第三話 甘い新婚生活と試練
魔塔での生活は、思っていた以上に穏やかで――そして、驚くほど甘やかされていた。
朝、目覚めると窓辺から差し込む柔らかな光の中で、すでに温かい紅茶と軽い朝食が用意されている。
控えめな使用人たちは「奥様」と私を呼び、必要以上に干渉せず、しかし不便のないように気を配ってくれる。
なにより――。
「……眠そうだな、リリアナ」
朝から執務に向かう前のルークが、必ず私の寝室に立ち寄ってくれる。
高い背に影が差し、私の額に唇が落とされる瞬間――胸がくすぐったくて、どうしようもなく幸せを感じた。
「な、なぜ毎朝……」
「夫婦だからだろう?」
淡々とした口調のはずなのに、耳まで赤くなる。
冷徹と恐れられる魔塔主が、私の前ではこうも自然に甘やかしてくるなんて。
⸻
昼下がり、私は塔内の図書室で本を開いていた。
魔術の専門書が並ぶ中、ルークが薦めてくれたのは料理や薬草に関する本。
「無理に魔術を学ぶ必要はない。君が楽しめることをすればいい」
そう言ってくれる彼に甘え、私は薬草の知識を学びながら、塔の料理人たちに少しずつ教わっていった。
「奥様、お上手です」
「塔主様はお幸せですねえ」
使用人たちが笑ってくれる。
ここでは誰も、妹と比べたりしない。
私を「私」として認めてくれる。
――初めてのことばかりで、心が満ちていった。
⸻
だが、幸せな時間ばかりが続くわけではなかった。
ある夜、ルークが不在の間。
窓を叩く音に気づき、開けるとそこには見知らぬ文書が置かれていた。
封を切ると、粗雑な文字が躍っていた。
『お前のような女が魔塔主の妻など、ありえない』
『クロフォード伯爵家の恥が、国の重鎮に相応しいはずがない』
『今のうちに身を引け』
ぞくり、と背筋が冷たくなる。
どうして私の部屋にこんなものが?
誰が、何のために――。
震える手で文書を握りつぶしていると、背後から低い声がした。
「……何をしている?」
振り返ると、いつの間にかルークが立っていた。
帰ってきていたのだ。
「ル、ルーク様……」
私は隠そうとしたが、彼はすぐに私の手から紙を奪い取る。
内容を一瞥した瞬間、青の瞳に冷たい光が宿った。
「くだらん」
そう吐き捨て、指先から炎を生み出して紙を燃やす。
灰が舞い散り、跡形もなく消えていく。
「二度とこんなものを目にする必要はない。俺が処理する」
「で、でも……」
私は思わず口をつぐむ。
「私が妻に相応しくないと、思う人も……」
「俺が相応しいと思っている。それで十分だ」
断言するその声に、胸が熱くなる。
けれど同時に、不安も消えなかった。
私が彼の足を引っ張ってしまうのではないかという恐れ。
ルークは私の頬に手を添え、視線を絡めてきた。
「リリアナ。お前はこれから多くの悪意に晒されるかもしれない。だが覚えておけ――俺が必ず守る」
その言葉に、胸の奥に渦巻く不安が少しだけ和らいだ。
けれど、現実は静かに迫ってきていた。
――甘い新婚生活の裏で、私に向けられる試練の影が動き出していたのだ。