吸血鬼の街、イモータリス 不滅の王と竜の王。1
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ベドラムは寝室で寝転がりながら、数十年前の事を想い出す。
あれはいつだったか。
吸血鬼の王、ソレイユとは色々な話をした。
空中要塞は、吸血鬼達の技術によって、華やかに彩られていったと言える。
ドラゴンに暴力以外の思想がある事を教えてくれたのは、吸血鬼達だったのかもしれない。
†
「ベドラム君。君は今後、君主として、男らしく、戦士らしく生きようと思っているみたいだが。吸血鬼は美や様式を大切にするんだ。伝統的にね」
ソレイユは柔和な口調で、配下の仕立て屋達にベドラムの身体にあった衣装を作らせていた。
「このヒラヒラした服は正直、鬱陶しい。刃を振るうのに邪魔だと思うんだけどなぁー」
幼い頃のベドラムは、吸血鬼から身繕いの作法を教えられた。
ベドラムの着る赤と黒を基調とした薔薇のあしらわれたドレスは、人間界ではゴシック・ロリータと呼ばれて着られるものだった。吸血鬼達などの魔族が着る衣装は、人間界でも憧れて好まれる。
「レースだのフリルだの、装飾品が多い。こんなのものを着て戦えない。まあ、臣下の者達の前に現れる時は必要だろうが。煩わしい。甲冑でいいと思うが」
ベドラムは小さく溜め息を付きながら苦言を呈する。
「魔法防御を編み込み、戦の時も、君の身体と同調して衣装の形状が変化する。下手な鎧や鎖帷子よりも、よっぽど丈夫だよ。あしらうペンダントやブレスレットなども毒や洗脳系の危険な魔法を弾く魔法が施されている」
ソレイユは柔らかい口調で、ベドラムを諭した。
「そうか。それはありがたい」
吸血鬼の若い使用人達が、ベドラムの髪を結んでくれた。
髪の毛を結ぶ際に、薔薇の髪留めがあしらわれる。
頭には兜の代わりに、ヘッドドレスを付けられる。
兜よりも軽く、兜よりも固いものらしい。
ベドラムは鏡に映った自分の姿を見せられる。
吸血鬼好みの衣装ではあるが、一国の姫君といった風情だった。
「ん、まあ悪くないな。一応、私の性別は女だからなあー。男が良かったんだが」
ベドラムは少し照れ臭そうな顔で鏡の自分を見つめていた。
「人間共と違い、ドラゴンも吸血鬼と同じく、性別で身体能力を左右されないだろう?」
「んー。ああ? 私は母親いわく元人間らしいから、本能的にそういう感覚が残っているんだろ」
人間…………。
一体、どんな種族なのだろうか。
ベドラムは人間に対して好奇心を抱いていた。
月明かりに照らされながら、ソレイユは笑っていた。
ベドラムも笑っていたと思う。
「ベドラム君。君と私の友情が、永遠に続くといいね。ドラゴンと吸血鬼が共に繁栄出来る事を私はずっと祈っている」
「そうだな…………。友情か…………。私にはまだ分からないけど、多分、美しいものなんだろうな」
ベドラムは椅子に座って、脚を組んだりしてふんぞり返りながら姿鏡を眺めていた。この衣装は結構なお気に入りになりそうだ。
「吸血鬼は血族というものを大切にする。友情も同じようなものだ。私はそれを美しいと考えている。ドラゴンの思想が戦ならば、吸血鬼は美、といった処かな」
そう言って、ソレイユは穏やかに笑っていた。
ソレイユの配下の吸血鬼達が、二人にワイングラスを渡す。
ソレイユは真っ赤な葡萄酒のワイン。
ベドラムはアルコール度の低いラズベリー入りのワイン。
二人はワイングラスを重ね合わせた。
「我々の友情が永遠に続くと言いな」
そう言って、ベドラムはワインを飲んだ。
甘い味が口の中に広がった。
月に照らされた良い夜だった。
空には星々が煌めき、無数の流星群が広がっていた。
†
空中要塞の閲覧室で窓の向こうを眺めながら、ベドラムは真っ赤な豪奢な椅子に腰掛けていた。
此処はベドラムの私室だった。
限られた人間しか入る事が出来ない。
ブラック・ドラゴンのディザレシーが、その巨躯を鎮座出来る場所が部屋の奥にはあった。ディザレシーはいつものように、彼女の傍にいた。
ベドラムは窓の向こうに見える景観。要塞の庭園と地上を眺めながら、物想いに耽っているみたいだった。
「ジュスティスの腐れ外道は、王都ジャベリンの城中に時限爆弾のような魔法を仕掛けていたみたいだが。ソレイユはこの空中要塞にそんな仕掛けを施さなかった。イカれた倫理観を持つ元人間の魔王は不義理を果たしたが、吸血鬼の王はずっと義理立てをしてくれていた。なあ、ディザレシー…………」
ベドラムは腕を組んで、兄弟にも顔を見せずに窓の向こうを眺めていた。
「このまま進んでいいものだろうか…………。私は世界を征服し統治したいが。私が望んでいるものは恐怖と暴力による支配ではない。上手い言葉が、私では、見つからないが、違ったやり方を本当はしたい…………」
部屋の奥には、眼鏡を掛けた竜人であるドゥラーガが椅子に腰掛けていた。
彼は人間で言う処の老人に差し掛かる年齢だ。ベドラムの母の代から、政治的なアドバイザーを務めている。老人は疲れた顔で腰掛けていた。
「ドゥラーガ。辛く苦しい決断だっただろうが。我々の皆の為によく、決断を下してくれた。あの吸血鬼の青年の焼死体を、ソレイユに贈る為に、ドゥラーガ。お前の親族二人を差し向けたのだろう?」
「はい…………。私の孫筋にあたる者、二人です」
老いた竜人は声が震えていた。
「どんな者達だった?」
「息子夫婦が出向いてくれて、彼らの幼い頃、私とよく遊んでくださいました。他愛も無い積み木遊びなどで喜んでくれた。彼ら兄弟の成長を見守る息子夫妻の顔は、本当に眩しかったです…………………」
ドゥルーガは顔を歪め、泣いていた。
「所帯を持たない私には分からないが。可愛かったんだろうな。初の孫だったのだろう?」
ベドラムの声も心無しは少し震えていた。
「焼きたての肉パイ。アップルパイが好きな子達でした……………………」
「そうか。葬式にはそれを添える」
ベドラムは窓の外には
「魔王様。…………私は少々、疲れました………………。外しても宜しいでしょうか」
竜の亜人は、本当に疲れ切った表情をしていた。
「ああ。大丈夫だ。ありがとう、よく決断してくれた」
ドゥルーガは無言で自らの君主に礼を言い、静かに部屋の外を出ていった。
部屋の外には二つの棺桶があった。
吸血鬼の君主からの、ベドラムと、そして竜の老人への贈り物だった。
棺桶の中身は、筆舌に尽くしがたい状態の死体が入っていた。
「なあ。ディザレシー。私は人間の裏社会のマフィア共みたいな汚らしい内戦はな。気分が悪いんだ。報復をまた返せば、また返されるだろうな。……しばらくはこれで終わりにしよう………………。ドゥルーガが辛い決断をしてくれた…………」
黒竜は、小さく溜め息を付いた。
<人間のガキが今回、トラブルに絡んでいるらしいと俺は聞いたんだがな。実際、あのガキ、修道女の小娘が余計な事をしたから問題が起きた。あの小娘にお前は何の責任も取らせないつもりか?>
黒竜は静かに怒っているみたいだった。
「ゾートルートに責任を取らせただけだ。それに魔王としての戴冠は、奴が私の幼い頃から望んでいた事を知っている」
<それでも、あのガキに何らかの責任を取らせるべきだろ。あの吸血鬼のガキの方は、この空中要塞でよく働いてくれた>
黒いドラゴンは、ゾートルートを処刑した事に納得していないみたいだった。
あるいは、彼だけを処刑した事に………………。
「人間の王都でも、エルフの森でも、あの修道女の女。イリシュに私は助けられた。彼女に対しては友情みたいなものもある」
<それなら、ソレイユも友人だろう? 我々がもっと幼い頃からの付き合いだ>
黒い鱗のドラゴンは、今にも王都まで飛び立っていくような勢いだった。
問題の原因の一つである、イリシュを探しに。
「ディザレシー。押さえろ。頼む」
ベドラムの兄弟であるドラゴンは、それ以上、何も話さなかった。
世界を征服する事を目的にすれば、血塗られた道になるだろう。
覇道と言えば聞こえはいいが、今後も沢山の周りの者達の血が流れ、多くの者達が死ぬ。
死体の山を積んだ先に、世界を統治して、はたしてそれは空しいものでしかないのではないか?
「ソレイユの魔王としての戴冠を私は許そう。だからこれで、もう終わりにしたい。今後、問題は出てくるだろうが。なるべく、先に延ばしておきたい」
<ベドラム。貴様が良い王様としての選択を取れればいいんだけどな!>
ディザレシーは嫌味たらしく、吐き捨てるように言うと、翼を広げ、その場を去っていった。
一人になったベドラムは静かに考える。
自分はこれ程までに弱かったか…………?
人間の王女ロゼッタや修道女のイリシュとの出会いが、自分を少しずつ変えた。
騎士団長ヴァルドガルトが、エルフの若者ダーシャの顔が頭に過ぎる。
「守る者を広げると、こんなに弱くなるものなのか…………」
ベドラムは空の彼方を眺めながら、唇を噛み締めていた。




