閉ざされた帰り道(8)
「これは関係者から話があったもので、霊魂管理庁は、現在、事実を確認中であるとコメントしています」
テレビのアナウンサーは、そう締めくくると次のニュースを読み始めた。
「まあ、そんな事故があったの?」
お盆に麦茶を入れたコップを二つ載せてテーブルに置こうとしていた幽奈さんが霊奈の顔を見ながら訊いた。
「わ、私は聞いてない。そもそも、霊魂管理庁もこれから確認するって言っているんだから、私達のような嘱託のソウルハンターに知らせてくれるはずがないよ」
「そうなの。でも、怖いわね。二人とも気をつけてね」
「わ、分かりました」
俺と霊奈は、麦茶を一気に飲み干すと、急いで二階に上がった。
そして、俺の部屋の前の廊下で向き合った。
「どう言うことだ?」
「私も分からないよ! でも、了堅先生の話だと了齋先生の命令だと思っているようだった。もし、そうだとすれば、了齋先生がマスコミにリークしたのかもしれないわね」
「何のために?」
「だから、分からないって!」
俺だって分からない。
「龍岳さんなら何か知っているかもしれないな。今日は、龍岳さんは帰って来るかな?」
「あらかじめの予定はなかったと思うけど、たぶん無理じゃないかな」
龍岳さんに何がどうなっているのか訊こうと思ったけど、このことで龍岳さんは帰れなくなったかもしれない。
俺の携帯が震えた。
発信先は、霊魂管理庁だった。
電話に出ると、明日の放課後で良いので、霊魂管理庁に出頭するようにとの指示だった。
今回のことは、龍岳さんにお願いして「獄門の番人」が秘密裏に解決をしてくれた。だから、霊魂管理庁には、俺からは一切何も話していない。さっきのニュースで言っていた肉体を奪われたソウルハンターが俺だと、どうして分かったんだろう?
いや、そもそも、この事件自体がリークされたんだから、そのソウルハンターが俺だってことも一緒に伝えられたのだろう。
嘱託のソウルハンターであっても、事故があった時には、霊魂管理庁に速やかに報告をしなければならないことは知っていたが、秘密の組織である「獄門の番人」が関与したので、どこまで話して良いのか分からなかった。
やはり、龍岳さんに相談したいと思い、霊奈が龍岳さんの携帯に電話をしたところ、案の定、帰れそうにないとのことなので、神聖自由党本部まで来てほしいとのことだった。
また、霊奈と二人で出掛けると、幽奈さんが心配すると思い、俺が友達と会いに行くと言って、夕食後に一人で家を出た。
エア・スクーターを使うと、家から神聖自由党本部まで、あっと言う間だ。
党本部に着いた時には、午後八時を回っていたが、二十階建ての建物のほとんどの窓に灯りが点いていた。
党本部では、玄関ロビーまでは誰でも入れるが、そこから先は党員からの紹介状か関係者の同行がないと入れない。俺も龍岳さんの正式な後継者として党員になっている訳でないから、玄関ロビーで迎えが来るのを待った。
「真生さん」
背後から声を掛けてくれたのは、龍岳さんの第一秘書である恩田沙奇さんだ。
明るいブラウンの髪をアップにして細身の眼鏡を掛けているその顔は知的な印象に溢れていた。また、タイトスカートにスーツ、黒ストッキングに黒パンプスという、いかにも「できる女」臭をプンプンとさせていたが、近くでよく見ると、すごく綺麗な人だ。
「先生は副幹事長室でお待ちです」
「ありがとうございます。沙奇さん、お久しぶりです」
「あっ、は、はい。お久しぶりです」
沙奇さんは、事務処理的には抜群の能力を発揮するが、人づき合いには不慣れだと、龍岳さんもいつも言っている。
でも、俺から先に挨拶されて、焦っている沙奇さんが可愛く思える俺は、どれだけ見境がないんだろう?
沙奇さんの案内で、副幹事長室に入ると、まず秘書の部屋がある。部屋にいた秘書の人達が俺の顔を見ると一斉に立ち上がって会釈をしてくれた。毎回、照れてしまうし、未だに慣れない。
そして、その部屋の奥にあるドアを開くと、そこが副幹事長としての執務室だ。
執務机に座って、何やら難しげな文書を見ていた龍岳さんは、顔を上げると、「座りたまえ」と、俺を執務机の前の応接セットに導いた。
すぐに龍岳さんと沙奇さんも座った。
「先ほど、霊魂管理庁から呼び出しを受けました。昨日の事故について、明日の放課後で良いので報告に来るようにと言われました」
「うむ。そうか」
「でも、どこまで話したら良いんでしょう? 『獄門の番人』のことは言えないですよね?」
「そうだ。『獄門の番人』のような我が党のプライベートアーミーは秘密の組織で、国家機関である霊魂管理庁に対しても明らかにすることはできない」
「ですよね。じゃあ、どうすれば?」
「肉体が無くなった経緯はありのままに話してもらって良い。体をどうやって取り戻したのかは、儂に頼んで取り戻してもらったと言いなさい」
なるほど。俺が龍岳さんの家で居候をしているのは秘密でも何でもないし、国会議員である龍岳さんに相談することも不思議なことではない。それ以上の真相を知りたければ、霊魂管理庁から龍岳さんに直接、話を訊くしかないが、実力者の龍岳さんから事情を訊けるだけの根性がある公務員が霊魂管理庁にいるかどうかだ。
「分かりました。でも、今回のことは、いったい誰の仕業なんでしょう?」
「君は了堅先生に会ったそうだな」
霊奈から聞いたのだろう。
「はい。でも、俺の件については何も知らないと言ってましたし、実際、そんな感じでした」
「そうか」
「了堅先生は、了齋先生の仕業じゃないかと疑っていました」
「うむ。我々もそう思っている。もちろん、まだ裏付けが取れている訳ではないので、はっきりとしたことは言えないが」
「もし、そうだとして、了齋先生の狙いって何なんでしょう?」
「今日のニュースだよ」
「えっ? どういうことですか?」
「了齋先生は、我が党に籍を置きながらも地獄民営論者で、それができなければ、最低限でも地界の霊魂回収から手を引くことを主張している」
「そんなことできるはずがないじゃないですか! 獄界の霊魂だけを回収しても意味ないですよ!」
そもそも霊魂は、時空を超えて地界と獄界を自由に行き来できる。だからこそ、ソウルハンターは幽体離脱をして地界に行っているのだ。
地界の霊魂が時空を超えて獄界にやって来ることも十分にあり得ることで、そんな浄化されていない霊魂が新生児に宿ることになれば、かつて獄界を統一した大王の復活を許すことになるだろう。今まで、それを防ぐために地獄を運営してきた努力が水の泡になる可能性だってあるのだ。
「柳が下大学のとある教授が地界と獄界を行き来する霊魂はほとんどいないという学説を発表していてな。それを根拠に、地界の面倒まで見る必要はないと言っているのだ」
「その学説は何を根拠にしているんですか?」
俺がソウルハンター試験の時に勉強した参考書にも、そんな説はどこにも載ってなかった。
「フリーのソウルハンター達に実際にカウントしてもらったと言っているが、どこまで正確にできているか、実際には、かなりな眉唾物のようだ」
「そうだと思います。何で、そんな根拠もない学説がまかり通るんですか?」
「真生君、これは実際の選挙では、口が裂けても言ってはいけないことだが、民衆と言うのは愚かなのだよ」
珍しく辛辣な龍岳さんの言葉に少し戸惑った。
「ソウルハンターの力を持たない民衆は、霊魂が見えないし、感じることもできない。地獄にある特殊なフィルター眼鏡を付けることで、少なくとも見えるようにはなるが、懐疑的な人々から言わせると、あれは手品だそうだ」
「疑えばキリはないですけど……」
確かに、地獄には見学コースがあって、特殊フィルターの眼鏡を掛けることで、誰でも霊魂の姿を見ることができる。だが、そのフィルターは一般に売り出しておらず、地獄以外の場所で見ることはできないことから、遊園地のアトラクションか何かと勘違いしている人もいるかもしれない。
「地獄の存在は知っていても、国民の大多数は、普段の生活の中で霊魂を意識することはほとんどない。そんな人々にとって、かつての大王の再来を防ぐためだと言われて、地獄の必要性を実感する者はそんなにいないだろう」
「まあ、確かに浄化されていない霊魂が新生児に宿って超天才児が誕生して、そこからその子孫による世界の支配というシナリオは、かつて実際にありましたが、もう一度同じことが起きるとは限りませんからね」
「そうだ。そんな目に見えない、あるいは可能性の一つにすぎないことを恐れて、莫大な赤字を垂れ流す地獄を運営することにどれだけの意義があるのか、理解を得ることは難しいだろう。人々は、そんなあるのかないのか分からないことより、今、目の前の生活に必要な政策で判断しようとすることもやむを得ないことなのだ」
「そうかもしれませんね」
「そして、今回、ソウルハンターが幽体離脱中に肉体が盗まれるという出来事があった。地界の霊魂回収に反対する過激派によるテロではないのかという説が世間ではまことしやかに囁かれている」
「それって、了斎先生にとってはマイナスなイメージを植え付けるんじゃないんですか?」
「同じ思想を持っている連中の中にも極端な行動に走る者と穏健な考えを持っている者がいる。了斎先生が同じ考えを持っている過激派を説得できたと吹聴すれば、同じグループの中での了斎先生の地位が向上することは間違いないだろう」
「そ、そんなことを考えているんですか?」
「あくまで可能性の一つにすぎないよ。ソウルハンターの中には、安全策が確立されるまで、地界での霊魂回収には行かないという者も出てきているらしい。実際に地界で霊魂回収を担当するソウルハンター達に地界に行かせないようにして、実質的に地界へ霊魂回収を不可能にするという手段の一環かもしれぬ」
「そんなことまで?」
「そんな結果になれば、了斎先生は、自分の説が正しかったと強弁することができるだろう。そして、自分が主張する地獄不要論を世論の主流にして、勢力を拡大しようとしているのだろう」
「それって、神聖自由党の存在意義自体も否定することじゃないんですか?」
「我が党の設立の歴史的経緯から言うとそうなる。しかし、政治家はそんな理想論を語っているだけで活動はできないのだよ。選挙に勝って、自分の仲間を増やすためなら、世論の大波に身を寄せることも辞さない人もいる」
俺は何か納得できなくて押し黙ってしまった。
そんな俺の無愛想な顔に、龍岳さんは優しい顔を見せた。
「理想を語るだけでは政治はできないということだよ。儂だって、嘘にならない程度には、耳障りの良いことを言っている。実現が難しいだろうなと思っていても、その政策に反対することがなければ公約にすることもある。政治とはそういったものなんだよ」
龍岳さんからは、政治の実際について、よく聞かされる。それは、俺を後継者にしたい龍岳さんなりの教育のつもりなのかもしれないが、俺はまだ清濁を併せ呑むだけの人間にはなりきれないようだ。




