※最終回じゃありません
名前が呼ばれ、壇上へと向かう。
拍手で迎えられると、卒業生代表としての言葉を投げかける。
ああ、本当に卒業してしまうんだなぁ、と嫌でも実感させられた。
結局、学校始まって以来の秀才で、最後までトップの座を譲らなかった先輩は、見事第一志望の東橋大学に合格した。
壇上の先輩は、いつものようにどこか余裕があって、だけど、今まで僕が見たことのなかった雰囲気で。
その姿をぼーっと見つめる。先輩は決まりきった挨拶を終えると、席へと戻っていく。
話している内容は何も頭に入ってこなかったけど、その姿だけはとても印象に残った。
あっという間に卒業生退場となり、それを拍手で見送った。
もうここでお役御免となって、特に卒業生と関わりを持っていなかった生徒達は帰っていく。辺りでは、部活や委員会やその他諸々でお世話になったりした僕たち後輩が、泣きながら花束を渡したり、一緒に写真を撮ったりしていた。
僕はそれを遠目で見つめながら、先輩の姿を探す。
元々目立つ人ではあったから、そんなに苦労せずに見つけることが出来た。
逸る気持ちを抑えながらそこへと向かうと、先輩は沢山の人に囲まれていた。
先輩の同級生はともかくとして、僕がいる2年生の廊下で見知った顔もあって、今更ながらに先輩がどういう人だったかを全く知らなかった自分を思い知らされた。
にこやかにほほ笑む先輩を、僕は見つめ続けることが出来なくて。気付いたら、その場から立ち去っていた。
そのまま帰ってしまおうかとも思ったけど、僕の足はあの教室へと向かっていた。
がらんどうの教室の中へと入ると、そのままいつもの席へと腰掛ける。
いるはずのない彼女の指定席へと目がいった。当然、先輩の姿はあるはずもなくて。
途端に、なぜだかとても空しくなってきた。どうして僕はここにいるんだろう。どうして先輩に声をかけなかったんだろう。もしかしたら、これが最後になるのかもしれないのに。別に連絡先も知っているし、会おうと思えば会えるのに、なぜかそう思ってしまった。
窓の外を覗くと、まだ生徒たちは残っていて。だけど、徐々に帰り始める卒業生の姿も見えてきた。きっと、これから打ち上げと称してみんなで遊びに行くんだろうな、なんて思いながら、じっとそれを見つめていた。
先輩はどうするのだろう。もう帰っちゃったのかな。それとも、まだ囲まれているのかな。あの場から逃げてきてしまった僕には、そんなことを考える権利はないのかもしれない。けれど、どうしても気になってしまう。
それでも、この場から動く気にはなれなかった。
「何の挨拶もないなんて、ちょっと酷いんじゃないかしら」
窓の外を見つめていると、後ろから声を掛けられた。この教室でいつも聞いていた、間違えるはずのない声で。
「最後くらい、きちんと挨拶していきなさいよ。それとも、する必要なんて感じなかったのかしら?」
「い、いえいえ。全然そんなことは」
意地の悪い笑みを浮かべて、ここ座るわよ、といつもの指定席へと腰掛ける。不思議と、その笑みはとても心が落ち着いた。
僕も窓際から離れて、座り慣れた席へと向かう。さっきまでは、とても空しく感じられていたのに、自分でも現金だと思う。
「それで、何か言うことはないのかしら」
「卒業、おめでとうございます?」
「なんで疑問形なのかよくわからないけど、ありがとう」
そういって笑顔を浮かべる先輩は、とても綺麗に見えた。
「そういえば、こうしてここに来るのも久しぶりね。学校が決まってからはあまり登校もしなかったし、あなたと会うのも一か月ぶりくらいかしら」
「そう、ですね。そういえば、メールでしか言ってなかったので、改めて。合格おめでとうございます」
「ありがと。まあ、当然だけどね。そうそう、実はそのことで言いたいことがあったのよ」
そういって、鞄をごそごそと探り出す。なんだろう。
「実はね、そんなに大学自体は遠いわけではないんだけど、一人暮らしをしてみようかと思って、そういうのでも最近ちょっと学校には顔を出していなかったの。それで、一つ確認なんだけど、私が卒業してからも、家庭教師紛いの事って、続けてもいいのかしら?」
当然、断る選択肢はなかった。
「是非お願いします」
そう、と軽く返事をすると、手を出して、と言われたので言われた通りにすると、何かを握らされる。
「これって、鍵、ですか?」
手渡されたものを見てみると、うん。鍵、だよな。
「見て分からないかしら。むしろ、鍵以外の何に見えるのか聞きたいのだけど」
「えっと、なん、の?」
「はぁ……私の家の鍵に決まっているじゃない」
「へぇ、そうですか。先輩の……え?」
「え、じゃないわよ。そっちの方が色々と都合がいいでしょ。今までみたいに一緒の時間に帰ったりすることなんて出来ないんだから。私がいない時でも、先に部屋に入って勉強でもしていれば、色々と効率もいいでしょ?」
「そうですよ、ね?」
冷静に考えて、何も合鍵まで貰わなくても連絡手段なんていくらでもあるから何とかなると思うんだけど。
「……いらないなら返して頂戴」
「いえいえ、そうですよね。効率いいですよね。分かりました」
心なしか先輩の顔が赤くなっているように思えて、だったら僕はこれ以上何も聞かなくていいんだろうな。
「さて、じゃあこれで。一応、付き合いもあるのよ。せっかくだから、校門までは一緒に行きましょうか」
「はい。……そうだ、最後にもう一つだけ、言っておきたいことが」
なにかしら、と扉の近くで立ち止まった。
「二年間、ありがとうございました」
「なに? 急に改まって。それに、そんな今日で終わりみたいな。ほら、行くわよ」
そういって、教室の外へと出ていく。僕もそれを追う。
ふと、教室の外へ出たところで足が止まった。誰もいなくなった教室を、空っぽになった教室を、じっと。
しばらくの間教室を眺めていたら、早くきなさいと先輩に怒られてしまった。
慌てて先輩のところへと向かおうとして、その前に戸締りをしなければ、と思い、扉を閉める。もう来ることもないであろう教室に背を向けて、先に進んでいる先輩の元へと走って行った。
壇上へと登ると、つい、目の端であの子の姿を探してしまう。
二年生だから、多分、あの辺よね……うん、ちゃんといた。
最近は色々と忙しかったし、元々頻繁に連絡を取り合うような感じではないので、凄く、久しぶりだ。最後に連絡がきたのは、私が合格した時かしら。
つつがなく答辞の言葉を述べて、席へと戻る。正直なところ、大して思い入れもない学校だったし、退屈なだけだと思っていたのだが、いざこうして迎えてみると、ちょっとだけ感慨にも浸れた。
その後もつつがなく進行し、徐々に周りから涙を堪える声や、堪えきれずに声を出してしまう生徒たちの声も聞こえてきた。
そうして、私たちの卒業式が終わった。
この学校では、卒業式が終わったら自由解散で、チラホラと帰っていく生徒も見かけた。
私はというと、同じクラスだった人や、あまり交流がなかった後輩たちやらに囲まれてしまった。
当たり障りのない返事をして、笑ってその場をごまかす。別に、嫌なわけじゃない。ただ、今はこの場にいないあの子と話がしたかった。
愛想笑いを振りまきながら、周囲を見渡す。
見つからないな。少なくとも、ここには来ているはずだし。まさか、帰った、なんて。
話を合わせながら辺りに目を動かしていると、去っていく人影を見つけた。背中だけしか見えなかったけど、間違いない。あの子だ。
もしかして、何も言わないで帰るつもりなのかしら。せっかく近くに来ていたのに。
……少し、頭に来るわね。
「ちょっと、ごめんなさい。また後で連絡するから」
「え、どうしたんですか? もう帰っちゃう、とか」
「そういうわけではないんだけど……」
徐々に小さくなっていく彼の背中を見ると、あれ? 今、校舎の中に入っていった……よね。
多分、あそこにいるんだろう。とにかく、早く追いかけないと。
「ごめんなさい、すぐ連絡するから」
そういって校舎の方へ早足で向かう。
「そっちは校舎じゃ……?」
「ええ、ちょっと……忘れ物を、ね」
きょとん、とした顔を浮かべる。卒業式なのに、忘れ物だなんて、分からないだろうけど、うん。忘れ物。私の中で、それはとてもしっくりときた表現だった。
校舎へと入ると、走って教室へと向かう。
急いで向かったからか、少し息が切れてしまった。扉は開きっ放しで、中の様子を伺うと、やっぱり。ここにいた。
息を切らしてここまで来ただなんて思われたくなくて、しっかりと息を整える。そんなに長い距離を走ったわけでもないのに、中々息が整わない。心臓も、少しうるさい。
大きく深呼吸すること数回。ようやく収まってきた。心臓の音だけは、まだうるさい。
大丈夫。いつも通り、あの子に接するだけ。
もう一度大きく深呼吸をして、教室の中へと入る。さて、それじゃあ、忘れ物を迎えにいこうかしら、ね。