初めての選挙戦(4)
選挙には金が掛かる。
地界にいた時から、よく聞いていた言葉だ。
本当にそうなのかと常々疑問に思っていた。
しかし、今の選挙戦の勝敗は、いわゆる無関心層とか無党派層とか呼ばれる人々の動向が鍵になるらしい。と言うのも、そう言う人達が多いからだ。無党派層の人は、その時の全体的な流れとか雰囲気で投票する人を決めるらしい。だから、何かきっかけがあれば、その人達は雪崩を打って、ある候補者に投票をする。龍岳さんには熱心な支持者が付いていて、基礎的な獲得票数は読めるが、無党派層を含めて票数を読むことは難しいし、だからこそ龍岳さんクラスの政治家といえども安穏としていられないのだ。
そのためイメージ戦略を含めた選挙活動を盛んに行う必要がある。実際に、龍岳さんの選挙運動を見ていると、ビラの作製費用、選挙運動員の日当、選挙カーのガソリン代、選挙事務所の維持運営費用などなど、こりゃあ、金が掛かるはずだと実感した。
基本的に他の職業との兼務を禁止されている国会議員の収入は、国から支出される歳費以外にはない。しかも、それは国会議員としての仕事に対する報酬だから、選挙運動に支出することは禁止されている。
政治家の選挙運動資金の入手方法は、党からの助成金と、個人で集めた政治資金だけだ。
そして、政治家個人が選挙資金を集める効率的な方法はパーティだ。
例えば、一人当たりの会費は二万円で二千人を集めれば四千万が一晩で集まる。必要経費を差し引いても三千万は手元に残る勘定だ。
密室で現金の受け渡しをするよりは明朗会計なのだ。
龍岳さんの政治資金パーティは、解散から十日後に開催された。
もちろん、解散総選挙となる前に開催が決まっていたもので、三十三区でも屈指の豪華さを誇るインペリアルホテルで「御上龍岳君を励ます会」は開催されることになっていた。
龍岳さんは、パーティの開始直前まで、別の選挙区で「神聖自由党」の応援演説をしていて、終わればホテルに直行することになっていた。そして、幽奈さん、霊奈、俺は、家から直接、ホテルに向かうことになった。
俺は、霊奈に見立ててもらったスーツを着込んだ。自分では決めているつもりだったが、姿見を見ると、くたびれたサラリーマンに見えて仕方がない。
そんな俺と違って、お洒落をしている幽奈さんと霊奈は輝いていて、俺も眩しく感じるほどだった。
落ち着いた色合いの振り袖姿の幽奈さんは本当にお姫様に見えた。そして黒の膝丈ドレスの霊奈もどこのご令嬢だよってくらい上品な雰囲気を醸し出していた。
時刻どおりにホテルに到着した龍岳さんが、幽奈さんが持って来た新しい羽織袴に着替えると、もうパーティの開場時刻となった。
龍岳さんを筆頭に、幽奈さん、霊奈、俺の順番で、会場の入口横に立てられた金屏風の前に並んで、招待客を迎えた。
招待客は、龍岳さんのお客様であって、幽奈さん以下の家族には挨拶程度しかしなかったから、俺達は並んで会場に入る招待客に丁寧に頭を下げ続けるだけで良かった。
たまにテレビで見たことがある人が来たが、基本的に知らない人だらけで、機械的に挨拶をしていれば済んだ。
しかし、龍岳さんは、知っている人が多くいて、そのたびに龍岳さんの方から近づいて行って、両手で大袈裟に握手をした。これも選挙用のパフォーマンスなのだ。相手も有力政治家である龍岳さんとの親密なシーンを見せつけることで箔を付けたいのだろう。
定刻にパーティは始まった。
龍岳さんが事務局長を務めている「薫風会」は、現職総理を輩出している派閥だけに、最初の挨拶は氷川総理大臣だった。
鬼塚前総理は病気で辞任したことになっているが、本当は、事件の責任を取って強制的に辞任させられたもので、「獄門の番人」の監視下で自宅軟禁されているようだ。
氷川総理は「薫風会」の代表で、鬼塚前総理の跡を継いで総理大臣に就任した。鬼塚前総理と違い、非常に真面目な人のようだが、反面、華やかさに欠けると霊奈は批評していた。今、舞台で話している氷川総理の挨拶もそれほど面白くなかったが、表でも裏でも派閥を仕切る実力者の龍岳さんに対する最大限の賛辞が送られた。
その後、神聖自由党の重鎮達、スポーツ選手や芸能人などの各界の著名人の挨拶が続いたが、こっちの方は冗談も交えながらで聞いていて面白かった。
来賓の挨拶が終わると歓談の時間となった。
かなり広い会場なのだが、それを埋め尽くすほどの来場者で会場はやかましいくらいざわついていた。
龍岳さんは会場を積極的に回って、握手や挨拶を繰り返していた。近くには沙奇さんがいて、メモも何も見ずに、龍岳さんに相手を紹介しているようだった。たぶん、沙奇さんの頭の中には、今日の招待客全員のデータが綺麗に蓄積されているのだろう。
食べ放題のビュッフェスタイルで、テーブルの上には美味そうな料理がいっぱい並んでいたが、龍岳さんの手前、がっついて食べることなんてできやしない。
ということで、幽奈さんや霊奈、そして俺は、とりあえず、することもなく会場の隅で壁の花状態になっていた。
会場の入口を見てみると、たくさんの人の出入りがあった。たぶん、他のパーティ会場とハシゴをしている人もいるのだろう。
会場のざわつきがひときわ大きくなった。
何だろうと入口を見ていると、露出度が高い衣装を着た女の子が数人会場に入って来ているのが見えた。テレビで何度か見た記憶がある女の子達だった。
「霊奈! あれって、鬼ッ子クラブじゃね?」
今、飛ぶ鳥を落とす勢いのアイドルグループだ。
「ああ、そうだね。あそこの芸能事務所社長の千手さんとお父様が懇意みたいなの」
その女の子達の先頭に立っていた小柄な男性が大袈裟な笑顔を見せながら龍岳さんに近づくと、しっかりと握手をして、握った手を大きく振っていた。
きっと、あれが鬼ッ子クラブが所属している芸能事務所社長なんだろう。
「でも、妖奈ちゃんはあそこの事務所じゃなかったよな?」
「うん。どっちかというと、あの事務所とはライバル関係にある事務所ね」
「それって大丈夫なのか?」
俺の心配は、龍岳さんが親しい芸能事務所とライバル関係にある芸能事務所に娘を入れることで、龍岳さんとあの社長との関係にひびが入ることがなかったのか、ということだ。
「妖奈も悩んでいたけど、自分は御上龍岳の娘だという特別な目で見られたくないって言って、うちとはあまり関係がなかった今の事務所に入ったのよ。もちろん、事前に千手社長に話をした上でね」
「そっか。妖奈ちゃんの覚悟も見事だけど、それを許す龍岳さんもさすがだよな」
家族を誉められると霊奈も嬉しいのか、霊奈は珍しく笑顔を俺に見せた。
「真生も早くお父様に追いつくくらいになりなさいよ!」
「追いつく気がしねえよ」
「何よ! 後継者候補のくせして! じゃあ、せめて頑張りなさいよ!」
「あ、ああ、頑張るよ、それは誓うから」
「本当に?」
「男に二言はない!」
「じゃあ、指切り」
「へっ? こ、ここで?」
確かに、今は、パーティ会場の壁に立っているだけの仕事しかしてないけど、一応、龍岳さんの家族ということは、お出迎えをした時にみんなに見られていると分かっているはずだ。その家族がどうして指切りしてるんだと怪訝な目で見られるんじゃないのか?
自意識過剰かもしれないけど、気になり出すと止まらない。
「霊奈」
俺は霊奈を見ながら、首を後にクイッと曲げた。
霊奈は、すぐに俺の考えていたことを分かってくれたようで、俺のすぐ隣に移動して、肩が触れ合うほど体を寄せてから背中から呼ばした手で、俺が背中で組んでいた手を取った。そして、俺の背中で俺と霊奈は小指をからめた。
何かイケナイことをしているみたいで、ちょっと興奮する。
「指切りげんまん! きっと、なってよね」
霊奈が小声で言うと、二、三回手を振って、小指の絡みを切った。
「一緒に……」
「うん? 何て言った?」
「何でもない!」
指切った後に霊奈が呟いた台詞が聞き取れなかったが、霊奈が嬉しそうな顔をしてたから聞き直すことはしなかった。
などと、霊奈と話していたら、鬼ッ子クラブの女の子を引き連れて、千手社長が俺達の方に近づいて来た。
「ご無沙汰しております」
痩せ気味で背が低い、まるでネズミのような雰囲気の男性で、声も甲高かった。
幽奈さんと霊奈は、千手社長とは顔見知りのようで、幽奈さんと霊奈も笑顔で挨拶をしていた。
そして千手社長は俺に顔を向けると、満面の営業用スマイルで名刺を差し出した。
「初めまして! 私、観音芸能事務所の千手と申します」
「こちらこそ初めまして! 永久真生と言います。俺、いえ、僕は、まだ、名刺を持っていませんので」
「いえいえ、御上先生の後継者と噂されている方ですよね? それであれば、誼を通じておかなければなりませんね」
「まだ後継者と正式に決まっている訳ではないですから」
俺はまだ龍岳さんの養子になっていない。政治の世襲については批判も多いが、龍岳さんを身近で見ていると、政治も一種の伝統芸能のような側面があることが分かって、一子相伝されてしまうのも仕方がないと思った。
「既定路線だと言われていますよ」
千手社長は、そう言うと、後ろに控えていた鬼ッ子クラブの女の子を振り返り見た。
「君達もちゃんと御挨拶をしておきなさい」
五人が「はーい!」と可愛く返事をすると、一斉に俺の周りに近づいた。
「鬼ッ子クラブです! よろしくお願いします!」
ステージでの決めポーズで挨拶されて、俺も思わず同じポーズで返そうかと思ったが、隣の霊奈の今までとはうって変わった険しい視線で我に返った。
「よ、よろしく」
くそっ! 目のやり場に困る。
五人が五人とも爆乳で、その上部分五分の二までが露わになっている衣装で迫られた俺は、健全男子高校生としてどんな反応をすれば良いんだ?




