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葵言葵行~宋代を生きた或る青年の傳記~  作者: Yuki_Mar12
【第一章】運命の村 虞丈
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 下級農民の倅の分際で、官僚になることを夢見て勉強する葵千とその両親が、朱栄月には、癪だった。


 邸宅の一室で、彼は職人に作らせた木製の上等な肘掛椅子に座り、足を組み、肘掛に右肘を置いて頬杖を突いている。袍を着、その帯には、虎豹の毛皮の装飾品が垂れている。ある日の昼間、曇天のため、窓から部屋に差し込む光量は乏しい。


「栄月様」


 そう言って、侍従が一人部屋に現れ、恭順に跪く。馮駘東だった。


「招集の布告が完了しました」


「ご苦労。お前はよく働くな、駘東」


「恐縮にございます」


 駘東は元々低い頭を一層低くして謝辞を述べる。


 栄月はその様を見下ろし、得意そうにフッと笑む。


「蔡家の連中は来るのか」


「彼等も、はい、例外にはございません」


「親が戦死でもすりゃ、息子は勉強なぞに現を抜かせないようになるんだが」


「蔡家の息子、葵千はまだ若い。どれだけ勉強しても、科挙の合格には遠いでしょう。その志は大したものですが」


「なら、なおさら勉強から遠ざけてやらないとな」


 面従腹背……駘東は、表では主人たる栄月に従順に振舞っているが、その実、彼は中央政府の者と密に繋がり、栄月の排除を任されていた。その真実を気取られれば、駘東は、娘の憑円諸共、惨たらしく殺されるなど、憂き目に遭うだろう。


「お言葉ですが、民心はあまり軽んじないのがよろしいかと」


「フハハ!」


 栄月は豪快に笑い、頬杖をやめると、お腹の辺で両手を組み、悠揚に構える。


「おれに温情でも求めるつもりか?」


「……」


 駘東は何も答えなかった。


「温情主義など笑止千万。おれは恐怖で民を束ねるつもりだ。蔡家のような愚鈍な連中に、情けなどどうしてかける必要があろうか」


「いささか行き過ぎた発言だったかも知れません」、と駘東は言って陳謝する。「栄月様の天下、わたしは心より望んでおります」


「天下はとても大きいもので、それを制するには勢力が必要だ。唐の安禄山はいくつもの地方を統治して勢力を強大にし、中央を搔き乱したそうだが、おれもそういう大仕事を成したいものだな」


 栄月の陶酔した発言の余韻は長く、駘東はじっと押し黙ってこうべを垂れていた。


「駘東」


 ふと、栄月が呼ぶ。


「あまりおれの考えに賛同してくれる感じがしないが」


 駘東は胸中でドキッとする。


「滅相もございません。わたしは、栄月様の手足となって粉骨砕身する所存にございます」


「そうか。勘ぐってすまない」


 そう言って、栄月はおもむろに肘掛椅子より立ち上がり、進み出て、跪く駘東のすぐ正面まで来る。


 彼が床に足を引きずる音が、駘東の耳には、妙に威圧的に響いて仕方なかった。


 栄月は駘東の耳元に口を寄せ、「くれぐれも、へたな企てはしないことだ」、とささやいた。「中央にいる武人嫌いの腑抜けの連中が、旧時代の独立した地方の統治機構を忌まわしく思っていることはよく知っている。大人しくしてりゃ、遅かれ早かれおれの地位は危ういものになる。だが、おれは、おれの夢ために、大人しくじっとしているつもりはない」


 駘東は、いつの間にか動悸がキツくなって苦しかった。それまでは近い内に命を奪われることになる儚い運命の道化師のはずだった仮の主人が、にわかに存在感を増し、容易に打ち倒せない強敵のように思われてきたためだ。


「まぁ、お前の好きにするがいい。もし裏切って来襲したとしても、返り討ちにしてやる」


 栄月はそう言うと、ハハハとまた笑い声を上げ、上機嫌に駘東の肩をパシパシ叩いて、彼に退室するように求めたのだった。


 退室後、駘東は生きた心地がしなかった。確かに、主人である栄月を殺害することを、密かに繋がる中央政府の使いに、帝王の指示として、間接的に命じられているわけだが、新しい武具を得たとして、果たして上首尾にいくかどうか、まるで確信が持てないのだった。







 戦のための召集が村全体にかけられて、村民は皆憂鬱に沈んでいた。農作業を中断し、息が詰まる戦場に駆り出されるのである。農民は、武具は支給されず、自前で用意して携行しなければいけないし、農民が自前で用意出来る武具など高が知れたもので、軽装にならざるを得ず、戦場はいつでも非常に危険だった。


 蔡家も例外ではなく、荒円と芸輪は頭を抱え、だけど反逆出来ない弱さゆえ、屈従せざるを得ないのだった。


 息子の葵千にとっては、何度か経験してきたことだった。父母が戦に出ていき、家には他に誰もいなくなり、食事の用意は自分でしなくてはならず、よく分からない木の実や、簡単に作れる作物を畑で育てて食べるしかなかった。


 あまつさえ、最近はとんと勉強に身が入らないようになっており、葵千は一人になる時が不安だった。彼はだが、勉強などで変に知識が付いてしまい、すでに十四にもなる男子が、まさか兵役を逃れて家に残ることが許されるのだろうかという風に疑われた。


 現実逃避したい気分に葵千はなっていた。普段蔡家によくしてくれる馮駘東の力でどうにかならないだろうか、などという甘い考えが、彼にはあったが、その望みは現実味がなかった。


 中央政府は文官を重用しているのは確かかも知れないが、地方では戦などの荒っぽいことが、まだまだはびこっているのだった。




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