初めての選挙戦(1)
地界の霊魂回収の最中に俺の肉体が奪われたことは、追加の事情聴取もなく、警察も動かず、マスコミも続報を報道しなかったことから、どうやら闇から闇に葬られそうだ。
しかし、東堂了齋先生のグループとそれに賛同する他派閥の勢力は、極左勢力が更なるテロ行為に走るという噂を流布して国民の不安を煽り、地獄イコール静穏な社会を阻害する存在というイメージ戦略に、これでもかと言うくらい利用していた。
与党内の反対勢力の台頭は、野党連合「民主改革連合」も勢いづかせ、政権交代後には、了齋先生のグループが神聖自由党を脱退して、野党連合と連合政権を組んで、了齋先生を首相とするなどという構想までマスコミを賑わしていた。もっとも、了齋先生は神聖自由党を割って出るということは考えておらず、飽くまで党の中から改革を進める立場だと力説していたが、ほとんどの人は政界再編を信じて疑わなかった。
少しだけ時は流れて、学校は夏休みになった。
今日からは寝坊をするぞ、と昨日の夜、パソコンでエロゲを夜遅くまでプレイしていたのに、いつも霊奈が起こしに来る時間よりも前に目が覚めてしまった。
しかし、よく考えれば不思議なことではない。
学校がある時には眠くて仕方がない朝も、学校が休みだというだけでハイテンションだったりするのは珍しくないことだ。
しっかりと朝ご飯を食べて、体力を充実させて、今、攻略中のエロゲをコンプさせるか!
俺は勢いを付けて起き上がると、パジャマを脱ぎ捨てて、パンツ一丁になって、ベッドから飛び降りた。
着替えを取ろうと洋服タンスに向かいながら、以前、妖奈ちゃんにお尻の割れ目を見られたことを思い出し、何気なくお尻に手をやると、案の定、パンツが破れて、お尻が丸出しになっていた。
どうせ人に見せるもんじゃないから、できるだけ安物を買って、浮いたお金をエロゲ購入資金に回していたが、さすがに、これだけ相次いで簡単に穴が開くようじゃ考え直さなくてはならない。安物買いの銭失いとはよく言ったものだ。
とりあえず、履き替えようと、ドアに背を向けてパンツを下ろした時!
「真生! 朝だぞ!」
いきなりドアが開いて、霊奈の声が聞こえた。
俺がゆっくりと頭だけを回して振り返ると、霊奈が、お尻丸出しの俺の姿を見て、顔を真っ赤にして、体を震わせていた。
「ま、真生! 何て格好してるのよ!」
握った拳骨を震わせるのは止めろ!
「ちょっと待て! ここは俺の部屋だ! 俺が部屋でどんな格好をしてても良いだろうが! それに男の部屋に入るのに、ノックくらいしろよ!」
今、体ごと霊奈の方に向くと、更に酷いことになるから、霊奈に背を向けたまま文句を言った。
「あ、あんたが勝手に起きてるから悪いのよ!」
これまで、毎朝、霊奈が勝手に俺の部屋に入って来て、俺を起こしてくれた時には、俺はいつも夢の中だった。だから、霊奈もいつもどおりの感覚で俺の部屋に入って来たのだろうが、今日から夏休みなのに早く起きている俺が悪いらしい。
「と、とにかくさ、出てってくれないかな。俺、超恥ずかしいんだけど」
霊奈には、俺が獄界に来たその日に裸を見られたことがあるが、だからって慣れるもんでもない。
「あ、朝御飯できてるから、すぐに降りて来なさいよ!」
霊奈は、そう言い放って、俺の部屋を出て行った。
逆ギレですか? どう考えたって、霊奈が悪いだろ?
ったく! 可愛くねえ!
などと、一人でぷんぷんと腹を立てながら着替えを済まして、食堂に行こうと部屋から出た。
「あれっ?」
俺の部屋の前に、小さな熊のぬいぐるみが置いてあった。
見覚えがあるぬいぐるみ。確か、霊奈の部屋にあったはずだ。
よく見ると、ぬいぐるみの下にメモが挟み込まれていた。
ぬいぐるみごとメモを取ると、「ごめんなさい」と書かれていた。
――本当に素直じゃねえな。
食堂に降りると、霊奈はもう食卓に着いていた。
俺が霊奈の正面に座ると、霊奈は照れくさそうに目をそむけた。
「おはようございます、真生さん」
「おはようございます、幽奈さん」
今日も着物の上に割烹着を来た幽奈さんが、俺の朝食をお盆に乗せて持って来てくれた。
いつもは和食が多いのだが、今日は夏休み初日ということで休日メニューのようだ。
メイプルシロップがたっぷりとかかったパンケーキ、クラムチャウダー、ベーコンエッグ、サラダ、そして幽奈さん特製ベジタブルジュースだ。どこのホテルの朝食だよってくらいリッチな感じがするぜ。
幽奈さんが自分の分の朝食をテーブルに持って来てから、俺と霊奈も「いただきます」と言って、食べ始めた。
今朝の食卓は、この三人だけで、俺の隣、幽奈さんの正面が指定席の妖奈ちゃんは夕べ遅くに出掛けていた。
「妖奈ちゃんは、今日から泊まりでしたっけ?」
「ええ、来週からのコンサートツアーに向けて、昨日の夜から合宿しながら、リハーサルをするそうですよ」
頑張ってるなあ、妖奈ちゃん。
中学生アイドル妖奈ちゃんにとって、夏休みは芸能活動のための時間がまとまって取れる貴重な時間だ。この夏は、アイドルになって初めてのコンサートツアーをするということで、妖奈ちゃん自身はもちろん、スタッフや事務所も盛り上がっているそうだ。
「妖奈は弱音を吐くことが嫌いだから、無理しなければ良いのですけど」
幽奈さんが七歳下の妹のことを心配する姿は、まるで母親のようだ。というか、十年前に、この三姉妹の母親が死んでからは、実質、幽奈さんが妖奈ちゃんの母親代わりなのだろう。
そして、この家のビッグダディである龍岳さんは今朝もいない。むしろ、いる方が珍しい。
何といっても、政権与党の副幹事長で、派閥「薫風会」の事務局長で、その上そのプライベートアーミー「獄門の番人」の司令官でもあるという、体がいくつあっても足りないだろうと思ってしまうほど激務をこなしているのだ。食事を家族と一緒にとることは一週間に一日あれば良い方だった。
いつもどおり、幽奈さんがテレビのニュースを付けると、臨時ニュースが入ったようで、少し興奮したアナウンサーの声が流れてきた。
「今、飛び込んで来たニュースです! 氷川総理は衆議院を解散させることを決断したようです! 繰り返します! 氷川総理は衆議院を解散させることを決断したとのニュースが飛び込んでまいりました!」
みんなが一瞬のうちにテレビに釘付けになった。
地界にいる時には、政治のニュースなんて、興味もなかったし、そもそも何が何やら分からなかったから、そんなにじっくり見ることはなかった。
しかし、政治家を生業にする家に居候をして、しかもその後継者候補という立場になってみると、嫌でも政治のニュースに敏感になる。
当然のことながら、衆議院が解散されると、衆議院議員は、その地位を失って、総選挙が四十日以内に実施される。
衆議院議員である龍岳さんも長い選挙戦に突入することになるのだ。
「あ~あ、これじゃお婆様の所に行くのは駄目っぽいね?」
「そうね。行けても、日帰りかもしれないわね」
幽奈さんと霊奈ががっかりした様子で話していた。
そういえば、夏休みには、母方の実家に行くと霊奈が話していた。俺も一緒にと言われていたが、そんな時間が取れないほど忙しくなるのだろうか?
俺も選挙などやったことのないから分からない。
「霊奈も選挙の手伝いとかしたことはあるのか?」
「ううん。前回は三年前で、私はできなかった」
三年前というと、霊奈が今の妖奈ちゃんと同じ中学生で、幽奈さんが高校三年生の時だ。
霊奈の部屋で見た幽奈さんの制服姿が俺の脳内シアターに流れてきた。しかし、落ち着いた雰囲気の今の幽奈さんに学校の制服を着せると、コスプレ感が半端ない。
「十八歳の成年に達していないと選挙運動には参加できないんです。前回は、私はぎりぎり達していましたから、体調に障らない程度にですが、お手伝いをしました」
「でも、今回は私と真生もできるよ。ソウルハンターは成人してると見なされるから」
「ということは、霊奈も初めての選挙戦ってことか?」
「ええ、でも、選挙事務所にも、いつも顔を見せて、いろいろと見ていたから、何となくだけど、大変なのは分かってるつもり」
三年前には、霊奈が大好きだった兄である龍真さんが亡くなっている。きっと、霊奈は龍真さんの代わりに自分が龍岳さんの跡を継ぐと決心していて、まだ中学生だったにもかかわらず、選挙事務所に通い詰めていたんだろう。
「真生はどうする?」
真面目な顔をした霊奈から訊かれた。幽奈さんや霊奈は龍岳さんの家族で、当然、選挙運動に参加するだろうが、俺は居候をさせてもらって家族同然の付き合いをさせてもらっているが、血のつながりからいうと他人だ。だから、霊奈は「どうする?」と訊いたのだろうが、俺の答えは一つしかない。
「俺も手伝うよ。これまで選挙に興味すらなかったから、何をすれば良いのかも分からないけど」
「真生さん、ありがとうございます」
幽奈さんが座ったままだが、深く頭を下げた。
「い、いえ、居候させてもらってるんですから、当然ですよ」
俺が謙遜して言うと、幽奈さんは嬉しそうに笑った。
食堂に置いている電話が鳴った。
すぐに幽奈さんが出ると、「お父様」という声が聞こえた。どうやら、龍岳さんからの電話のようだ。
「分かりました」
そう言って電話を切った幽奈さんは、俺と霊奈を交互に見ながら言った。
「今晩の夕食には絶対帰って来るそうです。そこで、私達に話があるそうですよ」
その日、霊奈は学校の友達と出掛ける約束をしていたらしいが、キャンセルをして、一日中、家にいた。
俺も部屋に閉じ籠もって、エロゲ三昧と思っていたが、そんな霊奈の行動を見て、政治家の家にとって選挙というのはすごいことなんだなと考えさせられて、ゲームをする気持ちが消えてしまい、結局、俺も部屋でブラブラしたり、たまに食堂に降りて、テレビを見たりして暇を潰した。
食堂では、ずっとテレビが点いていて、幽奈さんが家事をしながらも、ニュース速報がいつ入っても良いようにしていた。
そしてその日の夕方。
たまたま、俺と霊奈が一緒に食堂でテレビを見ている時、ニュース速報が入った。
「衆議院解散!」の文字が大きく映し出された。




