⑥
旭光は仲間たちに、少しここで休憩しようと言い、仲間たちはどこか呆れる風だったが、従うようだった。
旭光は葵千の隣に、片方の脚は膝を曲げて立て、もう片方の脚は伸ばすというくつろいだ姿勢で腰を下ろした。
「虞丈というのだな」、と旭光「ずいぶんのどかなところだ」
風が起こり、野原に生える丈の長い草が、柔らかに揺れる。
葵千は、ただの鄙びた寒村に過ぎないと、シニカルに聞いた。
休憩しようと言われた仲間たちは、葵千と旭光のすぐ近くにあぐらを組んで安気に座り、自由に談笑しているようだった。
「率直な話、わたしはここに視察に来たのだ」
「視察……けど、虞丈は貧しい村に過ぎず、何もありません」
「そうだな」、と旭光は遠い目で返す。「だが、わたしはここの土地を任される運びとなったのだ。まだ先のことだがな」
「?」
葵千はその意を汲み取りかね、きょとんとした。
「もし、許されるなら、君のことを少し知りたい。話して貰えないだろうか」
「ぼくのこと……」
葵千は考え込むように俯いた。
そう言われたとて、葵千はあまり進んで話したいと思える身空ではなかった。かといって、断ったり偽ったりするのは気が進まなかったので、渋々、彼は姓名を名乗り、みずからが農家の息子で、科挙のために日々勉強に励んでいると話して聞かせた。
「それは、結構な大志を持ったことだ」
旭光は唖然として葵千を見つめて述べた。あまり称揚出来ないが、はっきり否定はしないという曖昧な意味合いの滲む言葉だった。
「何となく、分かってるんです」、と葵千が俯いたまま言う。「ぼくはまだ若いし、何も知らない。書物を読んで、知ったかぶりしてるだけなんです」
「がり勉に徹するのは、試験に受かるのに必要なことだ。あまり卑屈になるべきではない」
「でも、知識だけではダメだという気がするんです。経験がないといけないっていう気が」
「……」
旭光は目線を正面の遠く、農村の風景の方に向け、黙考するようだった。
「それは、間違いではない。科挙の試験は知識だけでは十分ではない。科挙を合格して今の地位にいるわたしはそう断言出来る」
その言葉を聞き、葵千は俯いていたのがうなだれ、自信を喪失したようだった。
「君はまだ若い。若いということは、人間として足りないということだ」
そう言って旭光は青年の背中に励ますようにポンと手を置く。
「だが、同時に、伸びしろがあるということでもある。だから、そう落ち込むものではない」
そう言われ、葵千はゆっくり面を上げ、旭光を見つめた。
ふと、「旭光様」、という呼び声が聞こえ、彼の背後に、仲間たちが揃って立っていた。
「あぁ。そろそろ行こうか」、と旭光は彼等を振り向いて立ち上がる。
葵千は、関係ないのに、彼等に同調して立ち上がり、いささか足の痺れを覚えて姿勢が傾く。
旭光は微笑し、「君には旅することを勧めるよ」、と言った。
「旅……ですか」
「この地は程なく大改編が行われることになる。君が勉強している以外のこと、例えば、どういう家族構成なのかなどは、先の話では詳しく分からなかったが、とにかく、ある計画が水面下で進んでいるのだ」
「旭光様」、と仲間の一人が、まずいとでも思う風に眉を怒らせて割り込んでくる。「その話は秘すべきことです。部外者に漏らすのは……」
「構わんよ」、と旭光は余裕のある流し目と共に仲間に返す。「どの道、この計画は確実に断行されることになる。変えようのない必然としてな」
すると、仲間は一礼してすごすごと退く。
「では、わたしたちは辞去させて貰うとするよ。葵千くん。まさか君のような青年が、科挙を受験するために情熱を持って勉強しているとは思わなかったよ。心より成功を祈っている」
そう言って、旭光たちは拱手の礼をし、葵千も慣れていないゆえ、不格好ながら、同じ形式で返した。
彼らがいなくなると、野原には葵千一人になった。風が穏やかに流れ、夏草を優雅になびかせていたが、青年の心の中では、不穏な想像が渦巻いていた。
この地に変化が起こるらしい……旭光はそう話した。しかも、当事者の立場で、である。
何かが動き出そうとしていた。それは、抑えたり留めたりすることが出来ないほど、小さくない力を源にしているようだった。
◇
ある日の昼下がりのこと。
馮家の部屋で、憑円は一人、板間に仰向けに寝そべって、組んだ両手に後頭部をのせて天井を見つめ、じっと考え事に耽っていた。
唐突だったが、彼女は昨夜、訪問者である阿蘭に、側仕えにならないかという、半分冗談のようだった提案を受けた。
自分の将来について、憑円は常々思惟を巡らせていた。十四歳。体はすでにほとんど大人のもので、やろうと思えば、何だって出来るようだった。ただ、何も知らず、分からないという危うさがあった。
『多分、父上と同じように、藩鎮に所属する武人になるんじゃないかな』
……先日、山麓の林で葵千との話で出た自分の言葉が、憑円において思い返される。
阿蘭は帰ってしまったが、返事は保留になっている。その気があれば、彼に連絡を取れば、聞き入れてくれるそうだ。駘東は否定せず、娘の将来像の一案としてとりあえず受け取るという感じだった。
憑円は後頭部の手を抜いて、板にじかに頭を付け、両手を目の前の宙に持ってきて、ギュッとそれぞれ拳を握ってみた。
元々、何となくではあれ、武人を目指して父と共に稽古していたが、客商の下働きとして働くかも知れない可能性を手に入れて、憑円は、初めて何かを考えるということの意味を知るようだった。




