閉ざされた帰り道(2)
空を飛んで行った俺は、すぐに実家の上空に着いた。
懐かしい町並みが眼下に見える。
俺が死んで、もうそろそろ五か月になろうかとしていた。
ここは、東京の郊外の街で、そんなに次々と建物が建つような場所でもなかったが、やはり変わっていないことで、何となく安心をした。
実家の屋根が見えた。すぐに降下して玄関前に降り立つ。
玄関ドアを通り抜けて、そのままリビングに向かった。
途中、和室の襖が開きっぱなしで、そこの祭壇に置かれている仏壇が見えた。
俺の仏壇だ。
微かに線香の香りもしている。毎日、焚いてくれているようだ。
俺が好きだった「うめえ棒」がお供えされていた。仏壇に落雁とかじゃなくて、うめえ棒というのもシュールな気がする。しかし、それよりも、その後ろに立てられている俺の遺影の目が本当に死んでいる。
今でこそ、家族みんなが活動的な御上家に居候していて、俺も積極的な生き方をするようになったが、地界にいた頃の俺は、学校にこそ行っていたが、友達もおらず、エロゲが恋人、格闘ゲームが友達という引き籠もりで、遺影の目が死んでいるのは、確実に寝不足だっただからだ。
和室を出て、リビングに行くと、親父とお袋がテレビのバライティ番組を見ていた。今日は、獄界と同じく地界も日曜日で、親父も仕事は休みのはずだ。
二人とも元気そうだ。親父はエンマが判断を誤るという事故があった日に死にかけて一命を取り留めたが、右足に後遺症が残ってしまった。しかし、前から務めていた会社もクビにならずに引き続き勤めることができている。
二人がテレビのコントに大笑いをしているのを見て、心が少し軽くなった。
俺が死んだままだったら、俺のことを忘れられることが怖かったし嫌だっただろう。でも、俺は獄界に転生して、地界にいた時とは違った人生を歩み始めている。だから、いつまでも死んだ俺のことを思って泣いてくれることは逆に重荷だ。
リビングのドアが開くと、妹の美咲が入って来た。
少し背が伸びた気がする。
友達と遊びに行くと言って、お袋に小遣いをせびっていた。
お袋は、気前よく財布から五千円札を出して、美咲に渡した。
――俺の時と対応が違ってねえか?
まあ、俺が死んで、子供は美咲だけになっちまったんだから、お袋達も少し美咲に甘くなっているのかもしれないな。
俺は、上機嫌でリビングから出て行った美咲の跡をついて行った。
言っておくが、俺はシスコンではない。妹もののエロゲも嗜んだが、けっして妹萌えではない。しかし、少しお色気も出てきてるような美咲のことが気になって、外に出てからも跡をつけて行くと、最寄りの駅にまでやって来た。
美咲は、改札の前に立って待っていたチャラ男に近づいて行った。
――何、その笑顔? もう、すでに恋人同士みたいな雰囲気じゃねえか!
確かに、チャラ男はイケメンだ。
しかし、チャラすぎだ! 美咲よ! きっと騙されているぞ! 昨日の土曜日は別の女の子とデートをしていたに違いない!
と、兄として美咲にアドバイスの一つでも呈したいところだが、今、霊魂の俺は何もできない。
そして、何気なく視界に入ってきた駅の時計が、次に霊魂回収をする人が死んでいる時刻になっていることに気がついた。
これから美咲とチャラ男が電車に乗って、どこに行くのか気になって仕方がなかったが、ついて行ったところで何もできないと自分に言い聞かせて、俺は病院に向かった。
その後も順調に霊魂の回収を済ませて、最後の霊魂を地獄に送り届けた俺は、霊魂管理庁の正門前で霊奈に会った。まだ霊魂の俺と違って、既に霊魂を肉体に戻している霊奈だ。
「真生! 終わった?」
「ああ、今日も順調だったぜ」
「今日も霊魂のままなんだね?」
「ああ、どうしても霊魂の前で肉体に戻るのが好きになれなくてな」
幽体離脱していた霊魂が肉体に戻ると、それまで見えていたり触ることができていた霊魂と話すことも触れることもできなくなるし、そもそも霊魂を見ることもできなくなる。
しかし、訓練を積んだソウルハンターであれば、霊魂に触れることはできないが、霊魂を見ること、そして霊魂と話すことはできる。だから、最後の霊魂を獄界にまで連れて来ると、自分は肉体に戻ってから霊魂を地獄に連れて行くソウルハンターが多かった。霊奈もそうだ。やはり幽体離脱という不安定な状態にいることが、少しストレスになるらしい。
でも、一度、本当に死んだ俺は、そういう強迫観念が強くないことと、死んで獄界に来た霊魂の前で自分一人だけ肉体に戻るのは、何となく申し訳ない気がしてしまって、自分の肉体に戻ることのないまま、最後の霊魂も地獄に連れて行くことをポリシーにしていた。
「じゃあ、支部まで私が連れて行ってあげる。後ろに乗って!」
霊魂が肉体に戻っている霊奈は、エア・スクーターで最後の霊魂を地獄まで運んでいた。ソウルハンター専用のエア・スクーターは、その後部座席に霊魂を乗せることができる仕様になっている。
まだ、霊魂のままの俺を支部まで送ってくれるという霊奈のありがたい提案であったが、俺は少し腰が引けた。
「ちゃんと安全運転するからさあ」
お前のその空々しい笑顔には騙されないぞ!
と言っても、霊魂のまま飛んで行くにも、若干であるが、エネルギーを使う。
今日もいっぱい働いたし、明日の学校のことを考えると疲労を最小限に押さえたい。
それによく考えたら、今の俺は霊魂だから、霊奈の超危険な運転で後部座席から振り落とされたとしても死ぬことはない。
ここは相乗りしていくか。
第三百三十三支部に着いた。
確かに霊魂の俺は死ぬことはないが、まるでジェットコースターのような霊奈の運転に酔ってしまった。三半規管はないはずの霊魂なのに、恐怖心がそうさせたのだろうか?
青い顔をしてエア・スクーターの後部座席から降りた俺は、支部の壁を通り抜けて中に入った。
中には誰も座っていないソファが二つあるだけだった。
えっ? どういうこと?
部屋の中を見渡して見たが、どこにも隠れるところのない部屋に俺の肉体は見えなかった。
俺は、また、壁を通り抜けて霊奈の側に行った。
「霊奈!」
「あれっ、どうしたの? 幽体合体のやり方、忘れちゃった?」
「違うって! 俺の体がないんだが?」
「はあ? 何、言ってるの?」
「いや、だから、俺の肉体がどこにも見えないんだよ!」
「何、寝ぼけているのよ」
「じゃあ、中を見て見ろよ!」
霊奈は、ジト目で俺を見ながら、ドアのロックを解除して中に入った。
「ほらっ、ちゃんと座って…………ない!」
「だから、ないって言っただろ!」
「どうして?」
「こっちが訊きたいわ!」
「私が三十分ほど前に帰った時には、ちゃんと座ってたよ!」
この支部はオートロックだ。だから、霊奈が肉体と一体化してドアから出たとしても、ドアは自動に閉まってロックされる。そして、支部のドアは、あらかじめ生体認証鍵登録をしている者でないと開けることはできない。
つまり、この第三百三十三支部は、俺と霊奈以外の者には開けることができないはずなのだ。
俺は、霊奈を疑いの眼差しで見つめた。
「霊奈! 本当に知らないのか?」
「知らないわよ!」
「俺が帰って来るまで、俺の肉体をどっかに隠して、後で悪戯しようとしたんじゃないだろうな?」
「し、し、知らないし!」
何で、どもってるんだよ? 少し汗も出ているようだけど?
霊奈のやつ! まさかパンツを脱がして、俺の貞操を奪ったんじゃねえだろうな?
「真生! 今、何か変な想像してなかった?」
俺がエッチな想像をすると、途端に察知をする霊奈の特殊能力は健在だ。
「してねえよ!」
「……まあ、良いけどよ」
「とにかく! 今は俺の肉体を探さなきゃ!」
「そ、そうだった」
幽体離脱は肉体にとって過酷な影響を与える。
それはそうだ。霊魂が肉体から抜け出るのは、通常は、肉体がその生命維持機能を停止させた時、すなわち死んだ時だけだが、幽体離脱は、肉体が死んでいないにもかかわらず、強制的に肉体から霊魂を分離させると言うことだ。そして、霊魂が抜けた後の肉体は、最低限の生命維持機能は継続して働いているが、「意思」のみならず「神経」も司っている霊魂がなくなっていることで、自律神経系にも支障が出てきて、次第に生命維持機能が働かなくなってしまうのだ。
幽体離脱に慣れていないと、霊魂は一定の時間が過ぎると強制的に肉体に戻されることがある。それは、まさしく、肉体の生命維持機能が警告を発しているからに違いない。しかし、ソウルハンターになって幽体離脱に慣れると、強制的に戻されることはなくなる。それだけ完全に近い形で離脱ができているからで、逆に言うと、それができないとソウルハンターになれない。
どれだけの時間、霊魂が肉体から離脱しておくことができるのかは、まだ誰も試していないが、幽体離脱をして四十八時間以内に霊魂が肉体に戻らないと、肉体の生命維持機能が働かなくなり、死に至ると言われている。
俺が幽体離脱をしたのが今日の朝八時頃。今は午後四時。既に八時間が経過している。
まだ、陽は高い。探そうと思えば探すことはできる。しかし、どこを探せば良いんだ?
「真生、どうする?」
「分からない。霊奈がここを離れた三十分の間に、俺の肉体はどこかに消えてしまった。いくら俺の肉体がお茶目でも一人で歩いて行く芸当はできない。すると、誰かが支部の中に入ったということしか考えられないが、ロックを外すことは俺と霊奈しかできないし、見たところ、ロックを無理矢理こじ開けた形跡もない」
「そうね」
推理は行き詰まってしまった。闇雲に探したって見つかるものではない。
「とにかく非常事態には違いないわ! お父様にも頼んで、『獄門の番犬』の闇の騎士も動員してもらいましょう!」




