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「少ないな」、と朱栄月(しゅ えいげつ)がいかめしい声色で言った。


 蔡家の出入口に招かれざる客がやってきていた。彼等は鉢巻きを巻き、くすんだ色の袍を着、束帯で腰の部分を締め、帯刀していた。


 虞丈(ぐじょう)――葵千たちの暮らす地域の名で、鄙びた農村だが、節度使という支配者が強権を握っていた。中央政府では文官が重用されているというのに、政治に見捨てられているに等しい辺境はまだ、旧時代の支配制度が残存していて、荒くれ者の武人が、無辜の民を苦しめているのだった。


 夏税用の作物の取れ高の具合を確かめに、栄月たちは来ていた。栄月は慈悲深さとは程遠い性根の人物だった。


「でも」、と葵千の父が怯えた顔で彼に抗弁する。「秋税の頃よりはマシなんですよ。日照りに強いと噂の品種の作物を植えまして、収穫量が増えたのですが」


 眼光鋭く仁王立ちする栄月とその連れ合いたち。荒円と芸輪は跪いて情けを乞うている。


「納税は銭でも構わないのだぞ」


「銭は、ございません。小宅は貧農でございますので……」


 青褪めた顔の荒円に対し、栄月は「フン」と鼻で嘲笑うと、足で胸を軽く蹴って倒し、仰向けに転がる様をまた笑った。


 その様子を、息子の葵千が、家の中の片隅でじっと縮こまって見ていた。栄月への憤りがあったものの、葵千は気が小さかった。


 ゲラゲラ笑う栄月が、笑うのをやめた。葵千に目を留めたのだった。


「おや、臆病者の倅じゃないか」


 そう言って栄月はズカズカと家の中に入り込み、葵千の目前に立った。彼の履く先の鋭い黒い革靴が、妙にいかめしかった。


「ん?」


 栄月は、葵千の付近の板に積まれたものをザッと見る。科挙の勉強用の書物だった。


「家の連中はろくに税も収めないくせに、息子は働かずに勉強か」


 栄月は足を上げ、そばの書物の山を足蹴で崩してしまう。


「お前も畑に出て働けよ。そうすれば、おれはお前の親父をいじめずに済むんだが」


 葵千は臆病ながら、何か刺々した感情が膨れてくる感じを覚え、胸が苦しくなってきた。自然と、彼の拳が強く握られる。


「栄月様! どうか息子だけは、ご勘弁を!」


 父、荒円が息子の前に出、彼を庇う恰好になる。


 栄月は「チッ」と舌打ちする。「せいぜい徴収の時までに、必ず定められた取れ高を確保しろよ」


 そう捨て台詞を吐き、栄月は家の出入口まで戻り、仲間たちを連れて、正面に待たせてある馬に跨って去っていく。蔡家一同は、彼等を表に出て土下座して丁重に見送った。


 土に額を付け、指の爪で地面を軽く掻き、葵千は切に思った。早くこの生活を、親と共に抜け出したい。家族が楽になって、安んじるようにしたい、と。


 父母共に「ハァ」、と落胆のため息を吐いて程なく、「災難でしたな」、という慰安の言葉が、渋い声でどこからかかけられる。


 蔡家一同がハッと顔を上げると、袍を来た、栄月とあまり変わらない恰好の髭をたくわえた男が立っている。


「馮さん……」、と荒円。


 この髭の男、馮駘東(ぶ たいとう)は、同じ農村に住まう住人だった。彼は武人であり、栄月の配下なのだが、わけあってあまり忠実ではないようだった。


「世は変わりつつあります」、と駘東。「治世のよりどころが、以前は武威だったのが、帝王が交代した昨今、教養と理性に変わりました。その流れは中央から徐々に波及していっておりますが、この虞丈にはまだ届かぬようです」


「早く住みよい世の中になって欲しいものです」


 芸輪がそう言って荒円、葵千と共に立ち上がり、服の土埃を手で払い落した。皆、髻を結っていたが、乱れたチリチリの髪が浮き上がっていたし、着ている服はボロだった。


 虞丈にある家屋は、大半が農民のもので、藁と質の悪い煉瓦のあばら家ばかり。外の地面と家の中の地面は続いていて、せいぜい寝る時や座ってご飯を食べる時にむしろを敷くくらいのものだった。いくつかの家屋は、しっかりした四合院建築という中庭を囲うように建物が建つ構造だったが、そういうところの住人には、農民は頭が上がらないのだった。格差があり、差別があった。帝王が交代したところで、全ての問題が解決されるのではなかった。


 夏空が青く、綿雲が浮かんでいる。木々は青々とし、作物は日照のためによく育つが、大半は徴収されてしまう。


 葵千の父母と駘東が話している脇で、葵千は半ば放置された格好で、ぼんやり景色を見ていたが、「相変わらず、細いね」、という風に、その痩身に関して声をかけられた。


 彼のそばに、少女が腕組みして立っている。斜めの眉がキリッとしていて、瞳は凛と黒色に輝いている。いささか厚みのある唇が艶っぽい彼女は、葵千と同じ十四歳の、馮憑円(ぶ ひょうえん)だった。


「まぁ、アンタの待遇では、満足にご飯が食べられないのは分かるけど」


 聞かれた葵千は、後ろ頭を掻いて苦笑いし、「うん」、と頷いて肯定する。「それもそうだけど、勉強ばっかりしてるからさ……」


「貧弱じゃ、侮られて当然ね」


 そう言って、憑円はパシンと、手のひらに拳を打ち付ける。彼女は、決して体格が大きくなく、女性らしくしなやかなのだが、筋がしっかりしている感じで、そのわけは、彼女が、父に武芸を習って日々稽古に励んでいるためだった。喧嘩では同い年の男子に負けないほど、彼女は強靭なのだった。


 葵千は、自分が弱弱しいタチのせいか、往々にして憑円のことが羨ましいと思った。


 彼女の両耳には、碧色の鉱石を加工した小さい耳環が飾られていて、夏日に照らされると、美しく輝くのだった。




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