吸血鬼の街、イモータリス 血の償いと苦いワイン。2
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ソレイユの処にベドラムからの貢物として、棺桶のようなものが届けられた。
持ってきたのは、人型姿の竜人二人だった。竜人達はドラゴンの背に乘って、やってきた。
竜人二人は棺桶をイモータリスの街にある現地の吸血鬼達に渡した後、棺桶の中身が何なのか知る前に、すぐに街を去るつもりだったが、ソレイユは先手を打っていたみたいで竜人達二人は半ば捕らえられる形で、城へと連行された。
城の中では、ソレイユが人間のメイドであるメリシアから召し物を付けさせられている途中だった。吸血鬼はある程度の地位になると、豪奢な服を纏う事を好む。それは彼らにとっての権力の象徴でもあった。
「私、ソレイユ様にはとても感謝しているんです」
「そうか。私の気まぐれだったんだがね」
メリシアはマスカレイドのブラック・マーケットで、親の借金を担保に奴隷として売られていたのを、吸血鬼の貴族が競り落として買い取った人間だった。更にソレイユが、その貴族から高値で買い取って、メリシアは城のメイドをしている。
このようにソレイユは人間には甘く、彼の城の使用人として多く雇っていた。
吸血鬼にとって、人の生き血を摂取する必要がある為に、人間とは持ちつ持たれつつの関係にあった。人間側の裏社会と定期的にコネクションを作っておく事によって、街の吸血鬼達が食料に在り付く事が出来る。
人の生き血ではなく、獣や獣人などの血を飲んで紛らわせている者も多かったが、やはり、吸血鬼にとって血吸いの衝動を満たす事は、精神の安定にも繋がるものだった。
メリシアの黒曜石のように、真っ黒で、光るような黒髪が美しい少女だった。彼女はソレイユに対して高い忠誠心を持っていた。
着替えが終わると、ソレイユは玉座の間へと向かった。
メリシアも彼に付き添う形となった。
ベドラムからの使いが貢ぎ物を送ってきたらしい。
ソレイユは念の為に、このような場合は要人を城に迎え入れるようにしている。
すぐに逃げ出そうとしたか何かの理由で、貢ぎ物を持ってきた竜人二人は捕らえられ、拘束される形で玉座の間の前に座らされていた。吸血鬼の衛兵達が槍を構えて、竜人達を牽制していた。
竜人達が持ってきたのは、棺桶だった。
吸血鬼は棺桶の中で寝る風習がある。
棺桶の中には、何者かが入れられている筈だった。
「開けろ!」
ソレイユがメイドのメリシアと、人間の執事に命じる。
二人の人間はおそるおそる棺桶の蓋を開いていく。
すると。
中には、顔面の半分が焼け爛れ左眼球が溶けて真っ黒な骸骨化したゾートルートの生首が入っていた。他に彼のものと思われる遺灰が詰まった袋が透明なビニール袋に幾つも詰まっていた。
ゾートルートはソレイユにとって、お気に入りの使用人だった。
よく働き、ドラゴン達との政治交渉の仕事も行っていた。本当に有能な部下だった。
「ベドラム…………。それが貴様の答えなのだな?」
竜人二人は完全にいすくみ、怯え切っていた。
彼らがベドラムにとって、どれだけ価値のある存在なのかは分からない。
だが、ドラゴンは種族全体を同じ“家族”のように考える。
“吸血鬼”も同じだった。仲間達を同じ“家族”として扱う。
ソレイユは静かに五本の指を、竜人の首に突き刺していた。
爪先から血が見る見る吸い取られていき、竜人の一人がみるみるうちにミイラへと変わっていく。竜人の一人の処刑を終えた後、ソレイユは怒りに満ちた瞳で守衛達に告げた。
「おい。そっちのもう一人の竜人はお前らが処刑しろ。なるべく可能な限り残虐な方法でだ。今度はこちらが貢ぎ物を送ってやろう。我々、吸血鬼はいつまでもドラゴンの下に付いているわけではない事を存分に思い知らせてやろう。どちらがより優れた種族なのかを連中に教えなくてはな」
縛られた竜人は自分達は上から命じられただけで、棺桶の中身も知らなかったなど、命乞いの懇願をしていたがソレイユはまるで聞く耳を持つつもりは無かった。
守衛の一人がソレイユに処刑方法の提案を行う。
「では。こいつの鱗を一枚一枚剥いでいった後、皮も剥ぎ、翼、四肢を切断し、彼らの吐く炎と同じような高温の焔で全身を焼き、トカゲの丸焼きを送り付けるというのはいかがでしょうか?」
守衛はサディスティックな笑いを浮かべていた。
「そうだな。それにするか。だが処刑は最低三日は掛けろ。なるべく苦しませて殺せ。いいな?」
ソレイユは怒り狂った表情で、ミイラ化した竜人の死体を蹴り飛ばす。
メリシアと、人間の少年の執事の二人は、完全に怯え切った顔をしているのだった。
†
そうして、ドラゴンと吸血鬼の戦争は、水面下で静かに幕を開けた。
そのきっかけを作ったのは、他でも無いイリシュという少女なのだが。彼女がその事実を知るのはもう少し後になる……………………。
「ベドラム様に相談して本当に良かったです……」
王都ジャベリンにある喫茶店で、ダーシャとお茶を飲みながら善良を絵に描いたようなシスターは安堵の溜め息を漏らしていた。
「そうだな。発覚して、お前が処罰される事は無くなるだろうからな」
エルフのダーシャは何処吹く風といった顔をしていた。
長閑な午後だった。
穏やかな時間が過ぎていた。
「なあ。イリシュ。この王都ジャベリンって、ドラゴン達と同盟を結んでいる人間の国なんだよなあ」
「はい」
イリシュは長閑に日差しが当たる昼の森を眺めていた。
「で、さあ。イリシュ。お前が助けたい男がいる歓楽都市マスカレイドって。吸血鬼と裏取引をしている人間のマフィア共に支配されている国だろ? 実質的な同盟国というか」
ダーシャは頬杖を突きながら、店の中をぼうっと眺めていた。
イリシュはこのエルフの青年が何を言っているのか、しばらくの間、よく分からなかった。理解するのに、たっぷり十五分程度の時間を有した。
「仮に。仮に、ですけど。ドラゴンと吸血鬼が戦争を始めたら。もしかして、それぞれ同盟を結んでいる、ジャベリンとマスカレイドが“代理戦争”に駆り出されるとかって状況になります?」
イリシュがカタカタと、お茶の入ったカップの取っ手を揺らしていた。
普通に考えて、人間達が鉄砲玉にされる可能性も充分に高い。
「なあ。イリシュ。本当に俺達はベドラムに相談して良かったのか? ってか、俺はお前に付き添った形でしかないんだけどな。ベドラムは確かにお前やロゼッタ王女の頼もしい味方かもしれない。エルフ達にも良くしてくれる。だが、ベドラムは……竜の魔王は、本当に“誰にも平等に義理立て”してくれるのか?」
ダーシャは強い懐疑心を持ち始めているみたいだった。
「そもそも。ジャベリンは当初、ベドラムの軍団によって沢山の死者が出たんだろう? 経緯は色々あったみたいだが。ジャベリンは、実質的にドラゴン種族が住まう空中要塞の“属国”という見方が出来ないか? 俺のエルフの里と同じように」
「な、な、何をおっしゃっているのか、わかりません」
「いや。これは最悪の事態の想定なんだが。ネガティブに考え過ぎかもしれないが」
ダーシャは飲み物に映る自らの顔を眺めていた。
「ドラゴンと吸血鬼の戦争が始まったら。俺らエルフや、お前らジャベリンの人間が戦争に駆り出されないか? で、戦う相手はマスカレイドの兵士達になるかも…………。あ、いや、そんな顔するな、そんな最悪な事態は訪れないって思いたいが」
イリシュは背筋に冷や汗をかき始めていた。
ベドラムがこれまで、ただの一度として平和的交渉を行った事があったか?
これまで竜の王は王都の騎士達を燃やし、エルフの里ではリベルタスを倒す名目とはいえ、森を焼野原にして地形まで変えた。
「お前が責任を取って火刑にされる覚悟で、ロゼッタ王女と騎士団長ヴァルドガルト殿に先に相談するべきだったんじゃないか?」
ダーシャは気だるそうに欠伸をする。
まるで他人事のような口調だった。
イリシュはお茶の入ったカップを取り落としていた。カップが割れる音が店の中に響き渡る。店員が急いで駆け寄って、割れたカップの掃除を始めた。カップ代は後で請求される事になるだろう。
「か、考えないように…………。深く……深く、考えないようにしましょう…………。わ、わ、私は、私は、ベドラム様を、ベドラム様を信用していて、ベドラム様も、任せておけっておっしゃっていましたから…………」
イリシュは顔面蒼白だった。
「杞憂だといいんだけどな。まあ話を聞く限り吸血鬼の王は、遅かれ早かれ、ドラゴン達や他の魔族達と対立したがっていたみたいだから、俺らが責任を感じる事じゃないと思うんだけどな。少なくとも、俺はどうだっていい」
ダーシャは茶を飲み干す。
「なあ。イリシュ。お前は人を動かすのは上手いのだと思う」
ダーシャはイリシュの話を聞いて、イリシュの事を見てきたつもりだ。
だからこそ、言わなければならなかった…………。
「お前自身が気付いているかは知らんがな。ロゼッタ王女も魔王ベドラムも、同性であるお前をいたく気に入っている。きっとお前は行く旅先々で気に入られてきたのだと思う、お前は容姿も美しい女だ。きっと、お前を気に入ったから俺もリザリーも里まで案内したのかもしれん。マスカレイドの王子様もお前を気に入り、お前の幼馴染もお前を幸せにする為に一人英雄を目指していたんだろう?」
イリシュは頷く。
「俺のお前に対する印象を一言で言うと」
ダーシャは真顔でイリシュを見つめる。
イリシュは美少女だった。
か弱く、色白い肌をして、何処か人を狂わせる魅力を持っている。
少なくとも、ダーシャはそう思っていた。
「イリシュ。お前は『傾国の美女』だ。魔性の女だ。お前の魅力のせいで一体、何人の者達が犠牲になったんだろうな。そしてこれからも犠牲者は増えるだろうな」
ダーシャは淡々とシニカルな口調で告げながら、お茶をもう一杯注文した。
イリシュは、ガクガクと、両脚が震え出していた。
これまでイリシュがやってきた事は。
幼馴染エートルとの恋愛関係でエートルが自主訓練なるものを行った結果、魔王ジュスティスに目を付けられ、幼馴染が殺された。
死んだ幼馴染と面影を重ねた王子の為に、王子の恋人の女の呪いを解く手段を探す目的でエルフの里に来て、結果、魔王リベルタスの怒りを買い、魔王がエルフの大虐殺を行った。
今回は王子オリヴィを助ける為に、吸血鬼の青年に教会の最重要機密を吸血鬼の王に売り渡してしまった。
結果、ダーシャの悪い予想によれば、牽制し合っていた吸血鬼とドラゴンの戦争が起ころうとしている。
王都ジャベリン。
歓楽都市マスカレイド。
エルフの里、エレスブルク。
ドラゴンの真紅の空中要塞。
四つの国を結果として、イリシュは苦しめてないか…………?
ソレイユの野望を横に置くとして、イモータリスの国民の事を考えればイモータリスまで含めると五つの国になるかもしれない…………。
「い、いや、やめて! ちょ、ちょっと待って!? わ、私、悪女なの!? あ、悪女、悪女度合いで言えば、わ、わ、わ、私よりも、マスカレイドの裏社会に喧嘩売ったロゼッタ様とか、世界征服とかやろうとしているベドラム様とか、率先して好戦的じゃないですか!?」
イリシュは裏返った声で頭を抱え始めた。
「いや、人間の王女様も竜の女王様も、お前より、もっと分別あると思うぞ…………」
ダーシャは苦々しく言う。
「俺、一応。エルフの中では若者だけど、百年以上生きて世界を俯瞰しているから分かるよ。イリシュ。お前はしばらく、何か大きな選択に迫られた時、自分で行動しようとするな。抱え込むな、まずは俺でいい。相談しろ。でないと、お前は今後……」
‐お前は今後、生きている限り、周りの人間を不幸にして死に至らしめ。国レベルで多くの人間に災厄をもたらす兆しを見せている。‐
ダーシャは思っている言葉を飲み込んだ。
イリシュが泣いてテーブルに突っ伏していたからだ。
「とにかく、自害だけはするなよ。お前は周りの人間に好かれている。戦力としても、優秀な回復魔法の使い手として必要な人材だ。あまり思い詰めるな、俺の言った事はあくまで結果論でしかないのだから」
ダーシャは言いながら、自分も眼の前の少女に破滅させられるかもしれないかな、と思った。リザリーとは物心付いた頃からの付き合いだった。リザリーと二人で話し合った。イリシュという少女は本当に不思議な魅力がある、と。
「ううっ…………。私、生きててごめんなさい。ごめんなさいぃぃぃ」
イリシュはずっと顔を抑えて泣き崩れていた。
「言うな………………」
ダーシャは眼の前の少女が改めて、まだ二十も生きていない事を想い出す。