夕色。茜空。
ずっと探していた
自分の色を
世界中の言葉でも表現できないような
私だけの色を……
こんなにゆっくりとしたのは、何年振りだろう。少なくとも、ここ数年は散歩をすることもなかった。自分が進むべき道が全く見えなくて、焦っていた。
『夢なんて、慌てて探したって見つからないよ』
周りの友達はそう言って私を励ましてくれたけれど、私にはそれが夢を見つけた人の余裕としか思えなかった。
こんな事じゃダメ。そう思って、私は故郷を飛び出して都会へと行った。でもそこで待っていたのは、今まで以上の取り残された感だった。
ここ数年、自分が何をやっていたのか分からない。ただひたすらがむしゃらに生きていただけのような気がする。何度も仕事を変え、自分は何をする事が出来るかを模索して、結局何一つ見つけられなかった。
もしかしたら、これが私の初めて体験した挫折かもしれない。
そんな時、母親から『生きてる?』という電話があった。
『たまには、息抜きも必要でしょ。帰ってきなさい』
電話口の声はすごく優しくて、カサカサしていた私の心に水の様に染み渡っていった。
そして今、私は久しぶりに故郷にいる。
笑顔で出迎える家族。庭で千切れそうなくらい尻尾を振っている犬。
あの頃と変わらない暖かさが、そこにはあった。都会とは違ってものすごくゆっくりと時間が流れている気がした。それは、単なる気のせいだったのだろうか。それとも、ゆっくりと流れていく雲と澄んだ青空のせいだろうか。
縁側に腰を掛け犬の体を撫でていると、このコを飼い始めた中学校時代の思い出が蘇ってくる。それは自分自身でも半分忘れかけていた思い出。
あの頃はまだ、みんなが同じ場所にいると思っていた。数年後自分が何をしているのかなんて全く興味なくて、ただ学校と家を往復するだけの生活に疑問すら持っていなかった。
好きな事をやって、その結果がどうなろうと関係ないと思っていた。
そういえば、あのセリフを言われたのも中学生の時だった。
あの日は、特に夕陽がキレイな日だった。
私は、朝陽も好きだけど夕陽の方がもっと好きだったから、時々夕焼け空を見るために立ち止まりながら歩いていた。
「今、帰り?」
そう声を掛けられて見上げると、歩道橋の上で友達が笑顔で手を振っていた。
「うん」
「じゃあ、途中まで一緒に帰ろう」
そのまま二人で並んで歩いた。その時どんな会話をしたかは全く憶えていないけれど、たぶん『秋になったのに全然涼しくならないよね』とか、『○○の課題、嫌だよね』とかいった特別でもない会話だったのだろう。
ただ、あの日の光景がまるでいつも風景画を見ているかの様に心に残っている。
「それにしても、本当に夕陽が好きなんだね」
突然友達がそう言ったのは、私が会話をしながらも夕陽を見ていたからだろうか。
「だって、昼間の太陽は赤くないのに朝陽や夕陽は赤みを帯びているんだよ。これってすごく不思議じゃない?」
「うーん、まあね。でも、私はどっちかっていうと朝陽の方が好きだけど」
「昇るから?」
「朝陽は始まりで、夕陽は終わりじゃん」
友達は頷きながら言った。
彼女の言いたい事はなんとなく分かる。夕陽は落ちるもの。沈むものより、昇るものの方が見ていて希望が湧く。たぶん、こんな所だろう。
でも、私は夕陽を見ていると心が安らぐ。
「だけど、時間を感じるには夕陽の方がいいと思うな。なんて言えばいいのか分からないけど、時間って気付かないうちにどんどん過ぎていくでしょ? その過ぎた時間を自分の中で整理……っていうか消化するのって夕陽を見てだし、それに夕陽の方がゆっくり見れるじゃない」
「まあ、朝陽をゆっくりは見ないよね。朝は結構、時間に追われているし」
「ものすごく早く起きれば、朝の光が輝き始めて町に音が流れ始めて……の一連の活動が見れるよ」
「私が朝に弱いの知っているでしょ」
その頃の私は、朝の四時頃に起きて外の景色を見るのを日課にしていた。今ではとても考えられない。
「どうしたらそんな早く起きれるわけ?」
「さあ? 勝手に目が覚めちゃうんだよね。敢えて言うなら、今は今しかないから一分一秒でも大切に、有効に使おうとしているとか」
「はいはい。これからも早起きを頑張ってください」
少し呆れ顔で私を見た。
「うん。十年経ってもやっていられるようにするよ」
「十年ね。でも本当、なんか十年後に会っても今のままでいそうだよね」
今考えると、それはたわいない会話の一部だった。だけど、私はその『十年経っても変わらないんだろうね』というセリフがどうしても忘れられなかった。
ある意味、今の私は同じ毎日を繰り返している。目的を探しながら、迷子になっている。ただ、時間を消費している。
あの頃の私とは、何もかも違う。
あんなに好きだった夕陽も、今は見ていない。違う、見ていないんじゃなくて、見る余裕がない。
もう、あの頃の私はどこにもいない。
「あ、もうこんな時間か。散歩、行こうか」
犬にリードを付け、散歩に出かける。
小中高と通った道を、私はゆっくりと歩いている。
「この辺は、本当に変わっていないね」
遠くに見える山も、風に揺れる木の葉と木々も。何より、この自分を取り巻く空気が変わっていなくて居心地いい。
「そうだ、久々に川原に行こうか」
それは、私が高校時代までこのコと歩いていた散歩コース。
傍から見たら、犬に話し掛けるなんて変だと思われるかもしれない。だけど、私を見上げるその表情を見ると他人にどう思われようといいんだという気になってくる。
私、きっと癒されているんだろう。
それだけでも、戻ってきた事に意味があったのかもしれない。
川原に着くと、左手にツンツンと突かれた感覚がする。久々に感じる触感。左斜め下を見ると、『リードを外してよ』といった表情にしか見えない顔がある。
「はいはい、分かったよ」
周りに人や他の犬がいないかを確認してリードを外すと、それを待っていたかの様に川に向かって走っていく。
「元気だなぁ」
時々、一日を自分の好きなように生きていける犬や猫をうらやましく思う時がある。犬や猫からしたら、『自分達だって自分の役割をきちんとやっているんだ』と言うかもしれない。何もしないで生きていられるモノは、きっとこの世にはない。
私にもきっと、するべき事が在るはずなのに。どうして、見つけることが出来ないんだろう?
その時、夕陽の光が川に乱反射して目に入ってきた。
見上げると、そこには今まで見たことのないほど綺麗な空があった。
それは、見慣れた赤い夕焼け空ではなかった。同時に、夕陽の色も赤や黄色、オレンジといった通常の色をしていなかった。
一言で言えば、夕映えの空。昔、写真集で一度だけ見たことのある空の色だった。
私はその、空全体が青紫に染まり、紫、赤紫、ピンク……と、沈む夕陽に近くなるほど白っぽくなっていく空を、一つの絵画を観ているかの様にただ見上げていた。
この瞬間が、止まってしまえばいいと思った。
川の流れる音も、近くを通る車の音も耳に入ってこない。
まるで自分が音の無い、紫色の世界に一人で佇んでいる様な錯覚に襲われた。それほど、引き込まれるような空だった。
同じだ……。
どれくらいそうしていただろう。ずっと続いて欲しいと思っていた時間はあっという間に過ぎ、気が付くと辺りはすっかり暗くなっていた。
「そろそろ帰らなきゃ、みんな心配するだろうな」
犬を呼び、リードを付ける。
暮れていく町の中で、どれだけの人があの空を見ていただろう? そして、見た人は何を思っただろう? キレイだと思っただろうか。それとも切ないと思っただろうか。
この空の下で道を歩いている人たちは、何を目指しているのだろう? やっぱり、未来だろうか。
私には、どんな未来があるんだろう? 明るい未来か、それとも暗い未来か。でも。
空の雄大さに比べたら、そんな事は小さくて取るに足らない事のように思えてくるから不思議だ。
そう、きっと今の私はこの空と同じで夜なんだ。誰かが言っていたけど、止まない雨がないのと同じ様に明けない夜はない。だから、私にもきっと朝はやってくる。
最近までの私なら、こんな事絶対に考えなかった。
余裕がなくて、いつの間にか好きな事や夢中になれるものを失くしてしまっていて、イメージ通りの姿に近付けなくてイライラしていて。自分を信じることが出来なくて。
今なら、友達が言っていた『夢なんて、慌てて探すものじゃないよ』っていう言葉の意味がなんとなく分かるような気がする。急いで焦っても、空回りするだけ。
大切なのは、立ち止まらずに自分自身で選び、信じた道を歩いていく事。私の人生は、私以外の誰のものでもないのだから。
「さぁ、行こうか」
眩しい光が射す場所へ―――――
大学生時代に書いたショートストーリーズ5部作の『秋』です。
そういえばちょうどこれを書いた頃、就活で悩んでいました。散歩でのシーンを含め色々実話です。