第87話
子どもたちを殻に乗せ、吹きすさぶ惑星表層ガスの中を突き進む。
ケイシとナウルは久しぶりのドライブに楽しそうにはしゃいでいたが、程なく二人ともすやすやと眠り始めた。今日は早起きをさせたから、無理もない。
ラサエルはしばらく静かな環境の中で、あれこれと想いを巡らせつつ推進した。
やがて大気が濃密な水蒸気を含む地帯に入り込み、殻は水分子の塊にぶつかり弾かれ、まるでもてあそばれるようになり思うように前へ進めなくなってくる。
それでも特に苛立ったりはしない。もうすぐ目的地に着くので、気楽にその時を待つ。
やがて殻は、トゥティタの生活域壁へ接続した。
「トゥティタ」ラサエルは呼びかけた。「いるかい」
「やあ、ラサエル」すぐに返事が来る。「待っていたよ」
そして接続部位の保護壁が溶解し、ラサエルは二人の子どもを抱いてトゥティタの生活域内へ侵入した。
「ようこそ」トゥティタは触手を彼独特の歓迎の形に組んで振り、喜びを表した。「ケイシとナウルは、よければこのベッドを使ってくれるといい」サブ触手が、ふんわりとした暖かな繊維帯を差し出す。「うちの子が使っていたものだ」
「ありがとう」ラサエルは微笑んで子どもたちちを繊維帯の上にそっと下ろした。
「二人とも、大きくなったねえ」トゥティタはにこにこと子どもたちを見下ろす。「元気そうで何よりだ」
「ああ。ありがとう」ラサエルも頷く。「本当にいい子たちだよ」
少しの間、二人は満足と幸福の分子を互いに発散し合っていた。
「で」やがてトゥティタが訊く。「折り入っての話、とは?」
「──」ラサエルはトゥティタを見た。どこから話そうか──
「レイヴン、地球に行ってるんだってね」トゥティタの方から切り出してくる。
「ああ」ラサエルは思わず笑ってしまった。「さすがに、それは知っているんだね」
「組合だもの」トゥティタも少し笑う。「君がそこまで深刻な顔を見せるのは、レイヴンの事でか、この子たちの事でしかないからね」
「そんな事は」ラサエルはますます苦笑する。「──まあ、ないこともないかな」
「もちろん知っているさ。君は仕事の事でも、二番目に深刻な顔を見せてくれると」トゥティタは触手を彼独特のおどけた形に組んで振る。「それで、レイヴン?」
「うん」ラサエルは、トゥティタへの大いなる信頼の分子を発しながら、今回の経緯と折り入っての『頼み事』を話し始めた。
◇◆◇
ざぶっ
音として感知したのはそれだけだった。
後は濃密な水分子に囲まれ、包まれ、圧され、自分の体からは大量の泡が放たれ視界はみるみる暗くなっていく。
だが水分子はすぐに、キャンディを水面近くまで上昇させた。
キャンディが脚を曲げ、次に伸ばした時、彼女は水面を割り再び地球の大気の中に飛び出していた。
再び落下。
キャンディは海の面を見下ろした。
美しい。
それは青く、透き通っており、その下に無数の鉱物や生物が静かに存在していることがわかる。
そして彼女の足は水面に着き、彼女の体を水面上に立たせたのだ。
上を見る。
モサヒーと、彼の傍にいまだ陣取るばかちび雑菌が見えた。
「行きましょう」キャンディは呼びかけた。
「ひいいいいい」背の上で何かがいななく。
あれ、地球産のウマがいたのだっけ? と思い振り返ると、そこにいたのはボブキャットだった。キャンディの背にしがみつき、ぶるぶると震え、目を張り裂けんばかりに見開いている。
「ボブキャットさん」キャンディは、ああ、とその存在を思い出し声をかけた。「大丈夫ですか」
「いいえ」ボブキャットは声までをも震わせた。「まったく」
そこへモサヒーが上空から降りてくる。「うん、大丈夫ですか」
「はい」キャンディが答え、
「いいえ」ボブキャットが答える。
「ちょっと、何なのあんた」コードセムーが叫びながら降りて来る。「一体どうなってんのよ。水の上に立つなんて」
「ここは歩きやすい」キャンディは海の上を数歩歩き出した。海水は彼女の足を、いったんは呑み込もうとするが、すぐに水面まで、まるで斥力が働くかのように撥ね上げるのだ。「地上よりも体が軽く感じられます」
「うん、そうなんですか」モサヒーは淡々と事実を受け入れた。「うん、では行きましょう」
「またこの面子で行くの?」セムーが再び叫ぶ。「何なのあんた、でかばか馬、海にまで嫌われてるってこと?」
「海が私を助けてくれているのよ」キャンディは快適そうに、そして楽しそうに水面上を駆けた。「ばかちび雑菌なら一瞬で呑み込まれて溺れるのでしょうけれど」
「何ですって」
モサヒーが淡々と浮揚推進する後ろで、相変わらずの口論が海原に響く。
ボブキャットは独り、キャンディの背の上に丸まり縮こまり、震えていた。




