吸血鬼の街。不滅の街、イモータリス 3
『王都の教会』
それはエルフのダーシャには内緒で行われた密会だった。
真夜中の王都ジャベリンの教会。
神聖な光を象った十字架の紋章が掲げられている。
この日は守衛がいない日だった。
「オリヴィさんを助けたいんです……。その為なら、私は何でもします……」
結局、彼の恋人であるアリジャに掛けられた呪いを解く事が出来なかった。だがアリジャの心臓は動いている。同時に彼女の胸元に突き刺さった刃は未だ引き抜く事が出来ない。心臓と融合した剣は今もなお、アリジャの生命を脅かしている。
「オリヴィさんは元気なままのアリジャさんと再会したい筈です。その為なら、私、どんな事だってします!」
イリシュのそんな表情を見て、ゾートルートは純粋な娘だなと思った。
だからこそ、騙しやすい。
「本当にどんな事だってするんですか? 昨日の“貴方からの提案”は嘘では無いと」
ゾートルートは含むように彼女に訊ねた。
「ええ。誓って、嘘では無いです」
イリシュは笑った。
「じゃあ、貴方の提案通り、これからこの教会の書庫へと案内してください」
吸血鬼の青年の瞳には、少しだけ狡猾さを秘めたものが映っていた。
青年はあくまで“イリシュの提案”である事を、強調して確認するように言っていた。
「本来、吸血鬼は教会へと入る事が出来ません。それどころか、この時間帯は普通の人間でさえも。でも教会関係者なら入る事が出来ます」
吸血鬼が人間の教会に入る為には、幾度かの条件があった。
教会関係者の了承を得る事。
特に教会の前で、教会で教会関係者が吸血鬼に対して“宣誓”する事など、そのような条件があった。そういう防御魔法が教会という場所には施されていた。
ゾートルートは自らの君主との取り引きを行う為に、イリシュに教会の魔法防御を突破する為の“宣誓の言葉”を口にさせる事まで成功した。
「分かりました。教会の鍵は持っています。私が入ったらゾートさんも入ってくださいね」
「ええ」
イリシュは教会の入り口の鍵を開けて中へと入る。
門全体が光った後、何事かも無かったように扉は開いた。
すると、扉が一瞬、光り輝く。
教会の中は真っ暗闇だった。
この時間帯は神父も修道女長も守衛もいない。完全に静まり返っている。
イリシュは忍ばせていたランプに明かりを灯す。
「何故、守衛がいないんです?」
ゾートルートは訊ねた。
「必要が無いからです。教会の鍵を持たない、教会関係者で無い人物は、この時間帯には入る事が出来ません。そのような“障壁魔法”が施されているんです。逆に、障壁魔法を突破出来る者なら、王都にいる守衛程度では教会は守れないだろうと神父様から聞かされております……」
イリシュは溜め息を付く。
倫理の魔王の顔がちらつく。
彼は教会にも潜伏していた時期があるらしい。
強大な敵の前では、そこら辺の守衛などただの人間同然でしかない。
「教会関係者は全員、鍵を持っているのか?」
ゾートルートは訊ねる。
「いえ。私の地位は特別に修道女長の次くらいに高いんです。何故なら私はロゼッタ王女の側近としての地位がありますから。ですから、この鍵は教会の一部の者だけが所有しています」
イリシュはそう言いながら、書庫へと続く地下の階段へと向かった。
地下は長い螺旋階段になっていた。
吸血鬼の青年は年若い修道女の後に続く。
イリシュは別の鍵を使い書庫の鍵を開く。
「俺のボスが欲しがっているのは、光魔法に関する書物。太陽の魔法に関する書物です。人間の教会はそれを保管している。吸血鬼達は教会に入る事が出来ない。とても助かります」
書庫はそれなりに広かった。
イリシュは更に三番目の鍵を取り出して、書庫の中の小さな部屋の鍵を開ける。
すると、中には教会の中で更に重要機密事項と思われる書物が置かれている本棚が並んでいた。
イリシュは書架から、言われた通りに光魔法、太陽の魔法に関する書物を広げていく。全部で20巻以上はある。それらは世界各国の教会全体と情報が共有されており、厳重に保管されている資料だ。
ゾートルートは懐から複製魔法の巻物を取り出す。
そして何も無い虚空から、白紙の紙束を取り出していく。
巻物を使い、一冊、一冊、イリシュから渡された書物のコピーを行っていく。白紙の紙束に文字が浮き上がっていく。
たっぷり三時間程度掛けて、全ての書物が複製された。
イリシュは椅子に座って、うつらうつらと眠りこけていた。
もうすぐ、夜明けだ。
人間の世界の光は、吸血鬼の肌を焼く。
「終わりました、イリシュさん」
そう言うと、吸血鬼の青年は複製した紙を次々と“何も無い空間”へと入れていく。彼は亜空間にモノを収納する事が出来る魔法を使えるか、その魔法の巻物を持っているのだろう。
イリシュは椅子から立ち上がり、急いで光魔法、太陽の魔法の書物を元あった棚へと戻していく。
「吸血鬼さんは、人間世界の光を苦手とされているのですよね? 日が明ける前に早く戻りましょう」
イリシュはそう告げて、重要機密の書物が入った部屋の扉を閉める。
ゾートルートは何かを考えているみたいだった。
ふと、彼はイリシュの顔を見ずに、まるで何処か自問自答するように彼女に訊ねる。
「イリシュさんは。俺を疑わないんですか? もしかすると俺が貴女に対して大きな裏切り行為を働くかもしれないというのに」
彼はイリシュの顔を正面から見れずにいるみたいだった。
「貴方はマスカレイドを離れた海で、魔王ジュスティスと共に戦いました。私の幼馴染であり、婚約者であったエートルを殺害した宿敵の男です。共に戦った仲間が私を裏切るという発想は私の頭の中にはありません」
イリシュはただ、そう告げた。
「そうですか。………………………。では早く行きましょう。ヴァンパイアは人間世界の光に物凄く弱いですから」
ゾートルートは淡々と告げた。
そう言えば、マスカレイドでは夜に彼と出会い。海上で朝日を迎えた時、彼は光に肌を焼かれないように幻影のドラゴンが生み出す防御魔法に守られていた事を想い出す。
その後、二人は無言で教会の外に出た。
二人が教会に侵入したという痕跡を、イリシュは可能な限り消した………………。