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葵言葵行~宋代を生きた或る青年の傳記~  作者: Yuki_Mar12
【第一章】運命の村 虞丈
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 馮駘東は、虞丈内の各戸を巡っていた。日が暮れてからのことで、暗中、出歩くのにたいまつが要ったが、駘東は人目を憚り、灯火類は持たずに巡った。大抵の場合、各戸の出入口に灯火の明かりが漏れていたので、迷うことはなかった。


 彼は農民全てに、栄月の謀殺の計画を教えた。農民たちにとっては、蔡家を含め、すでに駘東の口から、栄月の侵攻作戦を知らされ、参加を義務付けられていたので、その計画にすっかり動揺し、戸惑ってしまった。


 だが、日頃圧政に苦しめられている農民たちにおいては、栄月を援助するより、打ち倒す方が好ましかった。そのため、動揺と戸惑いは早々と治まり、圧政者の打倒に燃えた。平時は農作業に従事させられ、戦時は戦に召集される農民は、士気が低いものだが、この時は違うようだった。鬱積した不満を晴らせる展望は、被支配者にとって麗しい夢のようであった。


 指揮は駘東が執り、当日、援軍が中央より派遣されてくるそうで、挟撃の形で、朱家を襲う手筈になっていた。


 この話は、勿論、蔡家にも伝えられ、話を聞いた荒円と芸輪は、他の農民と同じく面食らったが、最終的には乗り気になった。


 駘東が来訪し、家の中で両親共々鼎談の恰好でヒソヒソ話している時、葵千は以前のように遠巻きにその話に耳を傾けていた。


 彼は真相に触れてドキリとし、駘東の持ち込んできた話が、野原で遭遇した旭光のしたものと頭の中で符合し、合点が行くようだった。


 小さく縮こまっていられなくなった葵千は、立ち上がって両親のところに行き、戦に参加したい旨を伝えた……。




「何だって?」、と荒円がやや声を大きくして驚く。芸輪も駘東も、目を丸くする。


 葵千は三人のそばに立ち、その姿は、小さい灯火に淡く照らされている。


「ですから、ぼくも参戦したいと思うのです」


 息子が改めて意思を述べると、両親は顔を見合わせ、「葵千が……」、と呟き合った。


 駘東は、頭を縦に振らなかったし、肯定してやろうという気がまるでなかった。なぜなら、彼はこの計画に対して、うまくいく確信を持てず、半信半疑でいるからである。


「村の未来が懸かっているというなら、勉強なんてしていられません」


「しかし、お前は武術を全然やってこなかったじゃないか」、と荒円。


「憑円だって、女の子なのに戦えるんです。ぼくだって……」


「彼女は駘東さんが稽古をお付けになっているからたくましいのだぞ」


 駘東と芸輪は難しい顔をするだけで、口を挟むことはなかった。


「そうですよね、駘東さん」、と荒円は同意を求めて呼びかける。芸輪も、葵千には参戦して欲しくなく、駘東の顔を窺う。


 だが、駘東は眉を顰めて腕組みするばかりだった。


「申し訳ありませんが」、と駘東。「話し合いの余地はありません。わたしはお伝えすべきことをお伝えしに来たまで。それ以上は勘弁して貰いたい。何分、この話は極秘なのでね。もしもこの話が栄月の耳に入ったら、わたしはただじゃすまないでしょう」


 そう言って、駘東は立ち上がると、葵千と目を合わせた。小さい灯火が照るだけの宵闇で、互いの顔はそれぞれよく見えなかったが、葵千の目には、駘東の目に、何か冷たいものが宿っているように思え、いささか怯えていた。


「葵千くん」、と駘東が呼びかける。


「はい」、と彼は恭順に返事する。


「もし、戦や武技など、荒っぽいことに関して何か知りたいと思えば、娘の憑円に聞けばいい。あれが教えてくれるだろう。わたしは亡き母親の分まで今まで薫育してきた。まるで頼りにならないことはあるまい」


 葵千はすっかり納得が行くわけではなかったが、取りあえず頷いた。


 駘東は辞去を申し出、作戦の日取りや集合場所などを荒円たちと再確認し合うと、家を去っていった。


 暗い外に出た駘東は、夜空を見上げてみた。星は一つとして見えず、曇っているようだった。近々、雨が降りそうな空模様だった。







 雨は長雨だった。三日ほど降り続き、まだ地面が乾かぬ状態で、作戦の時が訪れ、実行された。曇天の日の早朝のことで、高湿のため、辺りはひどくむしむししていた。


 朱家の四合院建築の邸宅が、武装した農民と中央政府の援軍により包囲され、駘東の号令で、突撃が開始された。蔡家では、荒円だけが参加し、芸輪と葵千は後方で待機していた。彼等は駘東の娘、憑円といっしょに、ある農民の家の中に隠れ、武具や食料などの物資の保管を担っていた。


 兵たちの叫び声は村中に轟き、一斉に、槍や矛を持って壁や塀を越えて邸宅内に突入したが、中はもぬけの殻だった。商人より授かった火器を紐で背にかけて剣を手に持つ駘東が、おかしいと思い、辺りをキョロキョロしていると、外から誰かの叫び声が聞こえ、夥しい数の矢が邸宅内に降り注いできた。矢のほとんどは先端に火が燃えており、みるみるうちに邸宅に火が燃え移り、火事になった。


 兵たちは狼狽したが、逃げ道がなく、指揮官である駘東は鋭敏にことの次第が悟られるようで、この作戦の結末が予見され、青くなった。


 確かに、と彼は思った。


 ――確かに、この作戦は、虐げられる農民たちのための解放の意味と大義があり、それに加え、新しい政治の思惑があった。この作戦には、少しの瑕疵さえなく、時代の追い風があり、負ける要素などなかったはずだ。だが……。


 兵たちは総崩れになり、作戦は頓挫せざるを得なかった。


 駘東は、駆け足で中庭を抜け、柱を屋根までよじ登って、燃え盛る火炎に囲まれて、辺り一帯を見渡してみた。


 すると、大勢の見物客がいるのが見えた。彼等は総じて武装し、馬に乗ったり、自分の足で立ったりして……すなわち見物客などではなく、栄月の手勢だった。


 中央の援軍はこれ以上来ず、農民たちはきっと皆殺しにされるだろう。この村は終わりだった。




 遠いぼんやりした意識でクラクラし、駘東は、屋根の上という高所にいて、盛んに吹く風に煽られて、倒れそうだった。だが、彼はその目に、自分に向かってフワッと飛来する物体が見える気がした。小鳥か何かだろうか? 違った。一本の矢であり、その矢の鋭い鏃は、グサッと敗軍の長の胸部に突き刺さり、彼はユラリとよろめくと、燃え盛る邸宅の中庭に、あえなく落ちていったのだった。




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