一章 全滅
魔王討伐の報が全人類に伝わってから一週間の間で、再殺者を除くすべての人間が死んだと言う事実を知らされる。
その事実に最も絶望したのは当然のことだが指導者だ。
彼と言う英雄が生き残ったとはいえ、これからの戦いを受け継ぐ者達が根こそぎ死んだとなれば、十年後の恐怖は計り知れないだろう。
唯一の救いが彼の生存であった程度には、人類の保有戦力は絶望的であったのだ。
永遠に終わらない魔王との闘争を繰り広げている以上、指導者層がその程度の考えも浮かばない訳もなく。
だが次の戦いを思い浮かべて顔を真っ青にさせて内心では、なんぜ守り切れなかったと叫びたくなる感情を抑えるのに必死ではあった。
彼らとて魔王との戦いを経験している者達であり、彼以外の討滅者も少なからずいる為、その言葉を口にすることが出来ない事ぐらいは知っている。
十年前ですら六十億以上の魔物の軍勢を中央突破して無理矢理に魔王を再殺者が刈り取る事で勝利したが、それでも英雄とも言える勇士たちは三分の二が死に絶えた。
そもそも魔王征伐開始数と成功数を見れば、殆ど敗北しているのだから全滅はある意味ではよくある事だった。
だがそうも言えない事情もある。もう一度として負ける事が許されない状況に陥っただけの事である。
以前の戦いでは六十億と言ったが、今回の戦いに至って、十倍以上の魔物が現れているのだ。
こと末期の魔王征伐戦は質と数が、中期の頃とはもは別次元と言えるほどであり、その数的不利はもはや覆しがたい状況ですらある。
それを考えるならむしろ良く帰ってきたと言ってもいい筈であるが、実際は討滅当時三百名の生き残りがいたのだが、戦果としては間違いなく半分以上が生き残っていた。
再殺者が彼らの命を奪わなければ、まさに大勝利とすら言える戦果であった。
だが過去の戦いを知る者は、現実としてあり得る状況である為彼を責める事も出来ない。
なにより戦勝の喜びに水を差せるほど、彼らの勝利に余裕はないのだ。
次の戦いの為の発展を、勝ち続ける事でしか生存があり得ない世界で、戦いの意欲を圧し折るような行為が出来る訳がない。
なにより三度目の魔王討滅と言う人類最大の討滅記録を持つ英雄が生まれ事の方が、まだ人を魔王との戦いに放り込める分ましである。
死ぬまで死なない為に足掻くのは、生物が持つ当然の機構だ。
だから敢えて最悪を見せないで、人を死に投げ込む選択を取る事がこの時代の人類にとってはあまりにも自然な生存方法であっただけの事だ。
そこに善悪の理屈すら必要ない。それを言えるのは、安全圏で生きる事に困らないを他人事を言える人間だけだ。
生きるために必要な事をする。至極真っ当で、どこまでも冷酷無慈悲で妥当な生き物の理屈だ。
だがどれほど肯定した所で、だがどこまで言い繕っても身を削りながら行う足掻きでしかない。
血を流しながら輸血し続ける延命法の様な有様だ。
最もそれを終わらせる男の有様の方が、人類にとっては衝撃的なものであった。
再殺者は剣において名を馳せた人物であり、二度の戦いにおいて人類における剣の頂ともいえる人物だった。
この度の戦いにおいて、その半分が彼の剣の薫陶を受けており、中には後継者とされる人物さえいた。
単純に人類において最強の武力を誇る人間の有様こそが、その凱旋において最も強烈な光景を見せつけてしまったのだ。
老いたとは言え、今もなお現役の勇士達を超える実力を誇り、ただの一振りにて数千万の魔物を切り捨てるような存在でありこの世界に残った希望ともいえる存在か彼であったのだ。
しかしそこに現れたのは末路と言うしかない。
希望であった剣の担い手は、既に両腕が存在せず火傷に寄って両目の視力は奪われていた。
両足はついてはいるが、まるで歩くのに必要な力以外は存在すらなくなっていた。
二か月間の戦いの後に、ぼさぼさに伸びた髪が彼の顔を隠していたが、風に靡いた瞬間に現れる絶望に彼らは勝利の歓喜よりも、魔王の恐怖を思いださずにはいられない。
悲鳴の様な声が絶望によって世界に掠れて零れる。
偉大なる英雄ですらこの有様の戦い。これが魔王との戦いであると人類に突きつけられた生存への絶望の証明行為であった。
最もその両手は後継者の最後の抵抗によって切り落とされ、その目はその妻によって与えられたものであり、魔王との戦いで傷を負ったわけではない。
「存外、息子もそのつがいもよくやる」
もしかすると次はどうになかったかもしれないとも、再殺者は考えたがどうせ次の次では詰むのだから変わりはない。
そのあたりの事を気にしても、何も変わりはしない。
一人殺そうが、二人殺そうが、五人の子供を殺し、三人の孫を殺しておいても変わりはしない。
老いた妄執は、人を単位としてしか数える事が出来ない。
それはある意味では神の視点のようなものだ。命を平等にみる人間の最も相応しい在り方だ。
それは同時に命に価値を持たない事の最大表現である。
しかし彼はそこまで下劣ではない。命に価値を持つ、命にきちんと意味を持つ、資源を無駄遣いするほどの余裕は彼には一切ない。
ここから先に目的以外の意味で彼が無駄を行う事は無い。
この凱旋こそが、後の世で救世の嘘とされる惨劇の始まりなのだ。
人類の心をへし折り、地の底まで貶める代物は、まさに舗装された路面の様に彼らを底に誘う。
その道を作りながらも、彼はどこぞの笛吹きの様に先頭でその道を行く。
そうやって人類の心を圧し折る事さえも、彼にとっては無駄ではない行為だからだ。
魔王殺しの為ならば、反抗の根を刈る必要がある。
この世界は五十七回も回天し続けて成り立った世界だ。
七百六十一回の戦いを超え、絶望に抗い続け骨身に抵抗を刻み付けた人類だ。
容易く彼の下劣を認める事など絶対にあり得る形ではない。
だからこそ最初の希望を断ったのだ。
次代の英雄を、いや英雄達を徹底的に厳選した挙句に刈り殺した。
ならば次に刈り取るのは決まっている。
この状況を作るのに彼は少なくとも十年以上の歳月をかけているのだ。
七百六十回目の魔王征伐以来、彼はこの機会を作り上げる為の策を怠りはしなかった。
しかしながら今その事実を知る人類はいない。
このために殺してきたものがある。それは別に次世代の英雄だけではない。
故郷の者、かつての戦友、産まれたばかりの娘に、その産婆、まだ指折りで数えれば足りないだけ犠牲の山が彼には既にある。
その残骸の上を歩く者は、再殺者としての義務を果すために、次の必要な犠牲を見えもしない眼で確かに捉えていた。
十年の安息、いや二十五年の安息を人類に与えた英雄は、その最後の義務を果すために凱旋を行った。
しかしこれは別の意味で人類に対して絶望を与えてはいたのだが、唯一の計算外はその彼の有様の所為だったが使えるならよかった程度の話だ。
そもそも彼は剣を振るうつもりはなかった。
それはすでに呪術への代償として奉じた。聖剣樹根と賞された偉大なる剣士は、そうやって使えるはずの機能を既に売り払った後である。
そこからまさか息子と嫁に抵抗されるとは思わなかったが、最低限の運動機能以外はすでに彼にはなかった。今更視界を奪われた所で、身体能力など赤子並みにしか持ち合わせてはいない。
彼の有様は魔王戦の苛烈さとは一切関係ない所で起きた代物ではある。
それでも民衆にとって魔王と言う絶望が、偉大なる英雄すらも限界まで追い詰めた事を教えていたのだ。
最後の生き残りであり、この時代の最高の英雄であった彼ですらこうなる戦い。
それがどれほどの衝撃だったか、頭を抱えていた指導者達ですら心が折れそうになる代物だ。
軒並み彼と轡を並べた戦友であり、誰よりも彼と言う存在を知っているからこその信頼もある。
その彼の有様がこれである。
再殺の言葉はこの世界では重い。魔王征伐とは、英雄が命を捨てて成し遂げるような代物であり、その戦いを乗り越えるにしろ、次と言う思考は浮かぶ事すらない。
全盛期の全てを削り取って初めて成し遂げられる代物が魔王征伐である。
だが再殺者は文字通り成し遂げている。この千年の時代を経ても、その初期にしか存在しない称号こそが再殺の重みでもあるのだ。
彼がいれば負けない。
そう思わせるだけの存在が再殺の文字には含まれている。
そして今もなお彼は負けてなどいないのだ。
だがそれでも人類未踏の三度の討滅と言う偉業を成し遂げた存在は、戦いの果ての残骸へとなり果てたと人類に告げていた。
希望と絶望には鮮度と落差が必要だ。
その二つが揃えばよくある事ですら心を救う事すら可能である。
だが逆も然りである。
希望を引き立てるには絶望が必要だ。
絶望を引き立てるには希望が必要不可欠だ。
その二つは何時だって対比するからこそ、人を救いもするし壊しもする。
だが希望は上を向けば果てがなく、絶望は底がない。
だからこそその二つは演出でいくらでも彩を増すのだ。
「よく、帰ってきた剣樹」
これは剣の系統は全て彼より芽吹くと言われた樹の称号。
生憎と彼の名前など歴史にすら残されていない。
そのような資格は無いのだから当然の末路だ。
しかし絶望があろうとも、彼と言う存在が生き残るだけで次代を人は期待できる。
魔王殺しの剣、聖剣の樹、剣樹根、その言葉の意味は途方もなく価値がある代物なのは間違いないのだ。
この戦いの残骸であったとしても、希望は彼のより芽吹くと信じられるのだ。
しかしこれは夢と希望の結末があったとしても、それを踏みにじる事から始まる。
「昇登剣か、生憎と目もやられてしまってな。この度の戦いは、十代の頃の戦いを思い出す勝利であったよ」
「構わん、勝利を引き連れて帰ってきたのだ」
殺したと思った息子と嫁に不意打ちでこうなったのだから、かつての甘さを思い出しての代物だが、この世界でそんな暴挙を行う人物だなんて彼は思われていない。
本来なら戦力外に成り得た年齢でもなお、前線の最高戦力であった存在であり、文字通り人類の守護者であった彼を疑うのは流石に発想がおかしな存在だけだ。
成し遂げた功績と、これからの行動があまりにも対局過ぎて、誰もその発想は出来なかった。
「だが、これで仕舞いだ」
この会話は生存圏全てに流されている。
これは勝利を告げ、次の戦いに備えるための始まりだ。
しかしそうはならない。
もう始まりの音は響いている。
父上なんでと、お父様なぜと、あなたは何を考えていると、そんな声はすでに響いている。
しかしもっと明確な音がここで響く。
昇登剣と彼に呼ばれた男は、指導者層の中でも最も彼に近い存在であり、なによりかつて故郷で幼い時分から友人であった。
共に魔王征伐で戦い抜いた英雄の一人である。
故郷を知る最後の一人、かつてを共に語れる数少ない生き残り幼馴染であった。
だがそれが救世の嘘と呼ばれる惨劇の引き金であった。
「なにをお前は」
撃鉄を弾くような音がした。
人類すべてが見た光景は、昇登剣の首を嚙み千切る英雄の姿。
「悪いがお前が生きていると、次に進めないから殺したのだ」
意味が分からな光景だ。
血を吹き出しながら倒れる英雄と、それを殺した英雄、何より彼らの友情など世界中が知っているような話だ。
だが殺した。
明確に彼が殺した。
意味不明な光景でしかない。世界が全て凍結したような状況であったが、それが彼の行動を止める手立てを失わせた。
ー 南大母より東方三廃主八手支母が創生を審神者たる大樹が言を以て布告する
それは、世界が絶望する始まりだ。
世界から忘れられた東方山岳部族に伝わる創生の神話。
彼の故郷のみの存在し、もう覚えている者はたった今彼が殺した。
だからこそその神話の形は歪められる。
英雄たちの命を供物にし、剣の樹を果てさせてまで再現させたかった地母神の権能。
大地を支え豊穣と安定を与える女神を捻じ曲げて世界に伝える代物。
誰も知らないからこそ捻じ曲げられた神話。
どこまでも慈愛だけで命を支えた地母神を凌辱するような行為。
本来なら落下する大地そこに住まう命の為に無数の手によって支えた存在だ。
彼は全てを歪めていく、そんな神話は無く、そんな女神は存在しない。
だがそれは世界に彼の声とともに伝えられる。
偽りだらけの辺境の創世神話は、でまかせだけで布教されるのだ。
よくある話だ。
事実と違う教えなど、世界中に伝わってそこからさらに捻じ曲げられる。
ー その手は支え全てを見守り、大地には豊穣と不毛を
それを都合よく使うのが人間なのだからこんなことはよく起きる。
だがこれから現れる光景はまさに地獄の窯があいたと表現されるだろう。
ー 審神者は告げる生贄は今を生きる人類であると
ー 審神者は廃主に捧げる供物に寄って太歳を人類に布告する
手があふれ出す、大地より湧き出る手が人類が生きる全ての場所に現れる。
黒く彼の様に塞がれた目の付いた手が、腐食を伴い世界中に現れていく。
ー 名を告げるそれは大樹を腐らせる呪詛である
ー 大樹の絶やす呪いである
これはまだ始まりでもない。
すでに人類の穀倉地帯を壊滅させていたとしても、まだ救世の嘘は始まったわけでもない。
まだ何も始まっていない。
まだ何かを起こしたわけでもない。
人の心を折るにはまだ足りない。
希望は見せたのだ、あとは底に落とすだけだ。
それが奈落すらも見えない底であったとしても、回天はなくただ落ちていく始まりでしかない。
ー 審神者は告げる。これは廃主八手支母が人類に与える千樹の枯渇であると
再殺者を中心にその手は溢れ出す。
本来命を救うその手は、これより全てを腐らせ豊穣を与える。
だがそれは救いではない。
次の始まりでしかない。
彼の目的である 枯死太歳 はまだ存在すらしていない。
そのためには絶望を積み上げなければならない。
そのためにはありとあらゆる尊厳を台無しにしなければならない。
だから無駄には出来ない。
何一つ余すことなく使い切らなければならない。
そうだとも命と言う資源は一つたりとも無駄にできないのだから。