九章 汚辱を凌遅の如く刻み付け
勝利から十年の間、彼が行ってきた事を語るだけなら、殺人と言う行為に尽きるだろう。
魔王を殺さなければ、自分と言う存在が持ちうるリスクによって、外殻天体を消失させると語った魔王。
どう言う代物なのかを彼は正式には把握はしていないが、少なくとも人類が絶滅するような代物である事ぐらいは理解出来てしまえる。
ありとあらゆる意味で時間が足りない。
あの言葉の意味を模索した所で解決までの手は存在しない。
土壇場で魔王に打ち込んだ命の頸木は、彼が行えた唯一の抵抗でもあった。少なくとも自分と魔王に対する相似関係を作る事には成功した。
だが出来たのはそれだけであり、魔王に対して干渉は不可能であった。
簡単に言えば出力足りない。彼と魔王は相似とは言ったが、あくまで概念的な物であり繋がりはあるが、所詮は繋がりしかない。
この無駄な抵抗に近い行為は、本来であるなら自殺よりも厄介な副作用を要するものになる。
なぜならこの本質は呪いであり、呪いには常に返されると言う危険性を伴う行為だ。
魔王の魂の総量は、彼が持ちうる総量では断絶に近い差がある。人に呪っていたのなら、ただ返されて呪いに彼は殺されていただろう。
だが魔王には自意識と言う物は存在しない。
本質的には植物のような代物でしかないのである。だからこそ彼は楔による反動を受けずに済んでいるが、それでも弊害と言う物は当然存在する。
呪いと言うのは常に代償を用意するが、その際に自身を代償にするような行為を行えば、当然それに伴う問題は発生する。
彼の思考は魔王寄りに変化していった。
そもそもが感情と体がイコールで結ばれる類の人種である彼が、十年以上もバレないで殺人を繰り返す事など出来る訳がない。
その根幹はこれが原因とも言える。緩やかにではあるが、彼は人を殺す事を資源回収の一種だと認知する様にすらなっていた。
心臓を動かす事に疑問を抱く者がいないのと同じ程度には、彼は殺人と言う行為を当たり前に捉えられるようになっていた。
だが呪いなんてものはそんな代物だ。
認知が歪み、彼と言う人間が歪んでいく中で、人を騙し切れた理屈はこんな代物でしかない。
しかしながらそれを自覚しながらも彼は、魔王の理屈を利用した。
魔王の言うところの生物資源、彼の部族で言うところの継承行為だが、下手に共通の理屈があるせいで彼は受け入れる事が出来てしまった。
彼の妻は変化自体には気付いてはいたが、ここまで歪な物である等と理解が出来る訳もない。
そもそも息子が魔物に殺されたりと、ある意味で何かしらの心境の変化が起きない状況でないのも、彼と言う変化に対して納得してしまう理屈が出来ていたのも問題ではあった。
察してしまうだけの内容は出来ていたのだ。それに対して深入りする事が出来ないような物だったからこそ、ここまでの変化であると知れなかったのも問題の一つだろう。
だがそれに気づけてしまったときは全てが始まりに終わり果てる代物であったのだ。
そもそも魔王の存在を説明した所で、誰も納得してもらえるわけがない。
この大陸は外殻天体であり、魔王は何かしらの理由で大陸を消し去る事が出来ると言って、はいそうですかと言ってもらえるとは誰も思わない。
そもそも何のためにそんな物を作る必要があって、今更魔王が命を回収し始めたのかなど、人に対して納得してもらえる理由がない。
まだ魔王に影響されて気が狂ったと言われた方が、まだ周りには納得してもらえることだろう。
どう考えようとも妄言妄想の類でしかないのだ。
なにより彼はこの自分の変化を利用しようと考えた。
本来の自分が出来るはずのない行為を、魔王による影響で変化した自身を利用しようと考えた。
なぜならば効率よく命を回収する方法がそれしか思いつかなかったから。
その内容こそが、枯死太歳に至る呪い起点であり、吉祥母子と呼ばれる彼が人類に吐き出す呪いの根幹であり汚辱の行為。
子を喰らいながら子を生み出す呪いの正式な名前だ。
本来は食人による命の継承を行っていた部族の神話にまつわる代物ではあるが、これが最も効率よく人類を殺しながら資源を回収するすべであったから、彼はこれを選択できてしまった。
そしてその呪いに必要な存在が、妻であり子供である。
だが彼は自身の変質を利用してもなお決断までに時間をかける。
それを簡単に割り切れるような男は、そもそも妻子など作る訳もないのだが、だがそれでも葛藤は想像を絶するものではあった。
英雄としての役割を果たし、次の魔王征伐までの戦力を拡充するための教導を行いながら、機械的に変質していく自分と本来の気質が上塗りする境目は、心の衰弱だけでなく後戻りを自分にさせない為の呪いへの決断である。
その日の始まりは、最悪とも言える状況であった。
金月鉄三期、日付で言うのならそう語られる日。天候は二日前から続く雨が嘘のような雲一つない快晴ではあったが、湿度が高く蒸し暑く感じる昼食時の事。
彼に子供がまた一人産まれた。そもそもの話として十八男二十一女と言う四十人近い子供がいる中で、何の感慨も抱けなくなるような数ではあるが、妻の陣痛が始まったのが明け方で男にはどうしようもない時間が続いた。
赤ん坊の泣き声が響くころ出産が終わったのを彼は理解するが、その七時間ほどの間を彼はやすりで身を削るような感化にとらわれ続けていた。
確かに彼はその精神性が変質してきてはいるが、本質はどこまでも情動の人だ。
感情を抑える事が出来た所で変わりはしない。
最もこれから行う事を並べ立てても、彼に感情があろうがなかろうが同情には値しない。
論理的に正しかろうが、理屈の上では完全な正解を選ぼうが、それを認めてくれるような行為では断じてない。
だがそれは正しい行為ではあった。選択肢の中では彼が選びうる中では最善と言っていい。
しかし当の本人すらも納得など出来る内容では、断じてないような代物であるのだ。
だがこれこそが呪いの起点である。
呪いの本質はどこまでだって、人を貶めるための代物なのだから、真っ当な方法で成就などが行われるわけがない。
その手段を使用するのなら、その方法を絶対の理屈とするのなら、自身に起こる代価は呪いと等価かそれ以上の代償を受ける事でしか成立はしない。
呪いはそんな代物で、本質こそが卑怯者の愚かさの象徴でしかないのだ。
この世には安易な方法はいくらでも存在するが、水の流れのように生きては人はどうあがこうと堕落する。
怠惰の代償は、未来に払わされるのが必定だ。
呪いもそれと変わりはしない。安易にその方法を選択したのであれば、一人で成し遂げようと考えた果てがそれであるのなら、その代価は常に自分の背中を突き刺してくる。
そうなった時に、初めて人は後悔と言う言葉を経験といて得るのだ。
だが呪いはそれよりも陰湿だ。必ず対象と自身の破滅を用意しているような代物で、どうしようもなくなったものがすがる最後の手段でしかない。
だからこそ下劣な手法を使うのだ。
忌避され、拒絶され、それでもどうしようもない者がすが最後の手。
その始まりは子供を取り上げた産婆から始まる。
産湯に付けられた赤子を取り上げて、男に可愛い女の子ですと言いながら彼に見せてくる。
それと共に剣は産婆を切り刻んだ。
器用に子供だけを避けながら、切り刻まれた産婆は肉の形を残さずに血煙となった姿を消した。
地面に叩きつけられる事も無く子供を抱きかかえながら、起きた事象を受け入れる事も出来ず夫の凶行に、愕然としてこれより後も生涯後悔する事となる隙を彼に与えてしまう。
彼女はとても優秀であり、本来であるなら魔王征伐における特記戦力の一人である。
だがその夫は単身における魔王討滅者である。
そんな存在が彼女の一手を与えるような甘さがある筈がない。後悔も絶望もあっても、決断によってその男はすべてを蔑ろにできる。
そういう人間だからこそ、良心の呵責を乗り越えてしまえる。
どれほど手に抱えた娘を愛らしいと思っても、大切だと思っていても、この男は犠牲に出来てしまう人間なのだ。
彼女の四肢切り取り喉に刃を尽きてる。
「許される事などは無いのは知っている。君がここでこちらを恨み続ける事を理解しているが、最悪を選ぶ事にしてしまった」
罵倒など聞いている暇はない。これより先にはもっと自分は愚劣を極めるのだ。
その手段はもう手に入ってしまった。呪いの手法は顔を縦に裂いて開いた花の様だった。
「こちらは今から、どのような手段を使っても魔王を殺す。それ以外の方法を諦めるしかなくなった」
喋りながらもまるで彼女を解体でもするように、顎の骨を外し物理的に口が開いたままの状態にしていく。ミノムシのようになった彼女は身を捩ろうとしても、身体的能力では彼に勝てる訳がなく、魔法の発生起点である喉壊されれば、ただ無力な存在となるしかなかった。
ただ彼が行う事に対する恐怖が心を縛る。
正直に言って彼と言う夫は、嫌いではないが愛を感じる対象ではなく尊敬できる人物でしかなかった。
魔王征伐における一線を支え続ける傑物から、魔王殺しの英雄へと変わった人。
だがそれでも、分かりやすい人ではあったのだ。
感情と行動が一致している馬鹿と言えばそうかもしれないと思う人、愛らしいと言えなくもないがその性格を好ましいと思うと同時に、鬱陶しいともう事も有った。
だがその姿は無い。
その目には本来は情があった。彼なりに自分に対する感情が、だが今その目には何もともすことは無くなっている。
彼女は彼自身に起きた事など理解はしていないが、魔王征伐後の彼は緩やかにこの状態に変わっていったのだ。
その結果に気付く事も無くには、彼女の状況を考えれば、出産を優先していた事を咎める事は出来ない。
しかしなぜ気付けなかったと後悔するしかない。
子供を優しく抱きかかえて、泣き疲れたのか寝る子供を優しくなでる。
その姿と自分に行う行為の差に吐き気を催すが、そんな彼女に謝罪するように彼はこれからの説明をする。
「君はきっと私が魔王になにか影響を受けたと思うかもしれない。それはある意味では正解だが、あれにそんな意志など存在しない。あれに意志などなく義務しか存在はしなかった。
だが一つあれに理解させられた。これは全滅戦争でしかなかった。これはどちらかが完全に存在を殺し切る戦いでしかなかったのだよ」
彼らが行った戦いは、これまでの勝利も全て延命行為でしかなかった。
それは間違いない事実だが、男は足りないと言う。薄氷の上に立つ事を知ってしまった男は、手段を選ぶ事をやめてしまっている。
「だが約束する。必ず魔王だけは殺してみせると契約する。これから行う代価の全てを無駄にしない事だけは、私の末路が約束を果たす。だが君たちはこれから、苦難と絶望が待っている。
それに絶望してくれ、後悔してくれ、この残骸を呪い続けてくれ」
そう言った後彼は自嘲する。
いやと、その言葉を自分で口にしながら、そもそも言うまでもない事だと、これからの事を考えればそうなって当然だと笑う。
吉祥母子と呼ばれる呪いは、言い方は悪いが子孫繁栄の祝福ともいえる代物だ。
だがそれは歪められた神話から派生するものでしかない。
これは彼が部族における八手支母の神話の一つであり、本来は大地における生と死の循環を象徴した話である。
自分の子供を喰らい、その倍の子供を産み命が大地に満ちていくと言う地母神の神話の再現こそが根幹なのだ。
ここまで語れば、彼が行う呪いの意味は理解できるだろう。
この呪いがどういう代物か、命と言う資源を大量に生み出す為の行為がどういう理屈の元に組み上げられた理屈か。
救世の嘘、堕胎の獄、老少の責も、結局は一つの呪いで起きるサイクルでしかない。
だがまだ彼女は呪いの起点になっていない。
その呪い起点はどこまでも呪いでしかないのなら、始まりはどこまでも絶望から死か始まらない。
いつだってその代価は大切であればあるほど効果がある。
ならばその呪いは何から始まるかが問題だ。
敢えてもう一度だけその神話を話す。
地母神は子供を産むための体力を得るために、自身の子供を一人喰らい代りの千の子供を産んだと言う。
ならば彼女に起こる事はもう理解できただろう。
男の手に抱かれた子供が何かなんてもう言う必要はない。
顎を外されて口が開いている理由だってもう言う必要はない。
身動きが取れず、暴れる事すらできない理由だっていう必要はない。
だが彼女だけは理解出来ていない。なぜならそんな神話を知る訳も無いからだ。
あくまで彼が産まれた部族にだけ伝わる神話であり、類似したものはあるがそれを知る者は数少ない。
だからこそ彼女は彼が行う行為に目を見開くしかなかった。声なき声を上げるしかなかった。
喉から引き千切れんばかりの声を上げるが、誰にも声は届かない。
彼女は絶望する。その目の前に起きた光景を嫌でも見せられるから、そしてそれ以上の地獄によって彼女は悲鳴を上げる。
泣き声が響く、絶望が響き渡る。眼下に起きた光景に彼女はそれしか出来ない。
一生涯張り付く絶望の光景に彼女は声を上げる事しか出来ない。
なぜなら抱きかかえた赤子の腕を引き千切る光景が彼女の前には存在したのだから。