5.創造力は誰のためのものか?
ですが、それでよいのでしょうか? AIが人類を肉体労働から解放し、頭脳労働から解放し、人間の代わりに思考するようになり、人間はAIの創造力を享受し、消費して生きる――。これがはたして、人類の目指していた理想的な未来でしょうか。あるいは「そうだ」と答える人もいるかもしれません。
しかし、「そうだ」と答えない人のほうが多いのではないでしょうか。「小説家になろう」で小説を書いている人たちも、あるいは音楽や絵画などで創作活動をおこなっている人たちも、「あなたの創造している作品より、AIの創造しているものの方が面白いから」という理由で、自分の創作活動をやめたりはしないはずです。それは人気が出る/出ない、面白い/面白くない以前に、「創作活動をする」という行為そのものに喜びを見出す人たちが世の中には存在するためです。
便宜上、趣味の分野に限定しましたが、これは労働に関しても言えることです。「AIに任せれば上手くいく」からといって、「すべての仕事をAIに任せきりにしていい」というわけでもありません。
ですが直観的に見れば、「AIにすべての仕事を任せず、人間の裁量をある程度許容する」という考え方は非合理的に思われるかもしれません。とりわけAIの進出があらゆる分野に及ぶようになった時代において、AIと人類との軋轢は深刻になります。
このような状況下において、私たちは一つのフィクションを作ることを余儀なくされるのではないかと、私は考えます。それは「AIに任せたほうが何もかも上手くいくだろうが、しかし人間がやるからこそ価値のある行為がある」という、人間の創造力に関わるフィクションです。