からかさ小僧の後悔
【からかさ小僧】
古い傘が変化した妖怪。
一つ目で一本足であるのが一般的。
ぼくのお母さんは雨が苦手だった。
理由は知らないし直接聞いたわけでもないけれど、確かに苦手だった。
眉間によった皺、少し低い声、いつもより口数は少なくなり、笑顔が減る。
大好きなお母さんがそんな顔をすることも、そうさせる雨も大嫌いだった。
「お母さん!今日はね……」
小学校から帰宅すると真っ先にお母さんのところに行き、今日の話を全身で伝える。
そうするとにこにこしながら楽しかったのね、といってくれるからぼくは幸せになる。
友達はたくさんいるし、いじめられているわけでもない。
それでもぼくにとってはお母さんと話しているのが一番楽しくて、幸せだ。
一年生のころはそれで平気だったけど、高学年になると「おかしい」といわれるようになった。
「おまえまだ母親とでかけてんの?」
「えー、こどもみたーい!」
いま思うと小学生なんて何年生でも子供だけれど、当時はなんだか悔しくてお母さんとあまり話をしなくなった。
大好きなお母さん。でも話すと馬鹿にされてしまう。
ぼくにとっての世界の中心は家族でなく、学校になりつつあったから友達からの評価を優先してしまった。
話しかけてもそっけなく返すぼくの背中に、悲しげな視線を感じたのを痛いほどに覚えている。
最高学年となり、卒業を迎えた三月。
中学校に入学する準備としてつかう春休み。
制服やバッグを買い終えてあとは入学式を待つだけ。
相変わらずお母さんとはあまり会話をしないし一緒に出かけることもない。
その日はとてもきれいな青空が広がっていた。
ゲームをしながら留守番をしていたぼくの耳に入ったのは、晴れているはずの外から聞こえる雨音。
ざあああ、と天から地へとまっすぐに降り注ぐ雨。
玄関に向かい傘の数を確認するが、減っていない。そりゃそうだ、あんなに晴れていたし。
少し悩んでお母さんを迎えに行くことにした。
雨が苦手なお母さんの役に立ちたくて。同級生に見られたら、と思うけどこの時期なら入学に向けての買い物もあるし大丈夫だろう。
雨で靴がぬれると気持ち悪くなるからサンダルをひっかけて傘を二本手に取り、家を飛び出した。
思ったよりも雨は強い。早く行かなくては、と気持ちばかりがあせる。
遠くの方でごごごご、と雷の音がし始めた。急がなければ。
ばちゃばちゃと水を蹴り、もはや傘を差している意味などないくらいにぬれてしまった。
もう少し、もう少し。
やっとお店が見えた。
あと、この信号を渡りきったら――。
あ、お母さんだ。驚いたようにこっちを見て、それから微笑む。
久しぶりにお母さんの笑顔を見た。ずっと見たかった笑顔だ。
ぼくの口角が少しあがった、瞬間。
どん。
体の左側に衝撃。浮遊感。かたい地面の上をはねる。
続いて左足と上半身を重いものが通る感覚。顔の半分も痛い。
赤。赤赤。赤赤赤赤。赤赤赤赤赤赤赤。
そして、壊れたぼくの傘とお母さんの大き目の傘。
意識は途切れた。
十年ほど前、車に轢かれて死んでしまった息子の墓参りに来た。
ぽつり、ぽつりと雨が降る。傘なんて忘れてきてしまったというのに。
雨宿りもせず墓の前で佇んでいると、右に気配を感じた。
そちらを向いて目に入ったのは事故のときに息子が持っていた私の傘。
あたりを見回しても誰もいない。
近くの塀を見てみると傘のような、でも足は一本だけある影を見つけた。
少し微笑み、墓を見て「大好きよ」と言葉を落として傘をさし、家路についた。
からかさ小僧のお話でした。
大好きなお母さんの大嫌いな雨のために、傘を届けたかった男の子の話。
幼すぎて未練が傘に宿り、それでも自分の足でお母さんのもとに届けたい…とかだったらいいなあ。