プロローグ
不慣れな文章作成に四苦八苦しながら、書いていきたいと思います。おかしくね?って思う事もあるとは思いますが、ゆるい気持ちでどうぞお付き合いください。
こんにちは、寶井 葵とです。
いきなりですが、少しだけ私の事を話させてください。
裕福ではないけれど一般家庭の三姉妹の末っ子として生まれました。
幼稚児時代。ある事がなかなか出来ずに先生を困らせ
小中学生時代。ビビりで泣き虫ながら、勉強嫌いで赤点ギリギリを攻めたりとそれなりに普通に過ごし(アホな事も罰当たりな事もやったな)
高校生時代。勉強嫌いだったのに何故か成績上位者になったり、お小遣い稼ぎでバイトを幾つか経験したり比較的優等生で穏便な感じに過ごしたり
と大きな夢もなく至って普通の子供だったと思う。多分。
高校卒業後、実家暮らしのまま就職してギャルに憧れお給料をほとんど貯める事もせずに遊んだり、服やアクセサリー化粧品を買い漁って(ブランド物には興味がなかったけど)楽しく過ごしてた。
恋愛に感しては付き合っても続かない。浮気されるか、束縛激しいかの二択しか居なかった。
20代も半ばになると周りの結婚が相次いで、私は焦った。今思えば焦る必要は全くなかったのに焦った。
そしてその時付き合ってた年上の人と勢いで結婚した。
25歳の時だ。
だって形だけっては言ってけど職場で役職ついてたから真面目な人なんだと思ったし、両親はもう居ないって事を聞いて尚更、しっかり自分1人で生きて来た人なんだと信じちゃった。
それまでの実家暮らしで、地元を離れた私は家事との両立が出来るか自信がなかったからちゃんと相談してフルタイムからパートに仕事を変えたんだ。
いつか子供も欲しかったし。
これからお互い頑張って節約してお金を貯めようねって話がら、、、。
蓋を開けたらって言葉が合ってるかはわからないけど、全然真面目でもないし、しっかりした人でもなかった。
まず、自分が出したゴミをゴミ箱に捨てない。ゴミ箱を近くに置いても捨てない。車も旦那が乗ると足元までゴミだらけになった。
お小遣い制にしたのに考えなしに買い食いして、半月も持たずにお金の催促。
晩御飯を一生懸命考えて準備して出しても
「今日この気分じゃない」
「食べずらいから要らない」
「味薄い」
お弁当持たせても空箱を持って帰って来ない。
電気も付けっぱなし、ドアも開けても閉めない。
次、2ヶ月目無職になった。
朝仕事に送り出して帰って来たと思ったらいきなり
「辞めて来た」って。
新生活の準備で貯金もないのに。
唖然としすぎて何にも言えなかった。
次、なんとか次の仕事に付いてとりあえず安心してたら6ヶ月目、私のクレカを勝手に使ってた事が判明。
もうしないって反省を聞いてとりあえず許す事にした。
離婚するのにも抵抗あったし、もう一回信じてみよう私が我慢すればって思って許した。
うん。嘘だった。
そこからはずっと下り坂を転がるように落ちてった。
新しい仕事は少しでも嫌だと思ったら
「もう行かない」
って定職につかない。
クレカも勝手に満額まで使ってやりたい放題。
解約しろよって思うかもだけどお金を貯めれなくて車検の時の支払いに困るからって維持して自分のパート代で返してたから減ってるとも思ってた。
減るどころか気付いた時には、色んなところから借りてて私の名前まで勝手に使ってた。
両親は私と一緒で貯金が得意じゃないし、2人の姉達はそれぞれ家庭を持ってて頼れない。
私のパート代もその月働いた分を月末に貰うから、転職しようにもうまく動けない。
ならば流行りのダブルワークでって思ったら法律の壁とパートの勤務時間の関係で思うように働き先が見つからず。
借金返済も離婚もどう動けばいいか分からない。そんな毎日を送って居ました。
パート先へ徒歩で出勤中。
よく晴れた夏の空を見上げて
ぼーっとしながら死ぬ気もないのに
『しんどい。死んで楽になりたい。』
っ思ってたのがいけなかった。
プーーーーーッ!!!!
車のクラクションの音と同時に襲った強い衝撃。
素早く変わる景色の中見えたのは歩行者信号の赤色。
痛みと息苦しさと、猛烈に襲ってくる寒さ、
それから微かに聞こえてくる、私がぼーっと歩いたばっかりにとんでもない迷惑をかけた運転手さんの焦った声に申し訳なさを感じながら意識を手放した。
これが私の人生の最後でした。
享年32歳。