ハロウィン
優子は、ふと気になって『ハロウィン』について調べていた。ネット上でなんでもかんでも、ある程度は調べられるから楽だ。昔は、辞書をひっくり返して、わからない言葉を何度も引いた。百科事典もそれなりに役にはたったが、情報として古いことが多かった。
(なんでもかんでも、最新っていうのも危ないけれど)
優子はそう思いながら、『ハロウィン 歴史』と検索欄に打ち込んだ。出てきた情報を斜め読みする。
「へぇ…ケルト人の祭りだったんだぁ……」
一人で感嘆のつぶやきをもらすと、「優子さん、また、調べもの?好きだよねぇ」と不意に耳元でささやかれて、彼女は飛び上がらんばかりに驚いた。
「もう……そういうのやめなっていったじゃん。侑の馬鹿」
「だってさぁ、折角の週末なのに構ってくれないんだもん、優子さん」
侑は風呂上がりの暖かい腕で、優子を後ろから抱きしめる。頬をよせて、パソコンを覗き込むとくすりと笑った。
「新年の行事って、どこもにたりよったりなんだね」
「何が?」
「日本にもあるじゃん、火祭り。あれって新年のかまどに新しい火をいれて、かまどの神様にお祈りするんでしょう?火事がでませんようにってさ」
「ああ、そういえば、そんなお祭りあったっけ……」
最近はかまどのある家など稀だ。ガスコンロの普及にはじまって、今はIH(電気コンロ)へと移行しはじめている。人々から火という暖かくも危険なものから遠ざかりはじめていた。
「かまど神なんてよく知ってたわね」
「ああ、ガキの頃に母方の祖母の家にさ、お札が祭ってあったんだ。あれなんだってばあちゃんに聞いたら、かまどの神さんだよって笑ってた」
「そう……」
侑は、大地震でそのおばあさんと家を津波にさらわれた被災者家族の一人だ。彼は東京で仕事をしていたし、実家は神奈川だったから、ご両親と妹さんは無事だった。それでも、あの衝撃の日々を忘れることはない。ときどき、優子の隣でうなされている。ばあちゃん、ばあちゃん……と。
「他には、何を知ってるのかしら。侑くん」
優子はおどけて、頬を摺り寄せる。
「そうだなぁ……このまま、ベッドへ行ってくれたら教えてあげなくもない」
「あっそ。風邪ひくから先に行ってなさいな。そして、このわたくしのために温めておいてちょうだい」
了解と侑はくすくす笑いながら、寝室に入って行った。
優子は小さくため息を吐く。侑との付き合いはもうそろそろ五年目を迎える。彼女は今年で三十五歳になるが、侑はまだ二十五歳。優子は十の差は大きいとずっと思っていたから、彼との関係が未だに続いていることが不思議だった。はやく別れないと、そう思いながらずるずると続いている。
そういえば、侑と出会ったのも『ハロウィン』がきっかけだったことを思い出す。職場の後輩に無理やり連れて行かれたゲイバーでのハロウィンパーティだった。優子はドラキュラ伯爵の衣装を着せられた。いつもの地味な化粧も、ゲイバーのお姉さま方にいじくり回された。
「あらいやだ、このこったら。超イケメン」
などといわれ、どんどん酒を飲まされた。
侑の方は、通っている大学の先輩に女装させられ、似合いすぎだろとからかわれていた。そのとき、なぜかお互い軽く視線があって苦笑しながら、それぞれのグループの中で呑んでいた。
まわりが盛り上がっていくにつれ、優子はこっそりボックス席からカウンターに移動した。お水をもらって一息ついていると、隣に侑が座って同じように水を飲んでいた。
「伯爵様はパーティがお嫌いかしら?」なんてしなを作って声をかけてきたので苦笑交じりにその冗談にのってみた。
「バカ騒ぎは好まぬ」などとそれらしくふるまうと侑はうれしそうに笑った。なんとなく、意気投合してその日のうちにメアドを交換した。優子は社会人で、侑はまだ大学生だった。その後は、メールや電話のやり取りをするようになって半年もしないうちに付き合うようになった。
「お祭りはそろそろ終わらないとなぁ」
優子はぽつりとつぶやく。上司や親から見合いの話もでている。侑には結婚なんて言葉、重すぎるし、優子は自分たちが結婚することなど想像もしていない。
だから、ケルト人の新年に便乗してそろそろ別れを切り出そうと優子は決めた。
優子がベッドへもぐりこむと、遅いよとむくれた侑が覆いかぶさってきた。
暖かい口づけ。優しい愛撫……。優子は意識が侑におぼれそうになる前に切り出した。
「そろそろ、別れよう」
自分でも驚くほど冷たい声に、優子は反比例するような鼓動の早鐘に眉をひそめる。
「何?俺より好きな人でもできたの」
「そうね……たぶんね」
侑はくすくす笑う。相変わらず、嘘がへただよあんたと。
「だいたい、別れるなんてもう無理だよ」
「なんでよ」
「だって、俺、優子さんと結婚するから」
「なに……言ってんの?……」
「優子さんのことだから、どうせ年の差とか考えてるんだろうけど」
無駄だよと侑は言う。
「俺、知ってるよ。初めての男が俺だってこと。ついでに、まわりの男どもがあんたに手をだせなかったのはね、あんたがぜんぜん自分を頼ってくれなくて世話ばかりするからだよ。俺も、付き合いはじめのころはさ、優子さんにとって俺って何?って思ったこともあったし……」
侑はそれでもねと真剣な顔で言った。
「俺が優子さんを好きなんだから、いいんだと思ったんだ。俺が優子さんの側にいたいからいるんだってわかったから。そう思ってたら、見え方が変わったんだ。優子さん、俺が背中から抱きしめたらいつも体を預けてくれてた。お出かけ日和なのに、でかけたくないなぁって言ってくれた。俺がばあちゃんの夢を見た日は、いつも以上にひっついて泣きそうな顔で眠ってた。他にもいろいろあるけど……ああ、この人、俺にだけには甘えてくれてるんだってわかったから、だから、別れないよ」
「そんなこと……」
優子の声は、とぎれてかすれていく。後悔するよと、とぎれとぎれにしかいえないほど、しゃくりあげる子供のように泣き始めた自分に、もう抗えなかった。
侑は優子の頬に、まぶたに、唇にそっとやさしく口づけを繰り返した。
「いっぱいあまやかして、俺なしじゃいられないようにしてあげるから。別れるなんて二度といわないでね」
優子はうなずくこともできないで、侑にすがりついた。
本当は……あきられて、捨てられるのが怖かったのだとようやく自覚した。自分から手を離せば、傷つかないで済むと思っていた愚かさにも気づかされた。
「その手離さないでね。ずっと俺にしがみついててね」
ようやく優子はうなずいた。
「もし、離そうなんて考えたら、接着剤でとめちゃうよ。俺、独占欲強いから覚悟しててね」
侑は優子をぎゅっと抱きしめて、耳元でそっと囁く。
世界で一番大好きだよと。
【終わり】