政界の姫を巡る争い(6)
今、俺の目の前には、頭から湯気を出している霊奈がいる。
場所は俺の部屋。
筑木さんと公園で話をした後、真っ直ぐ家に帰ると、話があると言って、部屋にいた霊奈を呼ぶと、なぜか嬉しそうに俺の部屋に入って来たが、筑木さんが授けてくれた作戦を話すと、無言のまま俺を睨みつけているのが今の状況だ。
「霊奈さんなら分かってくれますよ」とお気楽な顔で言った筑木さんが恨めしくなった。
しかし、ここでくじけていては話が先に進まない。俺は決死の覚悟で口を開いた。
「どうかな? 筑木さんのこの策は?」
「何か納得できない。どうして真生と魅羅ちゃんがカップルのフリをしなきゃいけないのよ?」
「さっき説明しただろ? 何で輝星会に関係のない、むしろ薫風会に関係する俺が魅羅の近くにいるんだってことになるじゃん」
「まあ、筑木さんの言うことも分からないでもないけど、そもそも、どうして、魅羅ちゃんが襲われるおそれがあるのよ?」
俺は、魅羅から聞いた話の全部を、霊奈に話さなかった。ただ、筑木さんが極秘に集めた情報によると、分裂のおそれに陥っている輝星会のいざこざに巻き込まれて、魅羅が襲われる危険があるとだけ話していた。筑木さんが集めた情報というだけで、俺の話に信憑性を与えてくれた。しかし、魅羅の話の核心に当たる部分については、まだ、俺の心の中に秘めておきたかった。
誰にも話さないという魅羅との約束をできるだけ守りたかった。筑木さんにはやむなく話したが、これ以上、広めることは避けたかった。
「了堅先生の影響力を一掃したい勢力から言って、魅羅は脅威なんだよ」
そのために魅羅が狙われることは、本当のことだ。ただ、魅羅の話の核心部分を知ると、その可能性が著しく高いということが分かるのだ。
「だから、できるだけ魅羅の側にいたいけど、龍岳さんに迷惑を掛けないためには、こうするしかないんだ」
「……」
龍岳さんの名前を出されると、霊奈も言い返すことができなかったようだ。
「それにさ、俺が相談をしたのは、筑木さんと霊奈だけなんだぜ」
「そ、そうなの?」
「ああ、霊奈は、俺にとって信頼できて、頼りになる存在なんだよ」
「そ、そう言われると協力しない訳にいかないわね!」
意外とチョロかった。
「でも、真生。一つだけ約束して」
「な、何だ?」
「魅羅ちゃんと、そ、その……恋人のふりをする訳じゃない。ということは、その……」
「何だよ?」
いつになく霊奈の歯切れが悪い。顔も赤い。
「あ、あんまり、魅羅ちゃんといちゃつかないでよ! 喜んで、いちゃついてたら殺すからね!」
「い、いや、殺さないでくれよ。まあ、必要以上にいちゃつこうとは思ってないけど、魅羅の好意を拒んでいると見られないようにはしないといけないからさ」
「魅羅ちゃんって積極的だから、何か、真生、そのまま行っちゃいそうで怖いのよ」
「行っちゃうって、どこへ?」
「……馬鹿! 自分で考えろ!」
霊奈は、ぷいっと踵を返して、俺の部屋から出ようとしたが、ドアの前で立ち止まり、また振り向いた。
「でも、ちゃんと協力する。それは約束する」
「ありがとう、霊奈。やっぱり、霊奈は頼りになるぜ」
「誉めたって何にも出ないよ!
霊奈は、「いーだっ!」と顔をしかめてから、俺の部屋から出て行った。
ということで、俺は魅羅と偽カップル役をすることになった。
魅羅には、この作戦のことを相談する必要はないだろう。俺がデートに誘うと、思い切りイチャイチャしてくるはずだ。そして、それを見せつけなければならないから、できれば外が良いな。
そういえば、夏休みだというのに、海に行っていない。
っていうか、俺が獄界に来て、初めての夏でもある。地界では、彼女は当然だけど、一緒に遊びに行く友達すらいない寂しい青春を送っていて、夏休みはエロゲ三昧で、ずっと家にこもっていたけど、今は一緒に遊びに行ってくれる女友達もいる。今までの分を含めて、青春を満喫したいじゃないか。
よし! 海に行こう!
ということで、交換したての魅羅のアドレスに「明後日、海に行くことになるかもしれないけど行くか?」とメールを送ると、三秒後には「行きます!」と返信があった。
もちろん、その後、どこに泊まるのかとか、何を着ていけば良いのかとか、魅羅の妄想が暴走し始めていたので、とりあえず、「行けるようになれば、またメールする」とメールした。魅羅と二人きりだと、霊奈が言うように、魅羅の暴走に俺が負けてしまう恐れがある。それに、霊奈も一緒に連れて行かないと、後から殺される。
そうだ! どうせなら、幽奈さんと妖奈ちゃんも誘おう!
妖奈ちゃんも今日でコンサートツアーが終わって、家に帰って来るはずだし、いつも着物をきちんと来ていて、その白い肌をほとんど見ることがない幽奈さんの水着姿は猛烈に見てみたい!
夕食時。
龍岳さんは今日も仕事で不在だが、久しぶりに三姉妹が揃っての夕食だ。
と思って、ダイニングに降りていくと、幽奈さんと霊奈が少し沈んだ顔をして食卓に座っていた。もう帰って来ているはずの妖奈ちゃんの姿が見えないことが関係しているのだと直感的に分かった俺は、「妖奈ちゃんはまだ帰ってないんですか?」と幽奈さんに訊いた。
「帰って来たんですけど、落ち込んでて」
「コンサートツアーは大盛況に終わったんじゃないんですか?」
今朝の芸能ニュースでそう言っていた。コンサートの模様も映し出されていたけど、妖奈ちゃんも楽しそうに歌い踊っていた。
「ええ、それはそうなのですが」
「声優のオーディションに落ちたんですって」
幽奈さんが言いづらそうにしているのを見て、霊奈が言った。
「声優は、本業って訳ではなく、何かのきっかけにしたいって言ってましたよ。本業のコンサートツアーが成功したんなら、それで良いような気がしますけど」
「そうなんですけど、本人は意外と気にしてたようなんです」
「それで、妖奈ちゃんは?」
「部屋に閉じ籠もってて、ご飯も食べたくないって言っているんです」
どうしたんだろう? 妖奈ちゃんらしくないな。
「幽奈さん、俺、ちょっと妖奈ちゃんと話しても良いですか?」
「ええ、ぜひ! 私と霊奈も声を掛けたんですけど、元気にならなくて」
「分かりました。ちょっと、行ってきます」
幽奈さんのお許しをもらって、俺は二階の妖奈ちゃんの部屋の前まで行った。
コンコンとドアをノックして、「妖奈ちゃん! 俺だよ。ちょっと入って良いかな?」と言うと、すぐにドアが開いた。
「真生兄ちゃん」
「妖奈ちゃん、ちょっと良いかな?」
「うん、どうぞ」
思っていたより元気な返事が返ってきた。
俺がドアを開け、妖奈ちゃんのピンク色の部屋に入ると、妖奈ちゃんはベッドに腰掛けた。少しボサボサの髪は、今までベッドに横になっていたからだろう。
俺は、何気なく、妖奈ちゃんの隣に座ろうかと行きかけたが、今朝の妖奈ちゃんのコンサート映像が頭に浮かび、会場を盛り上げてくれていたファンのみんなに申し訳ないという気持ちがわき上がった俺はベッドに座らずに、その前の床に胡座をかいた。
「とりあえず、妖奈ちゃん、コンサートツアーの成功おめでとう!」
「ありがとう、真生兄ちゃん」
「今朝、テレビでもやっていたよ。すごく盛り上がってたじゃん」
「うん、すごく楽しかったよ。お客さんもいっぱい来てくれていたし、妖奈の歌の評判も良かったんだよ」
「すごいよ! 家族に超人気アイドルがいるって、俺もますます鼻が高くなるよ」
「でも、声優のオーディション落ちちゃった」
妖奈ちゃんのテンションが一気に落ちた。
「えっと、妖奈ちゃんは、最初から声優を目指していたわけじゃないだろ? コンサートツアーが大成功だったんだから気にするなよ。アイドルとして、もっともっと有名になったら、向こうから声優の依頼が来るんじゃね?」
「でも、せっかく真生兄ちゃんに手伝ってもらったのに」
「えっ……」
「それに、あのアニメ、真生兄ちゃんも大好きって言ってたでしょ? だから、絶対、受かりたかったの」
俺が好きだって言ったから、あのアニメの声優に挑戦したのか?
「声優のオーディションに受からなかったから、俺が悲しむと思ったの?」
「と言うか、真生兄ちゃんに喜んでほしかったから」
くそう! 本当に可愛い妹キャラだ! 抱きしめて頬をすりすりしたいくらいだ!
「俺は、今こうやって、妖奈ちゃんが無事帰って来てくれて、今日から一緒にご飯を食べたり、いろんな話ができることの方がずっと嬉しいぜ」
「真生兄ちゃん……」
「俺もけっこう複雑な気持ちなんだよ。妖奈ちゃんが今以上の人気者になるということは、俺の妹から、みんなの妹になってしまって、俺が妖奈ちゃんと一緒になる時間がそれだけ少なくなるってことだろ? 寂しいけど嬉しいんだ。何かよく分からないけど」
「……」
「俺の好きなアニメは、あれだけじゃなくて、まだ、たくさんあるんだ。だから、妖奈ちゃんに声優をしてもらいたいアニメキャラは、まだまだいっぱいいる」
「そうなんだ」
「ああ! だから、今は、コンサートツアーで疲れた体をゆっくりと休めて、次は、ベストの状態で声優に挑戦してもらえれば良いさ!」
「……うん、分かった!」
妖奈ちゃんは、ベッドから跳び上がるように立ち、すぐに俺の前にぺたんと女の子座りをした。
「ねえ、真生兄ちゃん」
「うん?」
「また、一緒にお風呂に入ろうね」
「えーっ!」
「約束だよ」
「い、いや、それはちょっと」
「えへへ、焦る真生兄ちゃんも可愛い!」
「可愛いって。年上の男をからかわないでよ」
「からかってないよ。本当のことだもん。それに、真生兄ちゃんと話すと、すぐに元気になれる!」
「そう言ってくれると、俺も嬉しいよ」
「うん! 真生兄ちゃん、ずっと妖奈の側にいてね」
「追い出されないうちは、この家に居候させてもらおうかと思ってるよ」
「それもそうだけど、もっと、ずっと側に!」
「えっ?」
妖奈ちゃんが俺に飛びついて来た。ぶつかってきた妖奈ちゃんの体を抱き留めるようにして、俺は後向いて倒れた。
仰向けの俺の上に人気アイドルが覆い被さっている、この状態を何と言えば良いのだろうか?
「真生兄ちゃん大好き!」
「分かった! 分かったから、離れようよ」
この状態を霊奈に見られると、確実に殺されるし、幽奈さんに見られたら、この家から追い出される。
「は~い」
妖奈ちゃんは素直に体を起こした。
「私、絶対、真生兄ちゃんからも好きって言ってもらえる女の子になるからね!」
「お、おう」
そのタイミングで俺の腹がぐ~となった。
「えへへ、お腹、空いたね」
「妖奈ちゃんも?」
「うん! 真生兄ちゃん、妖奈も晩御飯、ちゃんと食べるって、幽奈に言ってもらって良い?」
「おう、もちろん!」




