第90話
「こんにちは」
その馬──ではない、というか恐らく地球産生物ではない動物は、海面の水を割りながら近づいて──ではなく、迫って来た後、引き続き海面上に佇んだ状態でレイヴンに挨拶した。
「こ、こんにちは」レイヴンは、自分の内面の状態に影響されることなく返さねばならないと知っているから、挨拶を返した。
「モサヒーさんと同行して参りました、キャンディと申します。どうぞよろしくお願いいたします」キャンディは水の上で前脚を曲げ、ふさふさと長いたてがみを持つ首──だがその一部、首の真ん中辺りはどこか不自然になくなっている──を恭しく前に倒して自己紹介した。
「あ、これはどうも、ご丁寧に。ぼくはレイヴンという者です」レイヴンは触手を恭しく回転させ自己紹介を返した。
「うん、レイヴン」モサヒーが、彼にしてみると明るい声で呼びかける。「会えてよかった。うん、キャンディさんの全力疾走のおかげです」
「モサヒー」そしてレイヴンは、改めて同僚との邂逅を認識し、震えるほどの感動を覚えた。「ああ、本当に、よく来てくれたね、ありがとう。キャンディさんも、ありがとう。そして皆さんも──」
言葉が途切れる。
まず、キャンディと呼ばれる大型動物の背にちょこんと乗っている、小さな──といってもそれ程小型ではなさそうで、今はただ極力縮こまっている様子だ──動物を見る。ボブキャットだ。その体の周囲をモサヒーの触手がぐるりと取り巻いている。
そして。
「ハーイ、レイヴン」
聞き覚えのある声が、モサヒーの近くからレイヴンを呼んだ。
その方を見ると、どうやらそれが例の双葉、モサヒーと結婚したとかしないとか噂になっている、コードセムーのようだ。その個体はモサヒーの触手に双葉──コードルルーと同じく頭頂から出ている細長い部位を巻きつけており、モサヒーの触手側もまたセムーの殻、というのか、赤い二つの『目』がついている部位を、その目も含め全体にぐるぐると何重にも巻きつけられている。
ボブキャットに対しての巻きつけは無論彼がキャンディの背の上から落ちてしまわないようにするための措置なのだろうが、この、セムーに対する、更に厳重な巻きつけというのは──否まさかとは思うが、セムーの方をよりしっかりと保護するため、なのか?
レイヴンはつい、考察にエネルギーを大量消費した。
モサヒーにとって、やはりセムーは、一番大切な相手なのか?
「ダーリン、ありがとう、もういいわ」セムー本体がそう切り出す。「あなたにずっと護ってもらえて、私幸せな旅を満喫できたわ。さあ、触手を解いて下さるかしら。今からこのレイヴンをとっ捕まえることにするわ」
「とっ」レイヴンはびくりと体を震わせた。
そうか! すっかり忘れていたが双葉ども、タイム・クルセイダーズことギルド員は今もなお、ぼくを捕まえようと躍起になっているんだった!
「うん、セムーさん、それはだめです」
だがモサヒーははっきりと拒絶した。
「あら、どうして?」セムーは、どこまでがしらばっくれた芝居なのかわからないが、どこか拗ねたような甘えた声を出す。「私を愛しているんでしょう?」
「うん、レイヴンはもう、うん、国に帰るんです」モサヒーは告げた。「後はぼくが、うん、ギルドの皆さんの所へ行きます」
「えっ」レイヴンは驚き、
「まあ」セムーは声を裏返らせ、
「まじで?」今までまん丸くなっていたボブキャットは突然立ち上がり叫び、
「わかりました」キャンディは何かを了解した。
「つまりそれは、私の夫として、我がギルド総員に認めてもらい、永遠の愛をそこで誓うという意味ね?」セムーが自分の理想の将来像について確認する。
「うん、レイヴン」しかしモサヒーが返したのはレイヴンへの問いだった。「シャチの皆さんはどこにいますか?」
「シャチ……ああ」レイヴンは少しの間対応を見失っていたが、すぐにはっと認識を取り戻した。「彼らは、すっかりキャンディさんに恐れをなして、あちこちばらばらに去って行ったんだけども」
「うん、そうですか」モサヒーは周囲をぐるりと見回した。「しかし再びここに戻って来る可能性も、うん、ありますね」
「あ、ああ、そうだね」レイヴンは頷いた。もうしばらくここで──迎えの自動推進殻が来るまで、モサヒーとともに再会を悦び離別を惜しむことはできるだろう。「モサヒー、ハヤミさんから聞いたよ。何もかも引き継いでくれると。本当に、世話と手間をかけてしまったね。すまない、そしてありがとう」心の底から、しみじみとそう告げる。




