歓楽都市マスカレイド 逃走経路。
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「それにしても面白い。あの小娘達に逃げられましたか」
ジュスティスは、くっくっ、と嘲り笑いを隠し切れないみたいだった。
「無能な者に雇われるのは、魔王としての矜持が崩れるものでしょう。どうです? ヒルフェ。この僕と同盟を結んでみては?」
倫理の魔王は、薄ら笑いを浮かべながら本当に楽しそうな顔をしていた。
おそらく、邪悪なアイデアを思い付いたといった顔なのだろう。
「心配いらん。私はビジネスを第一に考えている」
ヒルフェは無表情だった。
きっと、自らの雇われ主が手酷い傷を負い、不名誉な事になったとしても何とも思っていないのだろう。ヒルフェには彼自身の目的があるように見えた。
「あの王女。ロゼッタは私と戦った時よりも力を付けていた。ああ、どうでしょう。こんなにも楽しい事があるなんて、人間ごときに魔王と呼ばれる我々が遅れを取るなど」
「血の復讐をさせて貰う。雇われ主から刺客を差し向けるように言われている」
ヒルフェは闇の中へと消えた。
一人残ったジュスティスはあらゆる魔法のスクロールを手にしながら、計画を練っていた。
†
オリヴィとアリジャはお互いに顔を見合わせる。
そして、互いに抱き締め合った。
「生きていてくれて本当に良かった」
「こちらこそよ、オリヴィ…………」
二人共、泣いていた。
ロゼッタとイリシュは、そんな二人の光景を見ながら微笑ましい顔をしていた。
「さてと。夜明け前には、此処が襲撃されると思うから。私達は逃げる準備を整えないと。マスカレイドから、ジャベリンへ向かう船の次の出航日は?」
「五日後だよ…………」
オリヴィは困った顔をする。
「じゃあ五日間、潜伏しないといけないのね。もしかして、船は密航、という事になるのかしら? 正規で行ければそれでいいのだけど」
少し傍若無人な表情で、反省が無さそうなままロゼッタは悩んでいるような態度を取る。
「そうだね。船のチケットには名簿がある。ロゼッタ王女、アリジャ。君達は思いっきり指名手配されていると思うよ。マスカレイドにおいて、シンチェーロと繋がりが無い場所なんて無いからね」
「やはりそうなると密航ね。あるいは、マスカレイドの大陸から別の国に向かうのは?」
「別の国に行くには身分証の提示が必要だし、密航となるとリスクしか無いよ。やった事がやった事だけに、最悪、船内で処刑。君の魔法は、幻覚を生むものでも、透明人間になるものじゃないだろう?」
「正確には私の魔法は幻覚じゃないし、実体化させたり、召喚させたりしているんだけど…………。まあいいや」
ロゼッタは大きく溜め息を吐いた。
「ねえ。また、私、何かやっちゃった?」
ロゼッタは今更になって、少し困った顔を始める。
「いや、最高だ。跪いて礼を言いたいくらいだよ」
オリヴィはそう言いながら、涙で腫れた眼をこすっていた。
「それにしても、あのハゲ親父。そんなに偉い人間だったわけね。腹立つし顔も発言も気持ち悪いから、鈍器で思いっきりぶん殴っちゃった」
正確には左ストレートで顔面を殴り付けていたのも見ていたアリジャは、あえて黙る事にした。
「……やっぱり、ロゼッタ様って常識がちょっと無いですよね…………。その、庶民の感覚とズレているというか」
「私は厳しく、お母様の雇ったメイド達から礼節をしつけられました……」
アリジャがぼそりと言う。
イリシュは思わず、吹き出す。
「でも、お話を聞く限り、やっぱりロゼッタ様、格好いいです。ジュスティスの実験場を探索した時も、迷わず行動してましたし」
「そう。ありがとう。でもまあ、ひとまず…………」
ロゼッタはベッドに座って、考え込む。
駆け引きは苦手だ。
シンチェーロとヒルフェを敵に回した事は言った。
だが、もう一つ。
「その魔王ジュスティスだけど。ブラック・マーケットで会ったわ。話を聞く限り、別にハゲ親父のマフィアの味方ってわけでも無さそうだけど。好奇心や私達への悪意で、介入してくるかも」
ジュスティスの名前を聞いて、イリシュの表情が変わるのが分かった。
「奴が、此処に来ているのですね……っ!」
「そうね。その件に関しては、奴の方も戸惑っていた。元から私達に先回りして動いたつもりでは無かったみたいだけど。でも、奴の性格なら…………」
ロゼッタはそう言い掛けて、窓がこんこんと叩かれる音がする。
全員、戦闘態勢に入った。
ロゼッタとオリヴィは前衛。
アリジャも魔法のスクロールを構えていた。
イリシュは三名が負傷した時の事を考える為に、なるべく背後に引く。
「おいおい。ちょっと、待って。味方だ、味方」
少し気弱な声が聞こえる。
「本当に味方なの? 味方かどうかは私が決める」
ロゼッタは攻撃魔法の準備を行ったまま、窓の鍵を開いた。
ヒルフェの追手と判明したら、即座に水の刃で迎撃するつもりでいた。
出てきたのは、吸血鬼の青年だった。
少し苦労人そうな顔をしながら、部屋の中へと入る。
「俺はベドラム様の使いの者だよ。ロゼッタ王女様、あのお方の命令であんたらを助けるように言われてる」
ロゼッタは攻撃魔法の手を止めなかった。
「ベドラムの使いであるという証明は?」
「あー、ほんと、話が通じねぇーなー。聞いた通りだぜ。俺の名はザートルートって言う。…………、あ、此処が分かったのは、俺は吸血鬼だから、以前、王宮で採取したイリシュさんの血で匂いの痕跡を辿ってきた。…………、おい、イリシュお嬢ちゃん、ちょっとドン引きした顔しないでくれよ…………。単なる吸血鬼の能力の一つなんだから」
イリシュは明らかに引いた顔をしていた。
「まあいいわ。貴方の事は信じる。それで、私達の状況、何処まで分かる?」
「何も分からねぇーよ。教えてくれ、魔王ヒルフェに力を借りに行くんだろう?」
「その魔王ヒルフェを敵に回した。ちなみにこの国の裏の王であるシン……、名前なんだったっけ? まあ、マフィアのボスのハゲ頭も敵に回した。それで正直、私達かなり詰んでいる」
ザートルートは当然のごとく、ドン引きしていた。
「あんた…………。ベドラム様並に傲岸不遜だな」
吸血鬼の青年は、言っている事の意味を理解して呆然とした顔になっていた。
「王女として、箱入り娘で甘やかされて育ったからね」
ロゼッタは少し不貞腐れていた。
「でも。大体、あんたらがやらかすだろうからって、お考えで、ベドラム様は俺を使わせたんだぜ。ちなみにドラゴンに乗ってやってきた。幻影の魔法を使えるドラゴンだよ。此処から逃げ出すなら、船より早い筈だぜ」
「そう。ありがとう。じゃあ、さっそく四人で逃げないと」
オリヴィはロゼッタの肩に手を置く。
「何? オリヴィ?」
「……敵がやってきている。最低三、四名。…………悪いと、十名以上に囲まれているな。窓の外は不審な気配でいっぱいだ……」
「どうするの?」
「俺が囮になる。そう言えば、俺の魔法を教えていなかったな。海上じゃ使えないけど、この場所なら存分に使える。俺が攪乱しておくから、三人で逃げてくれ」
オリヴィは少し冷や汗を流しながらも、確固たる自信に満ちた表情をしていた。
「オリヴィはどうするの?」
アリジャが訊ねる。
「最悪の場合、俺を置いて先に行ってくれ。場所はジャベリンなんだろ。そこで合流しよう」
マスカレイドの王子は、迷いも無くそう答えた。