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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー
第一部

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13/72

第13話 モブ、「ねえ、料理、本当に教えてくれる?」にドキッとする

 タクシーの後部座席で、俺は三十人分の親戚データを暗記しようとしていた。


 きっかけは月曜の昼休み。

 橘が「日曜、親戚の集まりがあるの。水野くんも来てくれない?」と言い出した。


 もちろん、最初は全力で断った。

 親戚三十人の前に偽の彼氏として出ていくとか無理だろ!


 次の日もその次の日も断った。

 けど最後に「お願い! 一人だと質問攻めで死んじゃう!」と泣きつかれて……折れた。


 そして、LINEで「親戚対策シート」が送りつけられてきた。


 今スマホに映っているのはそのシートだ。


 叔母A(母方):ファッション好き。服を褒めると機嫌が良い。

 叔父B(母方):野球好き。困ったら昨日の試合の話。

 従姉C:大学三年。写真見せてと言ってくる確率95%。


 なんだこの情報量。


「水野くん、ちゃんと覚えた?」


 隣の橘が覗き込んでくる。


 淡いブルーのワンピースに白いカーディガン。

 首元に、見慣れない細いネックレスが揺れている。

 普段の制服とのギャップが反則だろ。

 見慣れているはずの顔が、なぜか全然見慣れない。


 俺はユニクロで一番マシだったシャツにチノパンだ。

 昨日の夜、三十分迷ってこれだった。格差がひどい。


「覚えたっていうか、これ暗記するの無理だろ。三十人だぞ」


「大丈夫! わからなかったら私がフォローするから!」


「お前のフォロー、前科がありすぎて信用できないんだけど」


「ひどい!」


 ……この状況を、昨日の夜に矢野にボヤいたら、「完全に本物の彼氏準備じゃねえか」と笑われた。

 反論できなかったのが一番つらい。



 タクシーを降りた先は、閑静な通り沿いの和食料亭だった。


 暖簾をくぐると、畳の匂いと出汁の香りが漂ってくる。

 やばい。完全に場違いだ。


 俺、料亭なんて来たことないんだけど!


「お前の親戚、集まりの場所が料亭なのかよ」


「お母さんの方の親戚で毎年やるの。水野くんにも来てほしくて!」


 来てほしくて、で呼ぶな!

 こっちの心臓の都合も考えろ!!


 靴を脱ぐ手が震えている。

 情けない。


 広い座敷に通されると、すでに十五人ほどが集まっていた。


「あら、紗月ちゃん!」


 親戚のおばさんたちが一斉にこちらを向く。


 うぁ、圧力がすごい。

 帰りたくなってきた。


「こんにちは! 今日は彼氏の水野くんも一緒です!」


 声が大きい!

 なんで毎回全力で宣言するんだこいつ。


「は、初めまして。水野悠真です」


 頭を下げた。顔を上げた瞬間、十五人全員と視線がばっちり合う。

 やめてくれ。


「あら、水野くん。今日はありがとうね」


 座敷の奥から、聞き覚えのある穏やかな声。


 橘の母親だ。


「あ、お母さん、こんにちは」


「ゆっくりしていってね」


 にっこり笑って、親戚の応対に戻っていった。


 穏やかなのに、落ち着かない。


 座布団に腰を下ろした瞬間、質問が飛んできた。


「水野くん、部活は何やってるの?」


「帰宅部です」


「あら、今の子は色々あるのね!」


 ない。何もないから帰宅部なんだ。


「お勉強の方はどう?」


「平均よりちょっと……下、です」


「でも真面目そうだものねえ!」


 真面目に見えて成績が低いのは、ただのスペック不足だ。


 フォローが全部裏返しに刺さるぞ。

 わざとか?


 隣のおばさんが、前のめりになった。


「紗月ちゃんとはどうやって知り合ったの?」


「えっと……道で偶然」


「道で!? 運命的ねえ!」


 運命じゃない。事故だ。

 腕を掴まれて路地裏を全力疾走させられたのを、運命とは呼ばない。


「水野くんがね、助けてくれたの!」


 橘が横からにこにこと補足した。

 嘘じゃないけど省略しすぎじゃねえかな……。



 料理が運ばれ始め、少し場が落ち着いてきた頃。


 入り口の暖簾が揺れた。


「遅れた」


 暖簾の向こうから現れたのは、スーツ姿の大柄な男。


 橘兄だ!!


 せっかく場所に慣れてきたのに、胃が急に痛くなってきた。


「お兄ちゃん!? 来るって言ってなかったじゃん!」


「仕事が終わった」


 この親族ネットワーク、情報漏洩がひどすぎる。


「あら誠くん、いらっしゃい!」


 親戚のおばさんたちは歓迎ムードだ。


 けど俺の体は、教室で取り調べを受けたときのことを覚えている。

 あの静かな圧。逃げ場のない視線。


 橘兄が腰を下ろす。

 そしてまっすぐ、俺を見た。


 何も言わない。ただ見ている。


「来たか」


「……呼ばれたんで」


「断ることもできただろう」


 返す言葉がなかった。


 橘兄の目が一瞬だけ細くなった。

 もしかして、笑ったのか?

 そんなわけないか。


 食事が一段落した頃。

 橘兄が箸を置いた。


「腕相撲だ」


 は?


「すみません、今なんて」


「腕相撲をしろ」


 嘘だろ、聞き間違いじゃなかった。


「食事の席で腕相撲って」


「関係ない」


 このごり押しに橘と同じ血を感じるが、ここで出さないでほしい。


 しかも親戚のおばさんたちが「あら面白そう!」「やりなさいやりなさい!」と一斉に盛り上がり始めた。


 止めてくれ!!

 親戚の誰か一人くらい常識を持ってくれ!!!


「お兄ちゃん、やめてよ! ご飯の席だよ!?」


 橘が抗議した。

 初めてこいつを頼もしく思った、が。


「でも水野くん、頑張って!」


 お前は結局どっちの味方だよ!


 この兄妹、人の都合を無視するところが完全に一緒だな。


 卓の上に、橘兄が右腕を置いた。

 スーツの袖から覗く前腕は、俺の二回りは太い。


 っていうかマジでやんのかよ。

 勝てるイメージは全くないが……。


「……やります」


 逃げたい。けど、逃げないと決めたのは俺だ。


 手が組まれた。


 俺の手が完全に包まれている。


「始め!」


 圧がきた。

 重い。歯を食いしばるが、腕がどんどん傾いていく。

 卓が近づく。


 諦めたら、この人にはバレる気がする。


「ぐっ……!」


 腕が止まった。卓がもうそこだ。

 戻せない。でも、まだ倒れてない。


 視界の端で、橘が身を乗り出しているのが見えた。

 口元を手で覆って、息を止めている。

 親戚のおばさんたちのざわめきが、一段低くなった。


 橘兄の腕は、びくともしていない。

 俺だけが震えている。


 ここでぱっと手を離したら、たぶんこの人は何も言わない。

 何も言わずに、俺の評価を一段下げる。


 歯を食いしばりなおす。


「ぐ、っ……!」


 腕が、ほんの少しだけ戻った気がする。


 橘兄の眉が、一瞬だけ動いた気がした。


 でも、そこまでだった。


 指先から力が抜けていく。腕が震える。


 ゴン、と。


 俺の手の甲が卓に当たった。


 負けた。

 完全に、圧倒的に、負けた。


 俺は右腕を左手で押さえながら、荒い息をついていた。

 橘兄は腕を軽く振っただけだった。


「帰宅部にしては持ったな」


 何の基準だよ。


「だが、悪くないな」


 ……ちょっと嬉しくなった自分が嫌だ。


 橘が拍手している。

 親戚のおばさんたちも「頑張ったわねえ」と笑っている。


 負けたのに、拍手を浴びている。

 モブが親戚一同の前で腕相撲に完敗して拍手される人生、予定になかったんだけど。


 食事が再開された。

 橘兄は正面の席で黙々と料理を口に運んでいる。


 俺も箸を動かした。

 煮物、うまい。

 これ家で作れねえかな……?


「お前」


 橘兄の声。


「はい」


「料理はするか」


「あ、はい。親が共働きなんで、自分で作ります」


 橘兄がちらりと俺の手元を見た。


「紗月は包丁もろくに握れん」


「お兄ちゃん!」


 橘が顔を赤くしたが、兄は振り向かない。


「今度、紗月に教えてやれ」


「……教える、ですか」


「飯の作り方を。段取りも火加減も、基礎がなってない」


 段取り。火加減。

 料理をする人間の言葉だ。素人じゃない。


「お兄ちゃん、私だって料理くらいできるもん!」


「卵を割って殻が半分入った件は」


「あ、あれは事故!」


 親戚のおばさんたちが笑っている。

 橘が頬を膨らませて兄を睨んでいるが、効いていない。



 帰りのタクシー。

 橘は窓の外を見ながら笑っていた。


「今日、楽しかったね」


「楽しくはないだろ。腕相撲で負けたしな」


「でもお兄ちゃん、『悪くない』って言ったよ? あれ、お兄ちゃんの中ではすっごい褒め言葉だからね」


「あれで褒め言葉なのか」


「うん。普段は『足りない』しか言わないもん」


 確かに、前は「足りないな」だった。

 「悪くない」は一段上がったのか?

 分からん……。


「ねえ、料理、本当に教えてくれる?」


 橘が小さい声で聞いてきた。


 その表情と距離の近さにドキッとした。

 ……いや、落ち着け。いつものことだろ。


「まぁ……お前の兄貴に命令されたからな。仕方ない」


「やったー、決まり! 楽しみにしてる!」


 橘が笑った。嬉しそうに。

 この兄妹、押し切り方が完全に同じだ。


 橘を先に降ろして、タクシーに一人。


 スマホを取り出して、矢野にLINE。


『橘兄に腕相撲で完敗した。あと橘に料理を教えろって言われた』


 既読。五秒の沈黙。


『腕相撲は草』


『てか料理教えろって、婿入りコースだろそれ』


 婿入りって何だよ。笑いごとじゃねえ。


 もう一件、通知がきた。

 橘からだ。


『今日はありがとう!! 料理、楽しみにしてるね!!』


 びっくりマーク四つ。

 返信を打とうとして、指が止まった。


 何を返しても、また何かに巻き込まれる。

 巻き込まれることが嫌じゃなくなっている自分が、一番やばい。

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