エル・ミラージュの崩落 慟哭
以前。魔王ベドラムと騎士団長のヴァルドガルトは、政治会談の場である“次元橋”にて様々な政治的議論を交わした。いい加減な雑談も多く混ざっていたと思う。
「私は倫理的に考えられないと言っているんだ」
当時のヴァルドガルトは、ただただベドラムが憎かった。
どう魔族からの支配を回避するかばかりを考えていた。
「軍事予算を維持しながら、福祉政策も実現したいんなら、他の国からリソースを巻き上げるしかねぇだろ、って当たり前の事を言っているだけだろ。政治は綺麗事でも何でもねーんだから」
ベドラムは脅すような口調で、頭の固い騎士団長に説得を試みていた。
「軍事を拡大化しなければ、周辺国、近隣国、大国から舐められて格好のカツアゲの標的にされる。軍事を拡大化すれば、国家のトップ相手にさえ軍事兵器売って金儲けしたい武器商人に足元見られて、医療とか貧困層支援とかの福祉を削る事になる。どっちも嫌なら、どのみち国家内で資源が不足するからな、だから、弱い国を侵略して資源を確保するしかねぇー。人類史上、清廉潔白な国家とか、理想郷になった国家なんて存在しねぇんじゃねぇの?」
ベドラムは容赦なく、遠回しにジャベリンという国は徹底した弱小国家である事を述べていた。
「それでも私は我が国を理想的な民主主義国家にしたい。そう願っている」
ヴァルドガルトは、シニカルな物言いのベドラムに対して、腹立たしく思っていた。
「お花畑かよ、私達がお前らが軍事費に国の金を費やさない代わりに守ってやるって言っているだろ。だから、大人しくドラゴンに支配されろ。それで福祉や医療の予算が作れる。お前らの国がお花畑だから、飢餓や疫病で死ぬ国民の数が下がらない」
ベドラムはやってられない、といった態度だった。
「誰が魔族の下に付くか! 我々は誇り高いジャベリンの国民だ! 我々の国の事は、我々で自助努力をする! お前らが勝手するのは許さない!」
その時のヴァルドガルトは元老院の代表として、頑なに告げた。
「私達、ドラゴンに支配されたくねーんなら。他の国から資源をぶん取れよ。戦争は政治、外交の延長なんだから。使えねー何世代も前の兵器とか魔法のスクロールとか、お前らの国よりも、もっと貧しい国に大量に売って、石油とか農作物とか安く仕入れちまえ。それでお前らの国が潤う」
「余計なお世話だ! 悪魔に魂は売れない…………っ!」
ジャベリンは貧しい田舎町の国だ。
未だに大国では病院に行けば治せるような流行り病で死ぬ国民も多い。
以前のベドラムは、もっと最低なアイデアをよく話していた。
人としての道徳、倫理観を投げ捨てれば、国内の多くの問題は解決する。
ベドラムの口からは、悪魔の提案が数多く囁かれてきた。
ヴァルドガルトを含め、生真面目なジャベリンの元老院の者達は、かなり辟易し、露骨に魔王を忌み嫌う者も多かった。
「何度でも言うけどなぁ」
ベドラムは鼻を鳴らす。
「自分の国の農村辺りで餓死する奴を減らすとか、流行り病に効く特効薬を増やすとかしたいんだろ? 病院を拡大化させて増やして、障害者や老人介護にまで手を回すとか理想論だろ。理想論掲げるなら、他の国を犠牲にしないと駄目だろ。世の中は奪うか奪われるかだよ。あの海の向こうの要塞国家、エル・ミラージュって国では、そうしているそうだ」
その時はヴァルドガルトは、ベドラムの露悪的な政治的提案に対して強い怒りを抱えていた。
当時は空中要塞とベドラムは、ヴァルドガルトやジャベリンの国民全体にとって、恐怖の対象でしかなかった。邪悪な魔族の軍団によって、いずれこの国は乗っ取られる。
ジャベリンの国民の多くが、そう考え、絶望していた。
だから、ジャベリンは空中要塞のアイデアを一切、聞かず実行しなかった。
結果、ジャベリンとエル・ミラージュの武力の差は絶望的な状況となっている。
医療、福祉サービスもあの大国では十全に受けられるらしい。
ジャベリンも先進国とは言えない。
今でも、田舎の民には、貧困や流行り病で苦しんでいる人間が多い。
「私は今の現状に、悔いは無い」
国王。
ロゼッタの父親はそう言っていた。
「倫理の魔王ジュスティスが正体を隠して、宰相をやっていた頃は、彼の提案で、疫病に苦しむ人間の命を多く救えた。結果として、奴は、キメラの製造で我が国を半壊させたが。それでも、彼が疫病に対する医薬品を多く製造した事実は変わらない」
国王は苦々しく過去の事を説明する。
「一部の国民にとっては、ジュスティスは英雄ってわけ?」
ロゼッタは不快そうな顔で、父親に訊ねる。
「そうだ。キメラの被害者の数よりも、医薬品で命が救われた国民の数の方が多い」
国王は大きく溜め息を付く。
「私達の国は魔族の王様達のゲームの道具じゃないの。だからいずれ、空中要塞とも縁を切らないといけない。父上が何を言おうと、私はベドラムもジュスティスも許さない。どっちも私の手で殺してやりたい…………」
ロゼッタは何もかもがやるせなかった。
結局の処、不甲斐ない国王に代わって、ジャベリンの代表者は、まだ年端も行かないロゼッタが行う事になった。結局の処、優柔不断な王では駄目で、いざとなった時に決断を下せる者でしか国は動かないし、国民は守れない。
ロゼッタの背には、ジャベリンや周辺国の者達の命運が掛かっている。
彼女はその“重さ”を自ら背負った。
†
イリシュを介して、敵対しているサンテとアネモネの二人と、交渉を行う前の時間に遡る。……………………………………………………。
ロゼッタはジャベリンの中庭で、ダーシャと二人で話していた。
「長老どもは腰抜けの馬鹿ばっかりだから、俺ははっきり言う。魔王リベルタスがエルフの森を支配していたから、外敵から身を護れた。リベルタスは暴君だったが、ベドラムがいなければ、エルフの虐殺は無かったかもな。後、森を……故郷を『ゴールデン・ブリッジ』で壊滅的に焼いたのベドラムだからな」
ダーシャはふうっ、と、悩み疲れたといったように溜め息を付いた。
「貴方の親友?恋人?のリザリーを間接的に殺したのは、ベドラムって言いたいわけ? それとも私?」
ロゼッタは訊ねる。
「エルフの森に行きたいって提案したのはフリースなんだろ? 俺はベドラムもお前も好きだ。だからなるべく悪者にしたくない」
ダーシャはロゼッタから、顔を背ける。
「………………。魔王リベルタスと政治的交渉が出来れば良かったんだけどね」
元々は、フリースが軽率な頭と顔で、エルフの森に行きたいと言った事が始まりだった。
結果、悲劇が起こった。
交渉の仕方を考えていれば、多くの血が流れずに済んだかもしれない。
どんなに対話不可能な相手だと思っていても。
対話の積み重ねこそが、平和への道なのだから。
「終わっちまったもんは仕方ねー。政治は本当に何が正しいか分からん。エル・ミラージュとの戦争で一番苦しむのは、お前ら王族でも、王族に近い立場にいる俺とかでも無い。名も無き一般市民だ。忘れんなよ」
ダーシャは吐き捨てる。
「イリシュに大国に潜入させただろ。なんでお前って、ベドラムに似て傲慢なのかな? やっぱ王族だから甘やかされて育っただろ」
「悪かったわよ。でもイリシュだって覚悟してる。それに」
ロゼッタは、ダーシャの両手を握り締める。
「私とダーシャで一緒に、魔王ヒルフェを倒そう。私だって命を賭けている」
おそらく、幾度か同じ事をロゼッタは、ダーシャに口にしている。
二人は互いを見つめ合う。
この前の戦闘訓練で、ベドラムには何一つとして歯が立たなかった。
魔王ヒルフェは、ベドラムよりも強い可能性がある。情報が不足している。
ロゼッタとダーシャの二人は、連日、時間を見つけて、空中要塞の幻影使いのドラゴン達と戦っているが、いまいち、ピンと来ない。
ダーシャは直感的に、ヒルフェの使う幻影魔法は、もっと“邪悪”なものだと感じ取っている。
「そうだ。ディザレシー。ディザレシーに相談しないか? あいつ何となく、ベドラムより話が分かる気がするんだ。それにイリシュの話によると、ディザレシーは幻覚魔法のようなものを使えたらしい。同じように、幻覚魔法を使っていると思えるヒルフェを倒す足掛かりになるかも…………」
「分かったわ。じゃあ、ディザレシーに会って、話を聞いてくる」
ロゼッタは黒竜の方から、指導して貰う事にした。
彼は空中要塞の玉座に、王として鎮座しているだろう。
ロゼッタは、もっと魔王ヒルフェと戦う為の仲間が欲しいと思った。二人だけで倒せる相手ではないだろう。実力の壁はどうしようもないくらいに隔たっている。
それでも、ヒルフェを倒したい。
それはダーシャと何度も約束した事だった。




