初めての選挙戦(10)
次の日。
三十三区にある有名な寺院で了堅先生の告別式が神聖自由党の党葬として執り行われることになっていた。
この告別式が終わるまで、神聖自由党は喪に服するという意味を込めて、一切の選挙運動を自粛していた。だから、龍岳さんも前の日の夜、家に戻って来たが、実際に葬儀を執り行う委員会の仕事もあることから、黒紋付き袴姿に着替えてから、今朝早く、一足先に家を出て行った。
妖奈ちゃんも、この告別式に出席するためにツアー先からとんぼ返りしてきて、告別式が終わると、また、ツアー先に戻るという無茶苦茶なスケジュールになっていたが、中学の制服を着ている妖奈ちゃんは愚痴一つ言わずに、黒紋付き留め袖姿の幽奈さん、高校の制服姿の霊奈と俺と一緒にタクシーに乗っていた。
魅羅が妖奈ちゃんのような妹が欲しいと言っていたように、妖奈ちゃんも魅羅との家族同士のつき合いがあり、どんな時も礼を失しないようにという龍岳さんの考え方に従ったものだった。
会場の寺院には、いくつも献花が飾られており、入口の記帳場まで大勢の人が並んでいて、了堅先生の人脈の広さを証明していた。
会場に着くと、受付で記帳をしてから会場に入った。大きな伽藍の中に広い会場があり、そこに見渡す限り並べられていたパイプ椅子の前の方に案内された。龍岳さんの家族ということでその位置になったのだろう。
自分達の席からは祭壇の中央に掲げられている了堅先生の遺影もはっきりと見えた。
その祭壇の前、焼香台の左右に並べられたパイプ椅子の向かって左の一番中央に近い席には、顔のあちこちに絆創膏を貼った了斎先生が座っており、その隣に座っている女性は、おそらく了斎先生の後妻さんだろう。
一方、焼香台を挟んで反対側の中央に近い席には、黒いドレスを着た魅羅が座っていた。了斎先生の方をまったく見ようとせずに焦点の定まらない目で前を向いていたが、俺達を見つけたのか、少し顔を和らげて俺達に会釈をした。
俺達も静かに魅羅に会釈をしたタイミングで、どこかに待合室があったのか、喪服姿の男性達がぞろぞろと会場に入って来て、客席側の最前列に座った。その中に龍岳さんの姿もあり、神聖自由党の重鎮達のようだ。
「まもなく総理が到着いたしますので、今しばらくお待ちください」
進行係のアナウンスがあってから、三分ほどで総理が会場に入って来た。
シークレットサービスと思われるガタイの良い男性二名を引き連れて最前列中央の席に座ると、男性二名は総理のすぐ後列の席に座った。
告別式が始まり、総理や幹事長の弔辞の後、読経とともに司会から呼ばれた出席者が焼香台に進み出て、順番に焼香を済ませた。
最初はもちろん総理だが、その後は政府や党の役職の序列に関係なく呼ばれた。おそらく党内での影響力の強さ順なのだろう。ちなみに副幹事長の龍岳さんは、総理、副総理、幹事長、財務大臣、経済産業大臣、総務会長、政調会長、国対委員長の次、最初から九番目に呼ばれた。神聖自由党の実力者第九位ということだ。
俺は、幽奈さん、霊奈、妖奈ちゃんの三姉妹とともに呼ばれ、四人揃って前に出た。了斎先生側の親族席にまずお辞儀。そして魅羅の側の親族席に向きを変えお辞儀。祭壇に向いて一礼。四人揃って焼香を済ませて席に戻った。
列席者全員の焼香が終わるまでに三十分ほど掛かった。
最後に出棺となり、棺は輝星会の若手議員らによって担がれ、外で待っていた霊柩車へと運び込まれた。
その霊柩車の前に親族が並んで立った。魅羅は了堅先生の遺影を胸に抱いて、了斎先生とその奥さんとは少し距離を取って立っていた。
司会が、親族代表として了斎先生の挨拶をあると告げると、片手には杖をついた痛々しい姿の了斎先生が一歩前に出た。
「本日は、父、東堂了堅の葬儀にお集まりいただき、また、心からの送別のお言葉、ご礼拝をいただきありがとうございます。父も喜んで『地獄』に行っていることと思います」
まずは、形通りの挨拶を行っていたが、やはり政治家だけに総選挙のことに触れないことはできなかったようだ。
「現在、我が党は戦いの最中にあります。父の喪に服するということで、皆様方にはご迷惑をお掛けしておりますが、明日から再び戦いは始まります」
了斎先生は、そこで一旦、言葉を切って、霊柩車の周りに集まっている列席者をゆっくりと見渡した。
「私は、地獄の在り方について、党の方針とは少し違った意見を持っております。それは、父ともこれまで何度も話し合いをしましたが、最後まで意見の一致を見ることはできませんでした。将来のことは誰にも分かりません。だから、どちらの意見が正しいのかは歴史の審判を待たなければならないでしょう。しかし、これだけは言えます!」
了斎先生は再び間を取った。
「この獄界の幸せを真剣に考えているのは神聖自由党だけだということです! そして、神聖自由党は自由闊達に意見を述べることができる気風に満ちています。それだけ懐が深いのです。野党のように凝り固まった考え方の連中にこの獄界の行く末を任せることなどできません! まずは、我ら神聖自由党の基盤を盤石なものとし、それから議論を戦わそうではありませんか!」
列席者も真剣な眼差しで了斎先生を見つめていた。その後には記者らしき姿も見えた。
「今回、父や私を襲ったテロは、議員それぞれが自由に意見を言い合って、外から見れば内輪もめをしているかのような、神聖自由党内部の争いが引き起こしたのではないかと国民に誤解をさせるために仕組まれたのではないかと思っています。警察もそう考えているようです」
了斎先生の演説も次第に熱を帯びてきて、まるで演説のようになってきた。
「私は、このような卑劣な行為には屈しません! 何度、襲われようと、この体がボロボロになろうとも、自分の考えを、意志を曲げることはありません!」
輝星会の議員と思われる人達から拍手が起きたが、龍岳さんを含め、党の重鎮と言われる人達は醒めた目でそれを見つめていた。
告別式が終わった日の夜。
夕食を食べながら見ていたテレビのニュースで、今日の了堅先生の告別式の様子が流れた後、了斎先生の記者会見の映像に切り替わった。
「私はこの蛮行を許すことができません! まだ、犯人は見つかっていませんが、狙われたのは私の車でした。それを急遽、父親の迎えにやったばかりに、父親が犠牲になりました」
了斎先生は、歯を食いしばりながら、悲しみを必死に堪えているようであった。
「私は、私の代わりに犠牲になった父親の分まで戦い抜きます! 卑劣なテロに屈しません! これからも自分の考えを押し通していきます!」
内容的には、出棺の際の挨拶に述べたことと同じだったが、絆創膏をあちこちに貼った痛々しい姿でのアピールをテレビ放送されたことは、了斎先生のイメージアップに、かなりの効果があっただろう。
翌日も、この事件のことが大きく報道されていた。
まだ、警察から何も発表がされていない段階にもかかわらず、テレビの報道記者達は好き勝手に事件の真相を推理していた。
了斎先生は、神聖自由党内で突出した地獄民営論者だ。その了斎先生が狙われたということは、普通に考えれば、地獄民営化に反対する勢力、神聖自由党の主流派と呼ばれる派閥の中でも強硬派の犯行だと疑われるという読みをしている人が大半だった。
しかし、その報道記者を含め、一般の国民は、神聖自由党のプライベートアーミーのことを知らない。そもそも、主流派と主義主張が違うとはいえ、選挙戦真っ最中というこの時期に、こんな騒ぎを起こす理由がない。何よりも「獄門の番人」を始めとする神聖自由党のプライベートアーミーは、自らの存在を明らかにするような派手な殺し方はしない。もし、どこかのプライベートアーミーが了斎先生を亡き者にしようとする場合、人知れず暗殺して選挙戦が終わってから発見されるような工作をするはずだ。
だから、神聖自由党の中には犯人はいないというのが、神聖自由党内では定説になっていた。
そして、事件から二日後。その考えが正しかったことが証明された。
なぜなら、犯人が見つかったからだ。
警察によって、徹底的に爆発物の入手経路が洗われ、了斎先生の車に爆弾を仕掛けることができるチャンスがあった者の一人に行き着いたようだ。
そいつは、了齋先生の車がよく利用しているガソリンスタンドの従業員だったが、警察がそいつの自宅に踏み込んだ時には、自室で毒をあおって冷たくなっていた。
そして、その部屋からは、そいつの自筆による犯行声明的な遺書が見つかった。そこに書かれていた内容から、そいつが野党連合の支持者だったことが分かり、マスコミの論調は手のひらを返したように一変した。野党連合は、自らの主張を通すためならテロも辞さずという危険な思想を持っていると糾弾されるようになってしまい、総選挙の形勢は、一気に与党有利へと傾いた。
また、了斎先生の「テロに屈しない男」又は「父親の死亡を乗り越えて戦う男」というイメージ戦略も成功したようで、輝星会の中でも、了堅先生の流れを汲むグループよりも了斎先生を支持するグループの勢力が強まり、輝星会内での形勢を逆転させつつあった。
選挙戦は最終週に突入した。
相変わらず、龍岳さんは自分の選挙運動をそっちのけで、新人議員などの応援演説で忙しく、日本中を飛び回っていた。
俺や霊奈も選挙戦の手伝いで選挙区内をくまなく回った。
俺も当てもなく街を彷徨うといった、どこかのテレビでやっているお散歩番組のような趣味は持っていないので、御上家の周りの街中をこんなに歩いたことはなかったが、今回、後援会事務所の人と一緒にずっと歩いて回って、新しい店とかも見つけたりして、それなりに楽しめた。
もっとも、日焼けで真っ黒になってしまった。どうせなら海で焼きたかったぜ。
霊奈は霊奈で、選挙カーに乗り込み、龍岳さんの名前を連呼していて、一日が終わると声が枯れてしまっていた。しかし、一晩寝ると元どおりの声になっているのはさすがだ。俺に罵声を浴びせることで喉を鍛えているだけのことはある。
沙奇さんは、選挙戦の実質的な司令塔として選挙事務所に缶詰にされている。龍岳さん本人とも綿密に連絡を取り合って、龍岳さんが選挙区に帰って来られる時を最大限利用して、龍岳さん自身による選挙区での運動をしてもらうためだ。
それと選挙カーの行き先や街頭演説については、野党の候補者とハチ会わないように相手の陣営とも調整をしていた。それを一人でやっているのだから大変な負担が掛かっているはずなのだが、沙奇さんは、いつもどおり飄々とこなしていた。
俺も霊奈も家に帰ると、疲れて、ぐで~となっていたが、幽奈さんの超美味い夕食と特製栄養ジュースで、元気を百二十パーセント取り戻すことができた。
そして、選挙戦最終日。投票日の前日。
俺は、この日、やっと選挙区に戻って来られた龍岳さんと一緒に、地元を回ることになった。
まずは、今は選挙事務所になっている後援会事務所がある地元商店街での街頭演説だ。
トレードマークの羽織り袴はさすがに夏では見ているだけでは暑苦しいからか、合気道の選手のような白い胴衣に黒の袴を着た龍岳さんは、ビールケースの上に立ち、マイクを握った。
さすが政治家生活三十年の龍岳さんだけのことはある。声の抑揚や大小でここまで伝えたいことを伝えることができるという技術に感心する。
民主主義の世界では、支持者たる国民の声を議会で余すことなく伝える必要がある。それが代議士とも呼ばれる議員の職責だ。龍岳さんのぶれることのない主義主張は支持者達に安心感をもたらし、そして希望をもたらしてくれるはずだ。




