第二話 魔塔主の花嫁となって
王宮を後にした私は、馬車に揺られながらぼんやりと窓の外を眺めていた。
隣には魔塔主ルーク=ヴァレンシュタイン。
――本当に、私は彼に求婚してしまったのだ。
恐れられる魔塔主に、衝動のままに。
その結果、こうして彼の隣に座っている。
けれど、不思議と後悔はなかった。
背後に王宮を遠ざけながら、私は小さく息を吐く。
「……あの場で笑われたことでしょうね」
ぽつりと漏らした言葉に、ルークは視線をこちらへ向けた。
深い青の瞳が、じっと私を射抜く。
「気にする必要はない。あの場にいた者たちは皆、君の強さを目に焼き付けた」
「強さ……ですか?」
「奪われるだけの立場でありながら、自ら手を伸ばした。それは誰にでもできることではない」
淡々とした声なのに、不思議と胸が熱くなる。
誰からも認められたことのなかった私が、初めて肯定された気がした。
「……ありがとうございます」
気づけば小さな声で礼を言っていた。
ルークはそれ以上何も言わず、再び窓の外へと視線を戻す。
その横顔はやはり冷徹で、隙のない美しさを湛えていた。
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やがて馬車が止まり、私の視界に巨大な建造物が現れる。
――魔塔。
王都の外れにそびえる漆黒の塔。
数多の魔術師たちが研鑽を積み、王国の秘奥を担う場所。
私は初めて、その荘厳な姿を間近に見た。
「ようこそ、魔塔へ」
ルークが馬車を降り、私に手を差し伸べる。
その手を取って塔の中へ入ると、使用人たちが整列して出迎えてくれた。
彼らは一様に驚いた顔をしていたが、すぐに頭を垂れる。
「塔主様のお連れ合いに、心よりご挨拶申し上げます」
その言葉に、胸が震えた。
――連れ合い。
生まれて初めて、誰かの正式な伴侶として扱われた。
妹の影に隠れ続け、誰からも「お姉様だから」と譲らされてきた私が。
今、ここで「妻」として迎え入れられている。
涙が込み上げそうになるのを必死で堪えた。
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案内されたのは塔の最上階。
そこには広々とした居住区があり、私のために整えられた部屋が用意されていた。
「今日からここが君の部屋だ。必要なものがあれば遠慮なく言うといい」
「……本当に、私なんかがここに?」
不安が漏れる。
伯爵家の娘といえど、魔塔主の妻という立場がどれほどのものか計り知れない。
だが、ルークは私を真っすぐに見つめた。
「君は“俺が選んだ妻”だ。それ以上の理由はいらない」
静かな声なのに、力強く響いた。
その一言だけで、不安が溶けていく。
「……ありがとうございます、ルーク様」
私がそう呟くと、彼はわずかに微笑んだ。
ほんの一瞬、冷徹な仮面が崩れたその表情に、胸が跳ねる。
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その夜。
寝室に一人でいた私は、ベッドの端に腰掛けて胸に手を当てていた。
今日一日で人生がすべて変わってしまった。
これから先、どうなるのだろう。
そんな不安を抱えていると、扉がノックされた。
「入るぞ」
低く響く声に、思わず立ち上がる。
扉を開けて入ってきたのは、やはりルークだった。
「……寝る前に、一つ言っておこうと思ってな」
「な、なんでしょうか」
ルークは私の前に立ち、わずかに視線を伏せる。
そして、静かに言った。
「君はもう、誰にも奪わせない。今日からは俺が、君を守る」
――胸の奥に熱いものが広がった。
その言葉がどれほど欲しかったか。
誰かに、そう言ってもらえる日をどれだけ夢見たか。
堪えきれず、私は涙をこぼしてしまった。
「……っ、ありがとうございます……!」
嗚咽混じりにそう告げると、ルークはそっと手を伸ばし、私の頬を拭った。
その手は驚くほど優しく、温かかった。