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「この人が彼氏です!」と学園アイドルに言われたモブ、逃げられなくなる  作者: もりぞー


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第1話 モブ、学園アイドルの彼氏にされる

「走って!」


 そう叫んだのは、学校で誰もが知る美少女――橘紗月たちばな さつきだった。


 俺、水野悠真みずの ゆうまはと言えば、現在進行形で彼女に腕をがっちり掴まれ、必死に駆けていた。


 息が上がって足がもつれそうになる。

 それでも橘は振り返りもせず、一直線に路地裏を突き進む。


 いやいやいや、なんで俺がこんな状況に巻き込まれてんの!?


「ちょっ――速い! お前、足速くない!?」


「いいから走って!」


「走ってるけど!? つか説明してくれ!」


「後で! 全部あとで!」


「全部って何だよ! 全部の意味がわからないんだよ俺!!」


 橘は一切振り返らない。


 商店街の裏を抜け、住宅街を駆け抜ける。

 振りほどく暇もないし、学園のアイドルの手を無理やりほどいていいのかもわからない。



 俺の平穏な日常は、つい数分前まで確かに存在していた。


 放課後の帰り道。

 悪友の矢野暁斗やの あきとと並んで歩いていた。


 こいつはいつも通りポテチを片手に、スマホで何かのガチャを回している。


「やべ。デイリーミッション忘れてた」


 矢野が足を止め、ポテチの袋を俺に押しつけて両手でスマホを操作し始めた。


「早くしろよ。コンビニ寄るんだろ」


「うるせ、三十秒で終わる」


 こいつの三十秒はだいたい三分だ。


 俺はポテチを一枚つまんで、ぼんやりと視線を彷徨わせた。

 商店街の裏手に続く路地。


 そこに、スーツ姿の男が二人いた。


 その間に挟まれるように、うちの制服を着た女子が立っている。


 橘紗月。

 別クラスの有名人。俺とは住む世界が違う人。


 遠目からでもわかるくらい、嫌そうな顔をしていた。


「紗月ちゃん、お兄さんに頼まれてるんだから。ね? 今日は大人しく――」


「だから、大丈夫だって言ってるのに!」


 不穏すぎる。


「悠真、警察呼ぶか?」


 矢野がスマホの画面から目を上げないまま、冷静な声を出した。

 それが一般市民の正解だ。


 俺はモブだ。

 こういう時は速やかにその場を離れて通報するか、見なかったことにするかのどちらかを選ぶべきなのだ。


 ――なのに。


 俺はポテチの袋を矢野の胸に押し返し、勝手に足を踏み出していた。


「あの、すみません。その人、知り合いなんですけど」


 ……なんで声かけてんだ俺!? 知り合いでもなんでもないだろ!


 振り向いたスーツの男たちがいかつい。

 完全に失敗だ。無理無理無理!


 しかし橘は違った。

 ハッとして顔を上げた彼女と、バチッと目が合う。


 制服を――うちの学校の制服を、橘の目が捉えた気がした。


 次の瞬間。


 橘が猛然と飛びついてきた。

 そして俺の後ろに回り込むようにして、腕をがっしり掴んだ。


「この人が私の彼氏です!」


「は?」


「ごめん、走って!」


 そして現在に至る。


 待ってくれ。

 彼氏ってなんだ。俺さっき彼氏って言われた?


 っていうか矢野のヤツ、絶対ポテチ食いながら見てるだろ!


「橘さん! もういいだろ、誰も追ってきてないって!」


「だめ! お兄ちゃん、しつこいから絶対追ってくる!」


「お兄ちゃん!?」


「心配症なだけで、悪い人じゃないんだけど……」


「さっきの状況で悪い人じゃないは無理がある!!」


「細かいことは気にしない!」


 気にするわ! 全然細かくないだろ!


 すれ違う人たちの怪訝な視線を浴びながら、住宅街を猛スピードで駆け抜ける。

 万年帰宅部の俺の体力は、すでに底を突きかけていた。


「ひっ、はっ……肺が、死ぬ……!」


「あ、公園! あそこ入ろ!」


 俺の悲鳴は届かない。



 桜ヶ丘公園の広場まで走り込んで、橘がようやく立ち止まった。


 俺はベンチに倒れ込む。

 肺が限界だ。今日だけで数ヶ月分の運動をした気がする。


 ――すとん。


 軽い音がして、橘が俺のすぐ横に座り込んだ。

 近い。肩が触れそうな距離感だ。


 橘が、笑った。


「あっはは、走った走った! すごい、めっちゃ走ったね!」


「笑いごとじゃ……ないだろ……っ」


「ごめんごめん。でも助かったー」


 息を切らす俺の横で、橘は平然と事情を説明し始めた。

 心臓がまだうるさい俺との温度差がすごい。


「あの人たち、うちの親戚なの。お兄ちゃんが様子見に寄こしたっぽくて」


「し、親戚?お兄ちゃん?」


「そう! 私に変な虫がつかないかって――もう、ほんとしつこいんだよ」


「はぁ、はぁ……。か、過保護すぎ?」


「ね! 私もう高校生なのに!」


 心の底から共感を求める目で見つめてくる。

 ……いや、巻き込まれてる俺に言われても。


「ていうか、さっき、俺を何て言った?」


 橘がわずかに目をそらした。


「……彼氏って言ったね」


「俺、橘さんと今日が初対面だけど」


「そうだね」


「知り合いですらない」


「そうだね」


「彼氏はさすがに飛びすぎじゃない?」


「知り合いだと弱いじゃん。でも彼氏だったら追いかけにくくなるでしょ」


「なるほど……?」


 橘はあっさり言った。

 そのせいで思わず納得しかけたけど、それ理屈繋がってるのか……?


 とりあえず落ち着け俺。


 橘は笑っていた。申し訳なさの欠片もなく、本当に楽しそうに。


 学園のアイドルが、公園のベンチで俺の隣で笑っている。

 意味がわからない。


「怒ってる?」


「状況の整理が全然追いついてない」


「そっか」


 橘は少しだけ視線を落とした。


「助けてくれてありがとう」


 橘からさっきまでの勢いがなくなってる。

 ……そんな表情されても困るんだけどな。


「……誰もいなかったし」


「え?」


「通りかかって、誰も動かなかったから。声上げたくなっただけ」


 つい言い訳がましく説明してしまった。


 橘は少しだけ黙って、俺を見た。


「……面白い人だね」


「いや、面白くはねえだろ」


 ようやく息が整ってきたところで、俺は自分の腕に気づいた。


 掴まれている。


 走り終わって、止まって、呼吸も整い始めているのに。

 橘の指は、俺の腕からまだ離れていなかった。


 本人は完全に気づいていない顔で喋っている。

 パーソナルスペースって概念がないのかこいつは。


「あの……」


「え、なに?」


「……手」


 橘が首をかしげる。


 マジか。この至近距離でわからないのか。


「腕、まだ掴んでる」


「あ」


 指が、すっと離れた。


「ごめん! 掴みっぱなしだった」


「いや、まあ」


 なんだか急に手が軽くなった気がする。なんでだ。


 そんな軽い葛藤をしてたら、橘が動いた。

 もう少し近くから、横顔を覗き込むように。


「っ……ちかっ」


「名前、なんていうの?」


「……水野。水野、悠真」


「水野くん」


 橘が繰り返した。


 学園のアイドルに名前を呼ばれた。

 今更ながらその衝撃に、思わず俺は完全に言葉に詰まってしまった。


「私、橘紗月」


「……知ってる」


「知ってたんだ」


 橘は少し嬉しそうに言った。


 なんでそこで嬉しそうにするんだ。

 知ってて当然だろ……。


 橘は勢いよく立ち上がった。


「ごめんね、急に巻き込んで。ありがとう、水野くん。本当に助かった!」


 全開の笑顔。

 思わず見惚れる。


「じゃあね!」


 手を振って、橘は高台の方に走っていった。

 振り返りもしなかった。


 取り残された俺は、ベンチで一人呆然としていた。


 ……なんなんだ、マジで。台風かよ。


 さっきまで掴まれていた袖を見た。指の形なんか残っていない。

 残っていないのに――まだ、温かい気がする。


 いや、走った直後で体温が上がっているからだ。

 それだけだ。勘違いするな。


 ブーッ、と。

 ポケットのスマホが震えた。矢野からのLINEだった。


『見てたぞ』

 

『自分から声かけといて、巻き込まれたとか言うなよ?』


 ……コイツ。

 ていうか、完全に巻き込まれ事故だろ!


 俺は逃げるように画面を閉じた。


 そう、巻き込まれただけだ。

 明日からも俺の平穏なモブライフは続くはず……だ。


 ――学園のアイドルと、自分から関わってしまった事実。

 そして何より、矢野にすべて見られていたという事実が、明日の学校生活にとんでもない波乱を呼ぶ気がしてならなかった。

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