうになり、手で口を塞ぎ。
早速背負うと、厚手の服を着ているお陰で背中に隙間も無く、後ろに引っ張られる感じも無い。
「ぴったりでっすよ。ありがとです、お父様」
両親に見せるように、身体を軽く一回転。
「ブルックリン通りの魔女様と、冒険者協会でっすね。行ってくるですよ」
図書館の玄関に向かって一歩を踏み出し。
そうだ。と、思い振り向くと。
「お使いが終わったら、いつも通り公園で遊んでも良いです?」
両親は、ボクの言葉に笑って頷きながら。
「あらあら、オーサちゃんは寒くなってきたのに元気ねぇ」
「大聖堂の鐘が鳴る頃には、僕達も仕事が終わるから。それまでに、家に帰ってきなさい」
門限を守る事を条件に許可を得て。
「はいでっす!それでは改めて行ってくるでっすっ!」
再び図書館の玄関を目指して、静かな館内に小さな足音が響いていた。
~
図書館から出て少し歩くと、ラヘル河本流沿いの街道に出る。
街道に植えられた街路樹は、銀杏に似た枝葉を黄色く染めて陽射しの中で、風に吹かれてざわめいていて。
「風が冷たいでっすねぇ」
北からラヘル河の川面を抜けて、街全体を吹き抜ける風が身に染みる。
「では、いつも通りに行くでっすかね」
普段通りに街道を駆け抜けながら、今日は少し様子が違う事に気が付く。
「(北風に背を押されて、身体が軽いです)」
まるで北風が背中を押して上げるから、私と同じ速度で、街を駆け抜けろと。
「そんな事を言われてる気分でっすねぇ」
ボクは北風に応える様に、地面を蹴り抜ける毎に、加速を重ね。
まるで北風と踊るように、街行く歩行者の隙間を縫うように身を回し躱し進む。
その速度の中で、ボクと進行方向を同じくする顔見知りが気付き、
「今日は何時もより早い、【西風】が【北風】を引き連れての登場だなっ!」
笑いながら、不意に手を出しても。
「はい、タッチでっすよっ!」
確りと手の動きを目で捕らえ、その手に速度を弛めぬ様に触れて抜けながら。
目の端を流れ行く風景を楽しみながら走れば、もうアルテ橋に到達したでっす。
~~
「ふぅ、すっごく気持ち良い疾走でっしたねぇ」
来た道を望めば、真正面から北風が吹き抜け、火照った頬に触れる。
そして、ボクの少し尖った耳にも触れて、先へ先へと急ぐ様に、吹き抜ける。
橋のたもとの欄干に両手をついて一呼吸。
「あら、オーサちゃん。少し早めの走り込みですの?」
中州の方向から、見知った少女の声と足音がして。
「ボクは、お父様とお母様から頼まれたお使いの途中でっすよ?」
「あら、私も。父様から頼まれて、ブルクッリン通りの冒険者協会へ」
ボクも一軒は同じでっすねと。言いながらオーレリアの方を振り向けば。
ふわふわな物には拘りのあるボクが、思わず見とれ言葉が出ず。
「ふっふわぁですぅ……。はっ、全身ふわっふわで可愛いでっすね。オーレリアちゃん」
どういたしまして。と、身を回し。
ドレスの裾を軽くつまみ持ち上げてお辞儀をするオーレリアちゃんは、実に自然体。
……ボクには逆立ちしても無理でっすよ。
彼女の出で立ちは、シンプルな色合いながらも豪奢。
頭には、白藍色のベレー帽。
帽子に合わせ同じ色を基調とした、アンティーク調のドレスの上に羽織るのは。
銀狐の毛皮の色合いに良く似た、オーレリアの股下まで覆い隠す一枚皮を加工した袖無しの外套。
「(でも、銀狐ってこんなに大きい……)」
不意に陽の光が、オーレリアの羽織る外套に差し。
虹色に変化する毛皮を見て、ソレが何かを理解して。
「ま、まさか。銀狐竜の毛皮でっすかっ!!」
この銀狐竜は、中央大陸東部ラムダラ山脈でも未踏地域と呼ばれる、北部に生息する亜竜の一種で。
数多くの危険が潜む未踏地域では、冒険者が狙って狩る事は稀。
そのため、流通量も極々僅かでっす。
その柔らかな手触りと、冬の陽射しを浴びれば、細雪の如く金や虹色に煌めく、正に最高級素材ッ!!
「そうですわよ、オーサちゃん。一目で見抜くなんて凄いですわっ!」
聞けば元々、オーレリアちゃんのお父様。
ジェラール小父様が、冬物の上着を新調する為に買い入れたそうですが。
少し材料が足らなかったらしいでっす、体格的に。
「使わないのは勿体ないと、母様が。それでお誕生日に合わせて、冬に着られるよう誂えて下さいましたのっ!」
嬉しそうに胸元で両手を合わし、喜びを表現するオーレリアちゃん。
しかしその可愛らしい仕草も、ボクは目に入らず。
ボクの視線の先は、
「(さ、触りたい。触れて、思う存分モフりたいでっす!)」
「あの。お、オーサちゃん?」
ボクの邪な視線に気が付いたのか、覗き込むようにボクを見て。
「少し、触ってみます?」
「あ、ありがとでっす!」
オーレリアちゃんの善意に甘え、柔らかな毛を痛めぬ様に最新の注意を払い触れる。
「ふふふ、ふわふわもっふもっふでっすねぇ……はぁ」
思わず溜息を吐いて。
顔を埋めてこの柔らかさを存分に堪能したい、その衝動を抑え。
何時まででも触れていたくなる、この感触。
「オーサちゃんも、ふわっふわの魔力には勝てませんわね、ふふっ」
短い時間ながらも、本日最高とも言えるひとときを堪能し。
「ふわぁ。ふぅ、オーレリアちゃん。どうもありがとうでしたっ!」
「どういたしましてですわ、オーサちゃん」
頭を下げた視線の先には、足首から覗く黒のストッキングに、飴色の革靴が見える。
ふと。
「(全部合わせると。……ね、値段は聞いちゃ駄目っすよねぇ……)」
なんて考えながら。
「オーレリアちゃんも、冒険者協会に行くなら一緒に行くですよ。その前に、一軒寄るけど大丈夫でっすか?」
「大丈夫ですわよ、オーサちゃん」
北からの風が吹き抜けるラヘル河を望みながら、アルテ橋を二人で足早に横断すると。
すぐ側に大勢の冒険者で賑わう、ブルックリン通りの喧噪が聞こえてきた。
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ブルックリン商店街の裏通りは、昼間でも薄暗く何度来ても不思議な場所。
ボクには見慣れた風景だけれど。
この場所がある事自体を知らなかったオーレリアちゃんは、
「ひっ。り、【動骸骨】ですわっ!こ、こちらには【悪戯好きの妖精】に、【幽霊】までっ!」
おっかな吃驚。
ボクの手を強く握りしめて、辺りを見回しながら歩いて行く。
「大丈夫でっす。ここの人達は悪戯はするけど危害は絶対に加えないですよ?」
「ほ、本当ですの?」
壁から浮き出るように現れた幽霊は、大仰に頷いてみせ。
安楽椅子に座る動骸骨が足を組み替えながら、
「お嬢さん。ここは表通りより安全な場所だよ。我々の見た目さえ気にしなければね」
渋い声で、紫煙を燻らせながらオーレリアちゃんに語りかける。
「思ったより、怖くないんですのね」
ボクの手を握る力と表情を弛め。
その声に、気をよくした悪戯好きの妖精が。
「そだぜぇ、お嬢さん。路地裏商店は、親切丁寧てっ奴さぁね。おっといけね、仕事だ、仕事っ!」
慌てて店に戻る、悪戯好きの妖精の姿を見て。
「ふふっ!」
オーレリアちゃんは、緊張が完全に解けた様子。
もう怖くないのか、勢いよく二人で歩き出せば魔女様のお店は、すぐ目の前に。
「ここが魔女様のお店でっすよ、オーレリアちゃん」
「魔女様は、どのような方ですの?」
説明が難しい為、直接見て貰おうと店に足を踏み入れようとして。
「(誰か出てくるですよ?)」
オーレリアちゃんも気が付いた様で、足を止める。
魔女様のお店から出てきたのは、翠玉の髪色をしたお母様と同じ耳の。
「(エルフの人でっすね……)」
緋と白を基調とした戦装束。
更には、胸部から腹部。両腕と両足に部分的に金属鎧を着けたその姿を見て。
「(冒険者にも見えて、騎士にも見えるでっすが……)」
それよりも目に付くのは、このエルフさんが店の中から、左手一本で引き摺る様に持ち出し。
今は、肩に担ぐ刀身に巻き付けた布をベルトで固定した、巨大な両手剣に目を奪われる。
「おっと、すまんな。お嬢ちゃん達。立ち止まらせちまって」
二人で見上げれば、濃緑の目を細めて不意に小さく笑い。
店の中に向かって、
「じゃな姉御。仕入れの方は、宜しく頼む」
言うと、右手を上げてゆっくりとブルックリン通りへ。
巨大な鉄塊。
そう言える重量物を肩に担ぎながらも、確りとした足取りは歩みを刻んでいく。
「オーサちゃん、今のは……」
「多分、お店に来た冒険者のエルフさんだと思うでっすが……」
店の中を覗き、他にお客さんが居ない事を確認して、足を踏み入れると。
何時もと変わらない番台の上で、顔を突っ伏して疲労困憊がありありと見える魔女様が。
魔女様は、盛大に溜息を吐くと。
「……の神霊の事なんて、放っておきゃ良いのに。面倒事ばかり頼んでくる子だよ、まったく」
まるで身体の中に貯まった何かを吐き出し、起き上がると。
蝋燭の明りの中で、飴色の艶やかに色めく長い髪を掻き上げ、視線を僕達に向ける。
顔色が少しばかり柔らかになり、
「オーサと、……おや知らない子だね」
魔女様は、腕を組み番台に肘を付けると、豊かな双丘がより前面に押し出され強調される。
「こんにちはでっす、魔女様。お母様のお使いで来たですよっ!」
ボクは預かったメモを、魔女に手渡し。
魔女様はメモを読むと、すぐさま在庫帳を番台下から取り出す。
「時鉄鉱粉末の小袋は、在庫があるから直ぐ出せる。封印処理済みの羊皮紙か、また共通語に翻訳すると危険な書籍が出てきたんだ。在庫じゃあ、足りないね取り寄せないと」
魔女様は、手元にあったメモ用紙と羽根ペンを引き寄せ。
ペンにインクを着け、走り書くように言葉を認めている。
オーレリアは、興味深そうに店内を見回し、
「錬金術の素材屋さんですのね、植木鉢で踊っているのは……」
「アルラウネだよ、お嬢さん。ったく、オーサもリコリス見たいになってきたねぇ……」
魔女様それは、ボクにとっての褒め言葉でっすよ?
「ほら、オーサ。リコリスに渡しな、それで判るから」
ボクはメモを手渡されると、胸のポケットに仕舞い込み。
魔女様の視線が、蜥蜴を平たく干した物を手にするオーレリアちゃんを見る。
「そこの、銀狐竜のケープを着たお嬢さんは誰だい?」
オーレリアちゃんは、蜥蜴の干物を棚へ戻すと。
振り向きスカートの両裾を軽く摘まみ、一礼。
「初めまして、魔女様。私、オーレリア・クロッセルと申します、よしなに」
オーレリアちゃんの名前を聞いた瞬間、魔女様が椅子にもたれて、
「クロッセルて中州の大本締めでしょうが。リコリス見たいじゃ無くて、そっくりだよオーサは……」
ボクを褒める言葉を呆れ声で呟いて、天を仰いだ。