第一話 婚約破棄と衝動の求婚
王宮の広間に、ざわめきが広がっていた。
クロフォード伯爵家の娘である私――リリアナと、ハワード公爵家嫡男ライネルの婚約解消が発表されたからだ。
今も人々の視線が私に突き刺さる。
好奇の眼差し、憐れみ、あるいは侮蔑。
胸の奥が焼けるように熱いのに、手足は氷のように冷たかった。
「リリアナ、君は冷たすぎる。妻となるには可憐さが足りない」
ライネルの冷酷な言葉が、広間に響く。
彼は私を十年も婚約者として隣に置きながら、一度だってそんなことを口にしたことはなかった。
「ライネル様のおっしゃる通りですわ」
妹のメリアナが、彼の腕に絡みつきながら囁いた。
「姉様は完璧すぎるのです。少しの失敗も許されない姉様より、私はもっと素直に愛せる女でございますもの」
笑みを浮かべながら、彼女は私を見下す。
まるで「奪って当然」と言わんばかりに。
その瞬間、私の胸の奥で何かがぷつりと切れた。
もう嫌だ。
いつも奪われるだけの人生なんて。
妹に、家に、そして婚約者に。
ならば――私は奪ってしまおう。
自分の未来を。
私は顔を上げ、広間の奥に佇む男に視線を向けた。
漆黒の礼服に包まれた高い背。
冷徹なる魔術師――魔塔主、ルーク=ヴァレンシュタイン。
恐れられる存在。
誰もが遠巻きに眺めるだけで近づこうとしない男。
けれど私は、彼に向かって歩み出た。
「……ルーク様」
場が静まり返る。
数十人の視線を浴びながら、私はひざまずいた。
「どうか――どうか、私を妻にしてくださいませ」
広間に、息を呑む音が走った。
誰もが信じられないという顔をしている。
ライネルが青ざめた。
「リリアナ、何を……!」
メリアナが顔を歪めた。
「姉様ったら、狂ったのですか!?」
けれど私は、もう彼らを見ることはなかった。
ただひたすらに、ルークだけを見上げた。
彼はゆっくりと歩み寄り、私を見下ろす。
氷のように冷たい青の瞳。
だが、不思議と恐怖はなかった。
ルークは静かに口を開いた。
「……面白い。君は、私を恐れないのか?」
「恐れております」
私は真実を口にする。
「けれど、あなたに嫁げるのならば……私は喜んで」
その瞬間、広間に再びざわめきが広がった。
だが、ルークは眉一つ動かさず、唇に笑みを浮かべた。
「いいだろう。今日から君は、俺の妻だ」
ざわめきが、悲鳴に変わった。
「な、なんだと……!?」
「魔塔主が……結婚だと!?」
「あのクロフォード家の娘が魔塔主の妻に!?」
混乱の渦の中、ライネルが声を荒げた。
「ルーク様! この女は僕の婚約者だったのです! 伯爵家の娘に過ぎない彼女が、魔塔の妻など――」
その言葉は、氷のような視線で切り捨てられる。
「……前婚約者の許可が必要だと、誰が言った?」
冷徹な声に、ライネルは言葉を失った。
そのままルークは私に手を差し伸べる。
「立て、リリアナ。ここはもう君のいる場所ではない」
差し出された手。
その温もりに触れた瞬間、私は初めて「自分の人生を掴んだ」と実感した。
妹も婚約者も、私を馬鹿にして笑った。
けれど、もう構わない。
私は彼の隣に行く。
奪われるだけの人生ではなく、共に未来を歩むために。
そして、広間のざわめきを背に、私はルークと共に歩き出した。