閉ざされた帰り道(9)
次の日の放課後。
俺は、霊魂管理庁本庁に赴いていた。
事情を訊かれる場所として指定された会議室の前の廊下で椅子に座って待っている俺の隣には沙奇さんが座っていた。
こんなことに何回もつき合わされるとたまらないから、龍岳さんの指示で沙奇さんも一緒に来てくれて、一回の事情聴取で終わらせようとしてくれたのだ。
実際に事情聴取が始まると、俺は、肉体を奪われた経緯をありのままに話し、俺の依頼を受けた龍岳さんがお抱えの探偵事務所を総動員して肉体を探してくれて、犯人は分からなかったが、無事、俺の肉体を保護したという事情を沙奇さんが話してくれた。
何と言っても地獄の存続を主張してくれている政権与党の副幹事長の第一秘書の言うことを疑う訳にいかないだろう。霊魂管理庁のお役人達も、沙奇さんの証言をすんなりと信用してくれた。いや、信用してないかもしれないが、更に突っ込んで訊いてくることはなかった。
会議室から出ると、俺は、ホッと息を吐いた。
「お疲れ様でした、真生さん」
いつもどおり冷静な表情で沙奇さんが俺に言ってくれた。
「いえ、沙奇さんこそ、ありがとうございました」
「霊魂管理庁も、この話が大きくなることは避けたいでしょうから、また、事情聴取に呼ばれることはないと思います」
「そうですね。あ、あの、沙奇さん」
「はい、何でしょう?」
沙奇さんは眼鏡を上げながら、俺の顔を見た。
「せめて、お礼の印にお茶でもご馳走させてください。年下が生意気かもしれませんけど……。時間はありますか?」
「気になさらないでください。これも仕事ですから」
「仕事……なんですね」
俺は沙奇さんとそれほど深いつき合いがある訳ではないが、龍真さんと沙奇さんには何らかの縁があったようだ。だから、俺の中にいる龍真さんの霊魂がそう思っているのか、俺もこのまま沙奇さんと別れるのが少し寂しく感じたのだ。
そんな俺の気持ちが、いや、龍真さんの気持ちが分かったのか、普段は表情の変化が乏しい沙奇さんの顔が少しだけ赤くなっているのに気づいた。
「急いだ用事はありませんので、少しだけなら」
「じゃあ、この中にある喫茶室で良いですか?」
「はい」
霊魂管理庁の地下に、けっこう豪華な喫茶室がある。職員用と来客用を兼ね備えており、俺と霊奈もたまにそこで休憩をすることがあった。
エレベーターで地下に降り、廊下を進んでいると、前から歩いて来た男性二人が沙奇さんに気づいたようで、立ち止まり声を掛けて来た。
「これはこれは、御上龍岳先生のところの第一秘書さんではないですか?」
声を掛けた男性は、七三に分けた清潔そうな髪型に、眼鏡を掛けた細面の顔、すらっとした長身にセンスの良いスーツをまとっていた。
「東堂了斎先生、ご無沙汰しております」
沙奇さんが深々と頭を下げた男は、魅羅の父親である了斎先生だったようだ。
少し後ろに下がった所に立っている手帳を持った男は、了斎先生の秘書なんだろう。
「龍岳先生の秘書さんが霊魂管理庁にどんな用件があられるのかな?」
言葉使いは丁寧だが、いちいちトゲがある話し方だった。慇懃無礼というやつか。
「野暮用でございます。そういう了斎先生こそ、どういったご用件で?」
さすが、沙奇さんは龍岳さんの第一秘書をやっているだけのことはある。国会議員を前にしても、何ら怯むことなく相手をしている。
「私は、長官に少し野暮用がありましてね。ところでこちらは?」
了斎先生が俺のことを沙奇さんに訊いた。
国会議員の秘書と一緒に霊魂管理庁にいる学校の制服姿の男子高校生なんて、そうそういないはずで、疑問に思うのも当然だ。
「こちらは、龍岳先生のご親戚筋でいらっしゃいます、永久真生さんです」
「ああ、あの噂の」
了斎先生は大袈裟に驚いてみせた。
「初めまして! 永久真生です」
目の前にいるのは、ひょっとしたら俺の肉体を奪った連中の親玉なのかもしれないが、まだ、何も証拠はない。俺は、とりあえず頭を下げた。
「こちらこそ初めまして! 東堂了斎です」
先ほどまでのトゲトゲしさを潜めて、了齋先生は俺に頭を下げた。まるで有権者向けとその他の者向けを使い分けているみたいだ。
「その制服姿は……。ひょっとして、柳が下学園の生徒さんかな?」
「はい」
「そうか。懐かしいね。私もそうだったんだよ」
私立柳が下学園は、ハイソな一族の子女が多く通学していて、政治家の子女も多かった。
「そう言えば、うちの娘が同じ高校に転校したと思うが?」
「はい。同じクラスです」
「そうですか。いやあ、娘は、私の父親と一緒に住んでいて、しばらく会ってないが、元気かな?」
実の娘なのに暢気なことだ。まあ、それだけ、魅羅と父親の了斎先生との間には、大きな溝ができてしまっているのだろう。
「はい。元気でやってますよ」
「そうかね。まあ、何だかんだ言って、私の一人娘だ。よろしくお願いするよ」
了斎先生は、また、俺に頭を下げた。かなりの自信家のような気がしたから、俺のような若輩者に何度も頭を下げることは嫌じゃないかと思ったが、それでも魅羅のことが心配なんだろう。
「分かりました」
「では、先生。私達はこれで失礼します」
沙奇さんが仕切ってくれて、二人揃って、頭を下げてから、歩き出すと、すぐに了斎先生から呼び止められた。
「真生君、だったよね?」
「はい」
俺と沙奇さんが揃って振り向くと、了齋先生は、また、トゲトゲしさを表情に表していた。
「君は、どうして、こんな所にいるのかな? その秘書さんと同じ用件かな?」
「真生さんはソウルハンターなのです。だから、霊魂管理庁にいてもおかしくはないと思いますが?」
ここでも沙奇さんが俺に代わって答えてくれた。
政治家とのやり取りなんて慣れていない俺が変なことを言わないように、ここは沙奇さんに任せた方が良いだろう。
「なるほど。まあ、龍岳先生は、霊魂管理庁や地獄の守護神のような方だからね。良い所にご厄介になれて良かったですなあ」
片方だけ口角を上げていやらしく笑うと、了斎先生は秘書を引き連れて去って行った。
その後ろ姿が見えなくなるまで見届けてから、俺と沙奇さんは喫茶室に向かった。
「了齋先生こそ、霊魂管理庁長官に何の用事があったんでしょうね?」
「わざわざ、ここに来るだけの用事なんてあるはずがありません。何か用事があったとしても、電話一本で済むはずです」
それもそうだ。そもそも国会議員の了齋先生は霊魂管理庁長官の上司でも何でもないんだから、膝をつき合わせて打合せをしなければいけないことなんてないはずだ。
「それじゃあ、何のために?」
「パフォーマンスですよ。了齋先生は地獄廃止論者です。税金の無駄遣いをしている地獄やその上級庁である霊魂管理庁に出向いて、長官直々に自分の主張をぶつけていると言えば、自分の信じる道を一直線に進む活動的な政治家だと有権者に印象づけることができます」
「あくまでイメージ戦略の一環なんですか?」
「真生さん、先日、龍岳先生もおっしゃていましたが、民衆は本当に愚かなんですよ」
「ちょっと!」
俺は焦って、左右を見渡したが誰も見えなかった。
沙奇さんに視線を戻すと、沙奇さんは優しげな微笑みを浮かべながら俺を見ていた。
そんな顔もできるんだと少し見とれてしまった。
「ちゃんと辺りを確認してから話しています。私が龍岳先生の評判を落とすようなことを人前で言うことはありません」
「びっくりしましたよ」
「ふふふ、申し訳ありません。でも、私が言ったことは本当のことなんです。本当はできもしない公約を、さも簡単に実現できるかのように話す候補者の言葉にコロリと騙されてしまうのです」
国の全般にわたって政治のことを考える有権者なんてほとんどいないだろう。俺だって、自分の目先のことを自分が良いと思う方向に持って行ってくれそうな候補者が良いと思ってしまうはずだ。しかし、その政策を実行することで、国全体がどうなるかを政治家は考えなければならないし、そのためには国民に痛みを伴う政策をとらなければならない時もあるだろう。人は誰しも痛いのは嫌だ。でも、みんなに甘い政策を続けていると、国全体にひずみができてしまい、結局、国民全員が不幸になるおそれだってあるのだ。
龍岳さんはそのことを知っている。だからこそ、龍岳さん本人も、その秘書の沙奇さんも「国民は愚かだ」と言い切れるのだ。
喫茶室に入った俺と沙奇さんは向かい合って座った。二人ともコーヒーをオーダーすると、俺は、正面の沙奇さんの顔に、また、見とれてしまった。
「ま、真生さん、私の顔に何かついているのでしょうか?」
「い、いえ、すみません! つい見とれてしまいました」
「私ほど色気のない女はいないそうですから、それで見とれてしまわれたのでしょうか?」
「そ、そんなこと、ありませんよ! 誰ですか、そんなひどいこと言ったのは?」
「……龍真さんです」
「えっ……、そ、それは、どういうシチュエーションで言われたんでしょう?」
「それは、……秘密です」
沙奇さんの顔が赤い。きっと、ラブラブのシーンで、龍真さんが冗談で言ったに違いない。本気で言うような台詞じゃないもんな。
そして、女性に向かって、そんなことを言えるということは、龍真さんと沙奇さんの仲がそれだけ親密だったと言えるんじゃないだろうか?




