⑥
「むさくるしい男どもとの行動は嫌だろうが、我慢して欲しい」
旭光が憑円にそう頼んだ。
彼等は他の仲間たちと一緒にこの大門峡の町で宿を取り、全員で六人だったが、三つの部屋をそれぞれ二人で使う形になり、憑円と旭光は同じ部屋となった。
窓が小さいゆえ薄暗いが、部屋では火器に灯火が灯っていた。
憑円は木製の寝台の上にのって、ふちに背をもたせて膝を組んで悄然としており、旭光は、彼女の寝台のそばに椅子を置いて風雅に座っている。
「いいんです。一人だと、これからどうすればいいのか分からないから」
「……」
物思うように旭光は沈黙する。
「ちょっと聞きたいんですけど」
「何だ?」
「わたしはあの阿蘭という男を知ってました。アイツは虞丈にあった家に来て、父上と密談してたんです。虞丈を支配してた栄月を殺す計画について。武器らしきものを提供してました」
「大体のことは、政府の者であるわたしの方でも、事前に把握していた。だが、事態はそうなるはずだったものとは逆の結果となってしまった。栄月は生き残り、ヤツに反乱を起こした者たちは……きっと死んだのだろう」
その言葉を聞き、憑円は悲しそうに眉をひそめた。
「政府の思惑で、こうなったのでしょう?」
そう問う彼女の声色は、どこか責める調子を帯びていて刺々しかった。
「政府にとって、栄月などの旧時代の地方支配者は、政府に従わない目障りな遺物だった。さっさと滅ぼして分散した権力を集約したいと思っていた。だがこうなると、政府の思惑に対して拮抗するものが存在すると考えざるを得ない」
「阿蘭は敵なんですか? わたしの父上は、アイツに謀殺されたんですか?」
「味方では決してない。わたしの連れ合いの一人が、ヤツの雇う職人に殺されたのだ。だが、敵でもないはずなんだ。あれはただの商人に過ぎない。専売制になっている武器を取り扱っているということは、政府と関係を持っていることになるんだが……」
旭光が顎に手をやってじっくり考え込むが、真実はすっかり煙の中だった。だが、あの時阿蘭のそばにいた、職人とは違う風体の男が怪しいと、彼は回顧していた。
「考えたり悔んだりしたところで、そう妙案が閃くものではない」
そう言って、旭光が椅子より立ち上がる。
「憑円、ちょっとブラブラ歩きに出かけよう。こうしていると、塞ぎっぱなしになってしまう」
膝を組む憑円は、旭光を見上げ、面倒に思ったが、ちょっと考えた。そして来た経験のない町をブラブラ歩きするのは悪くないと思い、彼の提案を受け入れることにしたのだった。
憑円は観光がてら町を巡り、そうしている内に時間は過ぎていった。
明るかった空が橙色に染まり、やがて暗色に転じた。夜になった。町の活況が治まり、静けさが町を統べていた。夜警の者が歩く時の、土を踏みしめる足音だけが微かに聞こえてくるようだった。
膝を組んでいた寝台に、憑円は横向きで、布をかけて、体をややうずくまるように曲げて眠っていた。隣の寝台では旭光が仰向けで眠っていた。
憑円の寝顔は安らかなものだった。目は固く閉じられ、息は深く、けれど、隠し切れない現状の不安が、彼女全体を覆っていた。
***
「――武人になりたいって?」
駘東はきょとんとして訊き返す。
「はい」、と弱冠八歳の幼い憑円は返す。「強くなりたいんです」
まだ耳環も付けていない年頃だった。
二人は四合院の家の一室で、机に付いて対面していた。
「お前は女の子だろう。美を磨いていい男に嫁ぎなさい」
その案に、憑円は首を左右に振って返す。
「わたし、父上の助けになりたいから」
憑円が率直な調子でそう言うと、駘東は気乗りしていなかったが、その孝行の意思に胸を打たれ、思わず頬が緩み、「そうか」、と納得するように答えた。
馮家の成員は二人だった。母は早くに他界し、家のことは駘東が切り盛りした。娘に苦労させるのはよくない、伸び伸び過ごして優雅になって欲しいと願い、一人親だったが、憑円は駘東のお陰で何不自由なく暮らすことが出来ていた。
……。
「ヤーッ!」
憑円は高い掛け声を上げ、頭上に上げた長柄刀を振り下ろす。だが、刃の部分が重くて、どうしても地面に着いてしまい、刃を傷めてしまう。刃先には土汚れがこびりついている。
彼女は中庭で稽古していた。娘が武器を振るい、父がその様を見て指導した。
うまく型を演じられず、憑円は残念そうに眉を下げて駘東の方を見る。
「腰が甘いぞ、憑円。長柄刀を振るうのではなく、逆に振られている」
「すみません、父上」
「それ、もう一度」
そう言われ、憑円はスゥと息を吸い、長柄刀を持ち上げる。だが、何度も繰り返していると、だんだん腕の感覚が鈍くなって来、またずっと柄を握り締めている手にマメが出来て痛くなってくる。
口中で唾がネバネバし、苦っぽい。憑円はだが、挫けずに続けた。倒れてもいいという思いで柄を持ち上げ、ふらつきながらも頭上で止め、呼吸を整えた後、また「ヤーッ」という掛け声で振り下ろす。
甘い腰を締め、不動の心で地面に立ち、地面すれすれのところで、刃を留める……すると、初めて成功の時が訪れた。
「や、やった! 父上!」
憑円は喜びの余り、顔を輝かせて駘東の方を見遣る。すると彼は、満足そうに笑みを浮かべ、「よくやったな」、と称揚してくれる。
駘東のそばにある、柳の木の葉が風に揺れる。空は胸がすくように青く、武術の稽古は、憑円にとっては決して嫌ではなく、何か自分を高めてくれることであり、むしろ好きだった。
いつかは駘東に付いて戦に赴くかも知れない……そういう予想が、憑円において現実味を持ってイメージされるようになったが、父を助けることになり、父の後継となれるのなら、結構だった。
……。
「どうしてですか? 父上」
阿蘭が訪問して去った翌日の朝、憑円は駘東と中庭の柳のそばで話していた。憑円は成長して幼少期を脱して背が高くなり、垢抜けた青い鉱石の耳環を付けている。駘東はというと、老け込んでいた。
憑円は問い詰めるように厳しい表情でおり、父は父で、絶対に受け入れることは出来ないという頑なさで彼女に対抗していた。
「今回の作戦は危険過ぎるんだ。勝てる確証はない」
「阿蘭という男に武器まで授けて貰ったのに、なぜ?」
「栄月には嫌に余裕があった。仮に不意討ちを受けても死にはしない感じだった。あの余裕は、恐るべきものだ」
「わたしが随行して、ヤツを必ず仕留めます」
憑円が胸に手をやって宣言する。
「そう出来る保証などないのだ!」
駘東は険相で呶鳴った。
「お前はまだ実戦の経験が少ない。武術の訓練を施してやり、幾度か反乱の鎮圧などに参戦させたが、今回は、事情が違うのだ」
「父上……」
柳の木が、静観しているようだった。
聞かん気の娘を説得する父と、強情を張る娘の間には、互いの関係を冷たくする隔たりが出来ているようだった。
そして憑円は、作戦当日、後方で待機していたが、朱栄月の邸宅に火が上り、四方を栄月の手勢が囲んでいる光景を見て青褪め、父の死を悲しむ冷たい気持ちになると同時に、仇討ちを願うメラメラ熱っぽい気持ちになった。
彼女の周りは、燎原の火の如く燃え盛り、その熱に彼女自身が飲まれるようで……彼女は、ずいぶん苦しかった。
***
憑円がハッと目覚めると、まだ夜中だった。旭光の規則的な寝息が聞こえている。
憑円は息が荒く、冷や汗をかいていた。悪夢を見ていた。
いや、悪夢ではない。彼女が目にしたものは、全て過去の現実だったのである。




