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 旭光たちは憑円より一回り年上で、彼等の話は彼女にとって、難解に聞こえることがしばしばだった。また、旭光たちと憑円は、元は他人同士だったところ、偶然いっしょにいるに過ぎず、話に積極的に参加してこない憑円は、あまり意に介されず、閑却された。


 雨のその日、憑円は、バツの悪い気持ちになってくると、そっと寝台から立ち上がった。旭光は怪訝に思い、話が中断した。




「ちょっと出かけてきます」、と憑円。


「出かけるって、どこに?」、と旭光。


「外をしばらく歩き回るだけです。すぐ戻ります」




 旭光はきょとんとしていたが、引き留めることはせず、せいぜい気を付けるよう注意するだけで、憑円は雨具である蓑笠を借りて身に纏うと、宿を出た。


 表より一歩分だけ通りに出、憑円は空を仰いだ。無数の雨粒が降り注いでいて、地面はベタベタに濡れている。


 通りを行く人影は、晴れていた昨日と比べると疎らで、ほとんど寂しいくらいだった。多くは屋内に引き籠っているようだった。坂道の町の地面を、雨水が細い筋を描いて流れていた。


 憑円は無心に歩いていき、川のほとりまで来た。川には橋が架かっており、その向こう側にも町並みがあった。その更に向こうは山となっている。垂れこめる暗雲と雨のせいで、風景は暗く濁っていた。


 異郷の地に来れば、人は郷愁に誘われるものだ。憑円の場合も例外でなく、ましてや彼女はまだ十代そこそこの少女だったので、心細さに過去が恋しくなった。だが、虞丈は滅び、駘東は亡くなった。彼女に残されたのは、途方もない茫漠たる未来の荒野だった。


 村の皆はどうなったのだろう。生き残った者は……?


 憑円の頭に、自然と葵千のことが思い浮かんできた。科挙に臨むため、日夜勉強に励む彼においては、仮に生き残っているとしても、反乱が失敗に終わったあの村では、最早それまでの生活はままならないだろう。夢を持ってコツコツ努力する彼の姿には、確かにただの貧農の倅に過ぎなかったけど、ひたむきで、親孝行の思いに溢れていて、胸を打つものがないではなかった。


 葵千には努力を積み重ねる堅実さがあった。憑円においても、自身の武術が一朝一夕で培われたわけではないので、彼女は、そういう堅実さが確固とした能力と誇りに繋がるのだということがよく分かっていた。


 彼のことが、駘東や村のイメージなどと共に、懐かしく回想された。彼はしかし、不運に際会して、今は過去の者になってしまったのだろうか。どこかで生き延び、今日においても地道に勉強に時日を費やしているのではなかろうか。


 憑円においては、そういう気がしてくるのだった。







 靄が立ち込める中、『彼等』は孜々と働いていた。夜を日に継いで、休む暇はまるでなかった。


 宋軍に属する職人集団が、国境の長城の構造強化工事に従事していた。労働は体力勝負だし、長時間に及ぶし、危険だしで過酷だったが、帝王が相応の報いを約束し、この仕事さえやり遂げれば莫大な財産を持てると保証したので、職人たちは奴隷的恭順さではなく、強い動機付けによって積極的に労働していた。


 土塁に過ぎなかったものを、レンガの積み上げによって高く堅固にし、帝王の計画によれば、王朝を包囲する壁にするようだった。中国大陸は広大で、改築工事は外敵の妨害などで必ずしも円滑に進むわけではなかったので、その計画は途方もないものだった。


 しかしこの歴史的工事を、チマチマとでなく大規模に王朝の権威を存分に揮ってやらねば、いつまで経っても王朝は外敵の憂患に煩わされなければならない。この計画の実現への望みは、長い中国史において、あるいは明確に、あるいは暗然とあり、歴代の王たちは皆、頭を悩ませて、その思いを連鎖させてきたのである。


 太宗超光義の思いは、周囲には、牢乎たる城壁を打ち建てて防備を固め、内側には、選りすぐりの精鋭による親衛隊を配して、波乱の中国史に終止符を打ち、容易に倒れない盤石な政権基盤を築きたいというものだった。


 鍛えられたレンガが、荷車で現地に運ばれ、力持ちの人足に運搬され、職人たちによって積み上げられ、泥や粘土などで固められていく。設計者の描いた図面は、城壁の長大さに比例して夥しくあり、そのために作らなければいけないものも、加工も、作業も、事情は同じだった。人手はどれだけ多くても、多過ぎるということはなかったし、時間はほとんど無限に必要だった。


 職人たちは都度、報酬の一部を収受し、それだけで普段の彼等の稼ぎの何倍もあり、そこで満足して引退する者がいれば、より多くを求めて勤続する者もいた。富裕になりたい者、女の気を惹きたい者、親に楽させたい者、子供たちに豊かに暮らさせたい者、職人たちの背景は様々だった。


 ――太宗やその宰相を始めとして、頭脳を持つ者は皆、薄々分かっていた。この計画は、余りにも巨大すぎてほとんど空中楼閣然としていること。仮にいつか城壁の竣工の時が来たとして、外敵の来襲は完全には防げないこと。




 だが、こういう計画を動かすためには、夢が必要だった。幾多の人間を魅了する、大いなる夢が。


 太宗を主に抱く宋における、彼が挑みたいと思うその夢というのは、城壁に囲まれた楽園の創成であった。




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