皇帝、優しくされる
毎日、引きこもってだらだらして、好きな時間にご飯食べて、昼寝して。それを人は何と言うのだろう。
早くもそれが三か月以上続いている。だからか、あまりにもぐうたらし過ぎていつの間にか周囲からの扱いが空気のようになっていた。
愛馬とか愛猫とかと一緒に庭でごろごろしながら暮らす。誰もが当たり前のようにこちらの存在を無視して仕事を続ける。誰にも注目されることのない、おそらく人生の中で一番平穏で身の危険を感じない日々。
たまに毒が食事に入る事もあっても暗殺者として身に付いた耐性が勝手に身を守る。他の暗殺者が来ても残念ながら格下過ぎてつまらない。さすがに自分よりも弱いのに負けるのは嫌だから反射的に殺しちゃうし。
「皇帝、あのきらきらしたピンクのジュース飲みたいー」
たまにおめかしさせられて夜会に引っ張り出されたら、皇帝が話しかけられない為の壁役。膝の上に乗っかって抱き付いたり笑顔を振りまいたりして戯れながらいっぱい美味しい物を食べてればいい。鍛え上げられた身体と悪くはない顔に熱を上げる令嬢達をさすがに全員、斬り殺せないらしい。この状況なら話しかけられても二人の世界を作っていれば令嬢達は自然と離れていく。
胸さえ盛れば完璧な自分の容姿に皇帝にはぜひとも感謝して欲しい。これだけで様々な家からの嫌がらせの量がものすごく増えるのだから。皇帝は皇帝で嫌いな物ばかり食事に出したり人の嫌がる服装をさせたり、地味な嫌がらせはしてくるし。
さっさと終わりを思いついてくれないかな。
「これは酒だ」
「大丈夫ー、多分飲めるから」
一気に飲んでたんっとグラスを置く。
「どこに行く」
「お花、摘みに行くんだよー」
「本当に行きそうだな」
あったかい湯たんぽから離れて暗い廊下に出る。あっさりと離れた体温のなくなった部分がひやりと寒さくて少しだけ寂しさを感じながらも、王宮の奥に繋がる暗い廊下をまっすぐ進む。
会場のざわめきから離れれば、鍛えた耳が静かな空間の音をすべて拾った。ついて来る監視役にあっちと指せば、了解したのか何も言わずに立ち止まる。聞こえる。微かに抑揚のついた二人の男の声。押し殺してさらに聞きづらい。けれど声音、かすれ方、高低……全部を耳に付けて覚えて行く。
「さて、ほんとにトイレ行ってくるから外で待ってて」
酔ったようにふらふらと軽い足取りでトイレに向かう。個室に入って壁にもたれると、ふと笑みが抜け落ちた。常に笑顔を張り付けていた顔の筋肉がこわばる。きっと嫌いな自分の表情に戻ったのだろうことに溜息をついて、天井を見上げる。
そこでもう一つ、外からの囁き声を聞いた。
「皇帝。今日の朝議についてくから」
夜明けと共に皇帝の部屋の扉の前に仁王立ちになり、どんと宣言する。いつもは礼儀正しくこちらを見ない騎士達から小さく視線を感じたが気にしない。
「早起きは苦手ではなかったか」
寝起きで面倒そうに髪をかき上げる彼は男性としての色香に満ちていて、ある人を思い出し吐き気がした。嫌な記憶を無理やり奥にやり吐き気を堪える。……見るなら艶っぽいお姉様達、見ていたいなぁ。眠くてすでにふらふらした身体に最悪な気分が加わった。
「うん、大っ嫌い」
素直に答えると面倒そうに眉根を寄せる。
「ならば何故」
「徹夜」
答えを聞くなり呆れたように手招きされた。何の警戒もなくとててと近づけば、長い腕に引っ張られて目の前が白くなる。柔らかな上に転がされてようやくシーツの中に抱き込まれたと気が付いた。じたばた動くと余計に絡まってきて無駄で、とりあえず転がって皇帝に頭突きを試みるが容易く阻まれた。
「寝ろ」
どんなに頭では抵抗しようと、なまった身体は素直にあやす手つきに負けて自然と瞼が下りる。人をあやすのが上手すぎる気がする。
「うー……皇帝が優しい……」
どうやら皇帝は優しくしてからどん底に突き落とすタイプらしい。観察していると、最初は周囲に内緒で仲良くなって徐々に弱点を探していく。始めは疑っていられても、皇帝の強さの魅力に好ましさを感じずにはいられない。何故だかわからないけれど、それぐらい不思議な人を引き付ける力を持ったから皇帝になったのだと理解した。でも信用させてから手玉に取るなんて最悪過ぎる。
「悪いか」
「うん、超最悪……」
せっかく良い事教えてあげようかと思ったのに、台なしじゃん、皇帝。
それから、結局目を覚ましたのは昼過ぎで頑張って起きた分は水の泡だった。大切な成長ホルモンを犠牲にしたのにどうしてくれる。
「ひどーいー、この血も涙もない性悪め」
シーツを広げてばさばさと抗議する。まった埃を迷惑そうに避けながら皇帝は遠ざかった。
「何を言う。ちゃんと連れていってやっただろう」
「は?」
横眼で近くにいた騎士に説明を求める。
「本当で御座います。皇帝陛下は朝議にシーツでぐるぐるに包んだ貴女を持参されました」
……持参?その姿を想像して思わず吹き出すのを堪える。皇帝が厳粛な会議の中、ふとんを抱えて入場……しかも真面目な顔して無表情だったに違いない。
「え、何それ、笑える……」
「笑い堪えられてないぞ」
「だって、あは、あはは、はははっ」
にじむ涙を軽く指で拭きながら、ベットの上を転がり回る。一通り転がった後、くるりと向き直って皇帝を見ると仏頂面でこちらを睨んでいた。
「まあまあ。そんなに怒らないでよ。いいこと教えてあげるから」
言う気はなかったけれど、一応連れていってくれたお礼に。自分には必要ない情報だし。その代わり後は丸投げするけどね。
「誰かが武器をもう結構、集めてるみたいだよ。お金は違う人が自分が出すって言ってた」
「それをどこで聞いた」
「この前の夜会。暗がりで二人で話してるの、怪し過ぎるよね。あ、信じるかどうかはご自由にどうぞ」
だって自分が皇帝の味方になることはない。所詮、いつまでもただの暗殺者だ。たまたま運よく生かされてるに過ぎない。そう何度も言い聞かせていないと最近が平和過ぎて、時々自分の立ち位置を間違えそうになって怖い。絶対にあの人は怒っている。役立たずな自分にやっぱり失望しているに違いない。自分が意外と皇帝を嫌いじゃないのもさらに困る。自分の周囲には地味に優しい人。もっと噂以上に最悪な人だったらよかったのに。