②
憑円と旭光と彼の仲間たちのいるところに、人数と同じ数の馬が集まっていた。
旭光が全員を取りまとめ、彼の先導で、近傍の人里まで馬で移動することになった。時間的余裕はあまりなかった。日が暮れれば視界が悪くなり、移動が困難になる。
憑円は旭光に聞きたいことが色々あったが、馬が疾駆することで発生する風切り音がうるさくて、とても話が出来る状況ではなかった。
一同は野原をずっと行き、夕空の橙色に夜空の藍色が滲みだしてきた頃、旭光が手で合図し、一同は乗っている馬の速度を緩め、すると、風切り音が治まり、互いに話せるほどの間合いが生まれた。
「どうされましたか?」、と仲間の一人が訊く。
「やはり夕に出発して日暮れまで宿駅に向かうのは、いささか無理があるようだ」
透けて見える白い月がぼんやりと夕空に浮かび上がっていて、夜の到来を告げている。
「手近にゆっくり出来るところがあればいいが……」
そう言って、旭光は辺りを見回し、しばらくすると、ある方角をじっと見つめた。彼の視線は、連山の間の鞍部に向けられていた。
夜に出歩くことは基本的によくないこととされており、つまり、あまり遅くなってから人里を訪問するのは、出来れば避けられるべきことだった。
残照が、旭光の視線の向く方に淡く差し、山肌を照らしていた。憑円たちも同じ方向に向いていたが、彼女等の正面には、影法師が長く伸びていた。
じっと視座を固定していた旭光が、そばにいる仲間に「どう思う?」、と話しかけた。その時、ちょうど向かい風が吹いて来、遠くから、あるほのかなにおいを運んだ。
二人は鼻をヒクヒクさせ、風が運んでくるそのにおいを吸い、すると旭光が、「煙くさい」、と半信半疑の口調で呟いた。
憑円は彼等の動向を窺っていたが、彼女自身も口を閉じて深く鼻呼吸してみると、無味無臭の大気の中に辛味のある煙のにおいが混じっていることが分かった。
「微かにですが、そういったにおいがします」、と仲間。
「暗くなってきて、誰かが篝火でも焚いているのかも知れん。となれば、人の住まいがあっておかしくない。行ってみよう」
旭光がそう呼びかけ、一同はまた馬に前進を命じた。
夕焼けに燃える山肌の橙色が失せ、夜の暗闇がすっかり覆おうとしていた。
憑円たちは、煙のにおいがしたところから移動したが、人跡が見え、下草に砂地の路が通っていた。その両脇には、丈の低い木々が群生しており、大振りの葉の付いたそれは、桑であり、そこは桑の畑のようだった。
畑にはまだ人が残っており、彼等はこの畑での作業に従事する職人の徒弟のようだった。籠を背負い、桑の葉を採集している。疲労困憊という具合で、顔色が優れず、余所者の集団を見ても、あまり気に留めないようだった。
旭光がある男に尋ねてみると、すぐ近くに村があるという情報が得られ、そこに、彼等を統べる親方が、ある邸宅に住んでいるという話だった。
憑円たちは、畑の向こうで、煙の臭源である篝火を見つけた。篝火の向こうが村であり、おおむね虞丈と様相はあまり変わらず、貧相なあばら家が点々とある中に、どっしりと塀と門を構えた四合院の邸宅がたっている。
「ちょっと待て」
突然声がし、たいまつを持った袍服の男が憑円たちのところに険しい顔で駆け寄ってくる。
「何だお前たちは。勝手に村に入ってきやがって」
「通行証は持ってはいるが」
そう言って旭光は馬をパッと下り、腰に下がる袋より、一枚の折り畳まれた紙を取り出し、思うに邸宅の使用人であろう男に広げて見せる。
「何だこれは? こんなものは知らん」
旭光が馬を下りたが早いか、憑円を含むその他の者も下馬し、地面に立つ。
その紙が効果を成さないと知ると、旭光はいささか悄然として袋に仕舞い、フゥと軽くため息して、拱手の型を見せ、自分たちが旅人であり、夜を明かしたいため、一泊する許可を請うた。
「お前たちは旅人か」、と使用人の男。「金さえ払えば、許可してやらないではないが」
「金ならある」
旭光はそう言い、仲間の一人に頷いて見せる。すると、仲間は馬に取り付けた袋を外し、その中より銅銭を取り出して見せた。
使用人は一枚手に取ると、たいまつの火で照らしてまじまじ観察し、価値のない私鋳銭ではないか確かめているようだった。
「まぁいい」、と彼は納得したように言った。「くれぐれも、“阿蘭”様のお屋敷には近付くなよ。村に一晩だけ逗留する許可はしてやるが、寝床の用意までしてやる筋合いはない」
「よかろう」
一同の代表者たる旭光は渋々了解し、拱手の型を解く。
使用人は「フン」、と威圧するように鼻を鳴らすと、踵を返して元々していた任務である夜警を再開し、その場を離れていった。
「よろしいんですか」
憑円が恐る恐る尋ねると、旭光はいささかびっくりしたように目を見開いて彼女を振り返る。
「お金まで払って、宿を紹介してくれなかったのに」
「構わんさ」
旭光は表情を穏やかに戻して、微笑みと共に返す。
「我々はここに永住するわけではないからな。何に出くわすか知れない広大過ぎる野原にいるより、こうして人々が集まる人里の中にいる方がずっと安全さ」
「追加で金銭を払ってやれば、ひょっとするとあの使用人、屋敷に案内したかも知れませんよ」
仲間の一人がそう言って、一同は朗らかに笑い合った。
作業をようやく終えたらしい徒弟たちが、ゾロゾロ一緒になって、二台の鉄製の篝火の間を、桑の葉一杯の籠をしょってやってくる。
彼等はチラチラ憑円たちの方を流し目で、興味がないではない風に見ながら、結局無言で通り過ぎ、それぞれの家のある方に散っていった。
あちこちの藁葺屋根の家の出入口に、ポッと淡い火影が灯る。
夕が去り、夜がやってきた。




