初めての選挙戦(3)
次の日の朝。
俺が起きた時には、既に龍岳さんは出掛けた後だった。
俺達が朝食を食い終わった頃を見計らったかのように、沙奇さんがやって来た。
「沙奇ちゃんがこの家に来てくれるの久しぶりだよね」
「ああ、そうかも。体はどう?」
「うん、大丈夫だよ。ありがとう」
幽奈さんと沙奇さんのタメ口を初めて聞いた。やはり同級生の間柄だったんだと再認識させられる。
リビングの応接セットに、沙奇さん、幽奈さん、霊奈、そして俺が座って打合せを始めた。
大きな声では言えないが、沙奇さんが持ってきたマル秘資料には、支持者の一覧表にランク付けがされていた。第一順位は龍岳さんが直に挨拶をする人、第二順位は奥さん代わりに長女の幽奈さんが挨拶する人、第三順位は家族である霊奈または俺が挨拶する人、そして第四順位は事務所の人――筆頭秘書の沙奇さんになるのだろうが――が挨拶する人と分けられていた。俺は厳密に言うと家族ではないのだが、既に後継者候補として知っている人は知っている存在になっていたから、とりあえず第三順位ということのようだ。
第一順位の人は、大企業の経営者だったり、各界の著名人のようで、大口の政治献金を納めてくれている人とか、その影響力の大きい人のようだ。
幽奈さんは、やはり体調面での心配があることから、挨拶に行く人も少なめにセットされていた。
「ごめんなさいね。私が思いどおりに動けないから、沙奇ちゃんにも迷惑掛けて」
「幽奈に倒れられる方が困るから。選挙カーは私と霊奈さんで割り振りました」
沙奇さんは、同級生の幽奈さんにはタメ口だけど、年下の霊奈に話す時には丁寧語になる。やはり、霊奈とは龍岳さんの娘という繋がりしかないからだろう。
「選挙カーって、あの車に乗って、マイクでずっとしゃべっている役?」
俺も地界では何度も見聞きしているが、実際の選挙カーに関しては何も知らなかった。
「そうです。録音した音源を流し続けるということもできますが、有権者の皆さんは、候補者やその支援者がどれだけ一生懸命取り組んでいるのかも敏感に感じ取りますから、それは手抜きに思われてしまうかもしれません。ここは常に生で放送したいと思っています」
沙奇さんが俺の問いに答えてくれた。
「選挙カーの放送、一回やってみたかったんです」
そんな願望を持っている女子高生なんてほとんどいないはずだ。やはり、霊奈も小さな頃からそういう光景を見ていたからだろう。
「霊奈さん、ほとんどのウグイス嬢は喉が枯れてしまいます。それだけ過酷なんですよ」
「覚悟の上です!」
「しかし、霊奈、あんな綺麗な声を出せるのか?」
「どういう意味よ?」
――ぽかり!
「霊奈さあ、手を出す前に言葉で答えてくれよ」
「うるさい!」
何か、すれ違った敵陣営の選挙カーに喧嘩を売りそうな雰囲気だ。
しかし、沙奇さんは表情も変えずに俺の顔を見た。
「真生さんは、地元の後援会の皆さんと一緒に活動をお願いします。後援会長さんからは、真生さんにも演説をしてもらった方が良いんんじゃないかと言われています」
最初に後援会に連れて行ってもらった時、俺は練習だと言われて演説の真似事をしたが、その時、俺の体の中にいる龍真さんの霊魂がリードしてくれたようで、自分でもびっくりするくらいに上手く演説ができた。それを聞いている後援会長さんが、もう一度、俺の演説を聴きたいと言っているのだ。
「とりあえず、今日の予定は、霊奈さんが選挙カー、真生さんが私と一緒に後援会回りです。幽奈は今日のところは休んでいて」
「ごめんなさいね。本当はお弁当を作って差し入れをしたいところだけど」
「お弁当も駄目なんですか?」
「ええ。運動員に対して所定の額以内のお弁当の提供は大丈夫なのですが、選挙事務所には運動員以外の人も大勢出入りしていて、誰の口に入るか分かりませんからね。後の精算報告も面倒なのでお弁当は出していない所が多いのですよ」
「本当に厳格にいろいろと決められているんですね」
「これもそれも選挙の公平性を担保するためです。皆さんも何かをしようと思いついたら、まず、私に相談してください。先生を応援するつもりでしたことが、逆に先生を追いつめることになるかもしれませんから」
龍岳さんの第一秘書の沙奇さんの頭の中には、選挙に関する知識もびっしりと詰まっているんだろう。そうでなくては代議士の秘書なんて務まらないはずだ。
俺と霊奈は沙奇さんが呼んだタクシーに乗り込み、選挙事務所に向かった。
三十三区の商店街の一角にある龍岳さんの後援会事務所では、隣の空き事務所も臨時で借りて、一体として選挙事務所となっていた。
中に入ると、龍岳さんの顔がどアップで映っているポスターが壁に何枚も貼られており、奥の一角には祭壇のようになっていて、片目が描き入れられていないダルマが置かれていた。
「来たな、真生君! いらっしゃい、霊奈さん!」
俺と沙奇さんを出迎えてくれたのは、龍岳さんの後援会会長の比婆さんだ。この商店街で昔ながらの八百屋をやっていて、商店街の会長もやっている。
下町臭がプンプンとするこの商店街は、郊外型の大型スーパーやコンビニに押されて、どこも経営が順風満帆という訳ではなかった。そういう商店主にとって、地域密着型で地産地消型の生活スタイルを提唱する龍岳さんは救世主に等しい人気を誇っていた。
「比婆さん、お久しぶりです」
俺と霊奈が揃って比婆さんとその後ろに並んでいる後援会幹部の皆さんにお辞儀をした。
「いやいや~、今回は真生君と霊奈さんも運動に参加できるなんて心強いね」
「はい! 私達も精一杯頑張ります! どうかよろしくお願いします!」
霊奈が、俺には聞かせてくれたことのない丁寧な言葉遣いで、後援会幹部に改めて頭を下げた。
「よろしく! しかし、何だね。真生君と霊奈さんが並んでいると、もう夫婦みたいな感じだね」
「えっ!」
俺と霊奈がユニゾンで驚きの声を上げた。
「ど、どういう意味ですか、比婆さん?」
「いやいや、見たまんまなんだけどさ。何か息もぴったり合ってるみたいだしさ」
「そ、そんなことありませんよ~。いやだなあ~、なあ、霊奈!」
不本意だったが、龍岳さんの支持者の前で霊奈と喧嘩をするわけにもいかず、苦笑をしながら霊奈を見た。
って、何、顔を真っ赤にして固まってるの、霊奈?
「霊奈さん、……霊奈さん!」
「あっ、はい!」
沙奇さんに呼ばれているのにやっと気づいた霊奈が焦って返事をした。
「そろそろ選挙カーが出発します。午前中は霊奈さんにお願いします。これが原稿です」
「あっ、はい! 分かりました!」
「それでは、よろしくお願いします」
沙奇さんに促され、選挙事務所前に出てみると、車体の屋根の四方に「神聖自由党」と書かれた看板を付けて拡声器も装備した、地界でもお馴染みの軽バンが停まっていた。
「あれっ、龍岳さんの名前がどこにも書かれてないですけど?」
「告示日までは選挙運動はできないんです。つまり、特定の候補者の名前を言うことは禁止されていますが、一般の政治活動として政党名を言うことは構わないんです」
選挙は告示されて初めて開始される。それまでは、実質、選挙戦だとしても、特定の候補者の当選を目的とした行為をしてはいけないということのようだ。
「じゃあ、行ってきます!」
俺と沙奇さんにそう言うと、霊奈は車の助手席に乗り込んだ。
「霊奈、頑張れよ」
俺が声を掛けると、窓越しの霊奈の顔が赤くなった。
「う、うん。真生もね」
「ああ!」
霊奈が乗った選挙カーを見送った俺と沙奇さんは、選挙事務所に戻った。
沙奇さんと俺はこれから支持者を対象にした「国政報告会」をすることになっていた。さっきも言っていたが、まだ告示前なので、龍岳さんに清き一票などと言うことはできない。だから、いつもと同じ、選挙区の支持者の皆さんに国会であったことなどを報告する集会をするのだ。
集会は、選挙準備のため、ごったがえしているこの事務所ではなく、すぐ近くの貸し会議室で行うことにしていた。
しかし、副幹事長という党の重役で、他の議員の応援や選挙運動全体の管理という職務に加え、薫風会のプライベートアーミー「獄門の番人」の司令官として、派閥間でのいざこざの仲裁なども行っている龍岳さんは、本当は体が三つくらいあるのではないかというくらいの八面六臂の活躍だ。
俺と沙奇さんの今日の役目は、そんな忙しい龍岳さんに代わり、後援者の皆さんに挨拶をすることだ。実力者の龍岳さんが忙しいことはみんな知っているから、龍岳さんが来ないことで不満を言う支持者はいなかった。むしろ、自分達が応援している龍岳さんが、それだけ忙しいイコール人望があり実力もある議員だということを思い知らされ自慢したくなるみたいだ。
午後一時からの国政報告会は、まず、実際に国会の最前線にいる議員秘書である沙奇さんが現在の政局の動きについて報告をして、その後に俺が龍岳さんへの応援をお願いする演説をすることになっていた。もちろん、選挙のことには触れないようにと沙奇さんから釘を刺されていた。
地界にいる時には、当然のことながら人前で演説なんかしたこともなかったが、獄界に来てから何回か経験をしている。そのすべてにおいて頭の中に演説原稿が浮かんで来た。それは、俺の体の中にいる龍真さんの霊魂の助けによるものだった。
戦いとか演説とか、今まで俺が経験したことがないことをする時、龍真さんがいつも助けてくれた。それも俺が特に意識することなくだ。
俺と沙奇さんが比婆さんの跡に続いて外に出ると、真夏の太陽が容赦なく照りつけていた。
「沙奇さん、日傘を差さなくて大丈夫ですか?」
同い年の幽奈さんは外に出ることは滅多になかったが、外に出る時は必ず日傘を差していたから気になった。
「ええ、邪魔なだけです。それに先生だって真っ黒に日焼けなさるでしょうから、秘書の私だけ白いわけにいきません!」
システム手帳代わりのタブレットを常に持ち歩いていて、日傘など差せる体勢ではない。
しかし、沙奇さんは龍岳さんより楽をしていけないと思っているようで、龍岳さんが「死ね」と言えば、喜んで死ぬ覚悟を持っていそうだ。
「沙奇さんは、本当に龍岳先生が好きなんですね?」
「それはそうです。自分の仕えている先生が好きでなくて、どうやって支えていけると思います?」
「でも、龍岳さんの秘書になったのは、幽奈さんつながりなんですか?」
「きっかけはそうです」
きっかけは? それ以外の理由は何かあるんだろうか?
なんて悩むことはない。沙奇さんは龍真さんと何か特別な関係にあったことを自ら話している。ここまで政治に、そして龍岳さんにのめり込んでいるのには、きっと、龍真さんのことが影響しているに違いない。




