生まれ変わりの許嫁(4)
「真生」
うつむいたままの霊奈が俺を呼んだ。
「あんた、魅羅ちゃんと結婚しなさいよ」
「ちょっ! な、何を言ってるんだよ?」
「だって、お兄様が約束しちゃっているんだから、その約束は果たさないと、お兄様が嘘吐きになってしまう! そんなの嫌だ! だから真生! あんたがお兄様の代わりに魅羅ちゃんと結婚しなさいよ!」
「霊奈! 何を言っているの?」
俺には幽奈さんが怒っているようには聞こえなかったが、霊奈は、はっと息を飲んで顔を上げた。
「真生さんは真生さんで龍真とは違います。子供の時の約束だからといえ、魅羅ちゃんが龍真のお嫁さんになれる権利を手にしていることは確かみたいね。でも、その約束は龍真が死んだ時に白紙に戻っているはずですよ」
霊奈は、また、うつむいてしまった。
霊奈の中では、まだ龍真さんは死んでいないのだ。俺と一緒に龍真さんの霊魂を見ているのだから。
「……ごめんなさい。取り乱してしまって」
「謝る相手は私じゃありませんよ」
霊奈はうつむいたまま、俺の方に向いた。
「ごめん、真生」
「気にするなって」
「えっ?」
顔を上げた霊奈の目には涙が溜まっていた。
「霊奈が龍真さんを思う気持ちは、まあ、何十分の一くらいは分かっているつもりだからさ」
「……真生」
霊奈は目をこすると、俺に頭を下げた。
「本当にごめん! 今の全部忘れて!」
そう言うと、霊奈はダイニングから走って出て行った。
「俺、ちょっと行ってきます!」
幽奈さんに告げると、俺も霊奈の跡を追って、二階に行き、霊奈の部屋のドアをノックした。
「霊奈!」
返事はなかった。
「霊奈! 俺、本当に気にしてないから! 霊奈の気持ちの何が分かっているのかって思ってるかもしれないけど、あの日、龍真さんの霊魂を見たのは、霊奈と俺だけだから! 龍真さんの霊奈を思いやる気持ちもすごく伝わってきたから!」
ドアノブがゆっくり回った。そして、開いたドアの隙間から霊奈が顔を見せた。
霊奈の瞳からは大粒の涙がポロポロと溢れ出ていた。
「真生……。ありがとう」
「あ、ああ。幽奈さんが言ったとおり、魅羅には悪いが、俺は永久真生で約束の相手じゃないって、ちゃんと言うからさ。もちろん同級生としての友達付き合いはさせてもらうけどな」
「……うん」
「ほらっ、もう泣くなよ。夕飯までには復活しとけよ」
霊奈の頭をポンポンと軽く叩くと、俺は隣の自分の部屋に向かおうとした。
しかし、ワイシャツの背中を引っ張られて足を止めた。
振り向くと、うつむいている霊奈が、シャツをつまんでいた手を離した。
「どうした?」
俺の質問に答えることなく、霊奈は俺にぶつかるようにして近づいて来た。
――チュッ!
一瞬だけだったが、左のほっぺたに柔らかい感触!
すぐ目の前に泣き笑いの霊奈の顔。
「真生が魅羅ちゃんと結婚なんて、やっぱり許さないから!」
そう言うと、霊奈は部屋に戻り、ドアを閉め掛けて止め、顔だけを出して、笑顔で俺を見た。
「夕ご飯までにはちゃんと復活しておくね」
少し顔を赤くしながら霊奈は顔を引っ込め、ドアを閉めた。
午後七時を回った頃。
今夜も幽奈さんによる絶品料理の夕食タイムとなった。
今日は、龍岳さんも珍しく早く帰って来て、妖奈ちゃんもアイドルの仕事がなかったようで、俺を含めて家族五人揃って食卓を囲んだ。
長方形の大きなテーブルの奥の短辺に龍岳さん、向かって左の長辺に龍岳さんに近い方から幽奈さん、霊奈が座り、幽奈さんの対面に妖奈ちゃん、霊奈の対面に俺という席は、俺が御上家に居候した初日に何となく決まった指定席だ。
霊奈は、自分で言ったとおり復活を遂げていて、いつもの霊奈に戻っていた。
「東堂の?」
魅羅が転校して来たことは、龍岳さんもまったくの初耳だったようだ。
「そうか……」
龍岳さんは少し考え込むように目を伏せた。
「お父様、何か気になることでもあるのですか?」
幽奈さんがお酌をしながら訊いた。
「いや、魅羅さんが誰と一緒に住んでいるのだろうと思ってな」
「どういうことですか、お父様?」
霊奈もそのへんの事情は知らないようだ。
「魅羅さんが小さい頃転校したのは、母親が病気で地獄に行ったからだ。その後、魅羅さんの父親である了齋先生は再婚されたんだが、魅羅さんはその継母と折り合いが良くないと、再婚当時、了齋先生が雑談をしている時に言っていた記憶がある」
「よく憶えていらっしゃいますね?」
幽奈さんが感心したように言った。
「ははは、同じ頃にうちも地獄に行ったからね。だから、了齋先生から、うちのように再婚しない方が良かったかもと言われたことを憶えていたんだ」
三姉妹がお互いの顔を見合わせた。
この三姉妹の母親である龍岳さんの奥さんは、十年前に病気で死んだらしい。幽奈さん十一歳、霊奈七歳、妖奈ちゃんに至ってはわずか四歳の頃で、妖奈ちゃんは姉妹の中で唯一、母親の記憶がないことが悔しいと言っていた。
そして、龍岳さんは後妻さんを娶ることなく、三姉妹を男手一つで育て上げた。忙しい政治家活動をしながらで、当然、親戚とか友人とかの手助けを得ながらだろうが、それでも大変だっただろうなって、子育ての経験のない俺だって思う。
霊奈達の母親と同じ頃に魅羅の母親も死んだとすると、魅羅も七歳くらいの頃だ。しかし、魅羅にとって、母親は死んだ母親だけであって、継母は父親が再婚した相手にすぎなかったのだろう。仲良くしろって言われても、すぐにできるはずもない。
ちなみに、ここ獄界では「死ぬ」と言うことを「地獄に行く」と言うのが一般的だ。さすが、地獄を運営している獄界ならではの表現なのだが、地界生まれの俺には、まだ違和感がぬぐえない。
「思い出した! 確か、魅羅ちゃんは、お爺ちゃんの所に行くって言って転校したんだった」
霊奈が本当に今思い出したように言った。
「そうだったな。両親の元を離れて、四十六区にいる祖父の了堅先生の家ですごしていたはずだが?」
ちなみに「四十六区」とは、地界で言う九州地方のことだ。
「それでは、また、ご両親と一緒に暮らすようになったのでしょうか?」
「それはどうだろうか?」
龍岳さんは、まだ腑に落ちないことがあるようだ。龍岳さんはお猪口を置いて、みんなを見渡しながら話を続けた。
「ニュースなどでも盛んに言われているから、みんなも感づいていると思うが、総選挙が近い」
エンマの誤作動によって盛り上がっていた地獄の民営化議論は、鬼塚前総理の首をすげ替えたことで、いったん下火になって、そのまま鎮火してくれるかと思われたが、予算事情が好転することもなく、膨大な赤字を垂れ流す地獄の民営化議論は、また、ぶり返されて、政権与党の神聖自由党も民意を問うことを約束させられようとしていた。
つまり解散総選挙をするということだ。
マスコミも総選挙ありきで報道されていて既定路線には間違いなく、神聖自由党としては、情勢を読みつつ、解散のタイミングを図っているような状況なのだ。
「魅羅さんの父親の了齋先生は、ここから遠い十九区が選挙区で、再々、選挙区に帰っているはずなんだ」
十九区とは地界で言うところの北海道にあって、地界で言う所の関東地方である、ここ三十三区まで通学できるような距離じゃない。
つまり、魅羅は、まだ、両親とは一緒に暮らしていないということだ。
「もしかして、了堅先生が三十三区に戻られているのかもしれないな。孫娘の願いを聞いてやるためということもあるだろうが、やはり総選挙が近いと踏んでいるのだろう」
ちなみに三十三区には、地界同様、国会や内閣、最高裁判所といった獄界の権力の中枢が集まっていた。了堅先生は政治家を引退しているが、いまだに政界に強い影響力を持っているらしい。そのためには三十三区にいることが都合が良いのだろう。
「そう言えば、輝星会には内紛が起きているって聞いたのですけど?」
「相変わらず地獄耳だな、霊奈」
「そ、そんな……。私も将来は政治の道を目指すかもしれないから、一応、ニュースはチェックしてるんです」
「そうか。それは頼もしいな」
「もう一人が頼りにならないからね!」
霊奈のやつ、俺の顔を睨んでから、すぐに視線をそらせやがった。
俺だって政治のニュースくらいチェックしてるわい!
ゲーム関連ニュースの次に……。
「内紛と言うか、後継者争いだな。今の輝星会の会長は、南部法見先生が務めておられるが、まだ息子の了齋先生が若いことから、了堅先生から了齋先生への派閥委譲の間を務める臨時バッターと見なされていた。しかし、法見先生の人望から法見先生を支持する議員が思いのほか増えていて、解散総選挙前に、了齋先生に大政を奉還すべしとの意見を完全に封じ込めている。何より大きいのは、名誉会長の了堅先生自身が、法見先生の実力を高く買われており、了齋先生へのバトンタッチは時期尚早と考えているようだ」
「そもそも、了堅先生には、了斎先生にバトンタッチする気があるのでしょうか?」
「やれやれ、我が娘ながら霊奈も政治の裏の事情に詳しいものだな」
と言いつつ、龍岳さんも嬉しそうだ。
「了堅先生と了斎先生は、親子であるにもかかわらず、その政治的主張は、まったく異なっている。了斎先生のグループは与党内野党とも言われるほどに違ってきている。輝星会は、今、分裂の危機にあるんだ。そして、もし、そんな党内不一致の状態をこれ以上見せつけるようなことになると、神聖自由党自体への信頼も揺らぐ。党内さえまとめることができないなどと烙印を押されると、今、我が党を支持してくれている国民からの支持も失いかねない」
「と言うことは、今の状況からは、了斎先生のグループを切り捨てるってこともできないということなのですか?」
「そう言うことだ。それが分かっているから、了斎先生のグループは、どんどんと過激的な主張をしている。そして、その主張は、野党は信用できないが、これまで政権を担ってきた神聖自由党でなら世の中を変えてくれると信じている国民の支持を集めつつある。そうすると、保守的な考えを持つ支持者と革新を望む支持者で我が党の票が割れてしまい、結局、共倒れになる危険もある」
そんな状態の自分の派閥を何とかしようと、魅羅のお爺さんである了堅先生が三十三区に戻ったのかも知れない。
いや、きっと、そうなのだろう。魅羅は、了堅先生と一緒に戻って来たんだ。