第93話
「こ、こんにちは」レイヴンは何かに脅えてでもいるのか、あの無駄に長い触手をへろへろと振り回しつつ誰ぞに向かって挨拶をした。「あ、これはどうも、ご丁寧に。ぼくはレイヴンという者です」
コードセムーが本部に送ったデータというのは、捕獲対象レイヴンの生体信号──それはそもそもコードルルーが本部に送っておいたものだ──のみに絞られ追跡されたものとなっているため、レイヴンが言葉を発した対話相手が誰なのかはわからない。
「モサヒー」レイヴンは続けて、セムーの『夫』らしき同型生命体をそう呼んだ。「ああ、本当に、よく来てくれたね、ありがとう。キャンディさんも、ありがとう。そして皆さんも──」
「ハーイ、レイヴン」突然セムー自身の声が割り込む。
ルルーは思わず苛立った。レイヴンの言動ログならお前のデータも削除しろよ。
「ダーリン、ありがとう。もういいわ。あなたにずっと護ってもらえて、私幸せな旅を満喫できたわ」
セムーの声が続く。
護って? いるのか?
ルルーの感知帯にはどう見ても、セムーはその『夫』モサヒーの触手で、がんじがらめに動きを封じられている状態に見える。セムーの電子線射出部位、外部情報検認部位ともども、まるで使い物にならない様子だ。これが『護っている』のなら、一体何から何を護っているのか。
「さあ、触手を解いて下さるかしら。今からこのレイヴンをとっ捕まえることにするわ」
まさか。ルルーはますます苛立った。お前ごときにレイヴンが捕まったりなどするものか──
「とっ」レイヴン自身も感知帯全体をぱちくりさせているような声を挙げる。
いや。ルルーは慌てて想いを断った。まあ、レイヴンは阿呆だからな。そう、あいつは──
「あら、どうして? 私を愛しているんでしょう?」
やはりな。ルルーは改めて肯く。やはり『モサヒー』は、夫の振りをしてセムーの行動を抑制しているのだ。つまり奴は、
「まあ! つまりそれは、私の夫として、我がギルド総員に認めてもらい、永遠の愛をそこで誓うという意味ね?」
「やめろ」ついにルルーは堪えきれず怒鳴った。「そいつを連れて来るな」
「シャチ、ああ」答えるかのように、レイヴンの声が再び届く。「彼らは、すっかりキャンディさんに恐れをなして、あちこちばらばらに去って行ったんだけども」
シャチ? ルルーはまったく新たな項目が差し挟まれたことに息を呑み、直ちにその項目が持つと思われる『予想効果』を考察し始めた。
「あ、ああ、そうだね。モサヒー。ハヤミさんから聞いたよ」
レイヴンは、訣別を惜しむ言葉を続けた。『ハヤミ』という項目も新規のものだが、それはレイヴンらの本国における関係者、ギルドでいえば本部の誰某といった存在なのだろうと察しがつく。シャチに比すれば、大した効果も及ぼさないものだろう。
シャチ。それはまさに今、我々がその重力圏内にいる地球という惑星の生物だ。それも、知能のレベルで見れば最上位に近いところに位置される種族といえる。
レイヴン、そしてモサヒーは、一体シャチとどういった協定を結んでいる?
そんな考察を走らせていたところ、レイヴンは電子線で編まれような形状を呈する自律移動システムに粒子化収容されたように見えたかと思うと、近似光速で上空に飛び去った。
「あっ」さすがのルルーも、その一言しか発することができなかった。
そこで、セムーが本部に送ったらしいログの開示は終了した。
元の草原の景色が感知帯に認識される。
致し方ない。ルルーは動揺しかけた自分にふと苦笑を洩らし、横に視線を向けた。
何もない──草原の景色以外。
反対を振り向く。同じだ。
前後、上下、あらゆる角度に視線を移動させる。
誰もいない──草原の景色のみだ。
「ミルキィ?」ルルーは今度こそ遥かに大きく動揺した。「ミルキィ!」




