十一章 何もできない卑怯者
大悲嘆時代の終わり告げるのは、ガラスの割れる音だったと言う。
だがそれは彼らを括りつけていた呪いの象徴に亀裂が入る音だった。
簡単に言うのなら、相応の資源が溜まったと言うのが理屈だ。
人の絶望を燃料にして運用する呪いは、簡単に言えばどこまでも相似性こそを必要とした。
人の営みと言う形を拡大解釈し、更に彼自身が行った起点こそを再現する。
この呪いは彼が妻と子供に行った所業の再現であり、そのためにこそ神話を大枠として使用した循環の呪い。
だがこれは別に魔王に対する呪いではない。
命と言う資源を回収する為に作られた理屈であり論理である。
魔王に対する総量を超える事こそが彼にとっては寛容であったのだ。あとは魔王と自身の相似性を利用しようとした。
だが、ある意味では彼にとって最大の誤算が発生する。
そもそもの話だ。
魔王が何のために人間を殺していたのかと言う真っ当な理由。
それもある意味では彼と同じ資源回収である。
相似性とは彼と魔王に成立する理屈であり、そのために行われた死滅の千年間。
天体復旧計画、結局のところ魔王とはこれであり、これでしかない。
ならば道理はどちらにも成立する。命と言う概念で縛られた相似性はどうあろう相互の影響が起きるのは、ある意味では必然である。
つまるところ彼は魔王の休眠期間に虐殺を行って命を蓄えただけだ。
なによりひどく悲しい話だが、どこまでその循環を彼が行ったとしても変わらない事実が一つある。
一千三百八十万九千六百八十三人の命程度では残念ながら魔王が持つ命の総量には足りはしない。
だがなぜ彼がこれを想定していたかなど、たわけた話だが理解できるものは納得するしかないだろう。
魔王が求めていたのがこの数だったからだ。
だから無意識に彼はこれを目標とした。
勝手に再現された呪いの象徴を魔王と言ったのは、魔王がその形を根幹としているから、どこまでも彼は魔王と同じものになり果てていた。
どれほどの意志力があろうと、億の総量を超える存在に彼が太刀打ち出来る者では無い。
あくまでも主はあちらにあり、従こそが彼である。
魔王を終わらせる事は出来るだろう。
なぜなら天体復旧計画とやらが解決したら魔王は確かに存在しなくなるのだ。
所詮魔王と言うのは、その程度の有様でしかない。
彼は決死の覚悟を称えながら、その呪いはここまで都合よく魔王の利点にしかなり得ない。
いつだってそんなものだ。
高尚な決意なんて、ただ高尚なだけで、一皮むけばこの程度。
この男は結局魔王に食いつぶされて端末に変わったと言っても何ら不思議ではない末路だ。
彼の決意なんてあったかどうかも分からない代物だ。
男が行ったのは人類の為と言って、人間を無残に拷問にかけながら殺していっただけ。
極論ですらなくそれしかしていないのが、この男の所業であり有様だ。
正しければいいのなら、人間が現実に存在する価値などどこにもない。間違いを行いながら生きていくから人間だ。
それでもこれは、間違いを重ね続けただけだった。
だが自覚はしないだろう。男は成し遂げたと思う。
ここまでの惨劇を作り上げて、ここまでの顛末を作り上げながら、彼に去来したのは満足感と言う最低な有様だった。
しかし純正枯渇呪 枯死太歳 とはよく言ったものだ。
はなからそんな呪いは存在すらしなかったのだ。
彼が行ったことは天体復旧計画の成立であり、この計画を完遂させることでしかない。
人の千年と言う流れから続く、命の総量を十年で賄えるなら大地は人で埋め尽くされている。
彼の埋め尽くす満足感は、いったいどう言う物であったのかを想像するならば、どういったものだったか理解できるだろう。
だが計画が成立し、魔王がそれを完遂したのなら、次に何が起こるだろうか?
彼もまた消え去るのかと言えば少しばかり違う。
魔王が消えて、残る者は彼だけだ。
素晴らしくも高潔な救済の末路は何かだ。
間違いなく、三樹の願いをもって救済の一手は成し遂げられた。
そこまで続いた十八万と言う年月と、六十八度の文明の崩壊を乗り越えて、かつての願いは成し遂げる事が出来た。
筈だった。
これは呪いだ。
どこまでも全てを破綻させる呪いだ。
その男はその為だけに全てを台無しにしたはずだ。
純正魔王枯渇呪 枯死太歳
そう楔を打っていたはずだ。
呪いは真っ当な代物ではない。
呪いは真っ当な事でもない。
呪いが何かを歪めない事などありはしない。
天体復旧計画の中で一つだけ、たった一つだけ例外的が存在する。
魔王の推定を上回る異物ともいうべき存在が、それは論理ではなく情念によって狂い果てた魔王に対する呪殺を願った怪物が存在する。
もし魔王に人の意識があればきっと彼は埋め尽くされて、何もする事は出来なかっただろう。
だが彼は愚劣を極めた。愚かの果てに堕ちきった。
その下限の果てはなく、それでもましな世界になると信じたからこそ、ありとあらゆる犠牲を吐き出すと感情を一つの事に機能するシステムのような物にしてしまった。
呪いとは情念の末路だ。
感情の極論の一つである。
男はその為だけの存在となる事でしか、自分を許す事が出来なかった存在だ。
確かに主は魔王側かもしれないが、それは彼らの関係でしかない。
呪いとは命の総量などと御託を述べるものではない。それは繋がってしまったのだ、自身を呪いと変える情念の怪物が、間違いなく魔王と繋がった事こそが問題なのだ。
後の世にも何度も現出する残骸の神と孤高の神が形作る理屈がある。
これは総量と質量の差である。
全ての物に優劣があるのは当然の話だ。
ならば命にだって優劣があるのは、残念ながら不思議な話ではない。
つまりはそれだけの事だ。
まして魔王は命の総量を利用して天体復旧をなそうとした。ならばそれは消費によって、ある個体が魔王の総量を超える事になる。
その男は一人で命を複数賄える存在だ。
総量を個人の質量を下回った時、その現象はようやく樹立する。
その救済は破綻する。
星と言う命は枯渇し、回帰を願ったかつての願いは破滅する。
男が魔王に刻んだ救済の願いは、呪いによって全てを終わらせていく。
世界の人々は気付けない。
ひび割れた呪いの終わり、それは男が天体復旧と言う今回を破壊した音だ。
魔王がくみ上げた命の権利は全て男に奪われた。
その瞬間に全ての計画は破綻したのだ。
魔王を殺すと誓った在外の行為は、人と言う営みが積み上げてきた命を全ての権限を彼に簒奪された。
一つだけ、たった一つだけ、どうあろうとも魔王を殺すと願った男は、土壇場で確かに魔王に勝利したともいえるだろう。
しかしながら、それが最悪の理由であったのも間違いではない。
命を資源とした天体復旧、それこそが魔王と言うシステムだ。
ならば天体は破綻してる状況ともいえるのが現状である。
だが男はどこまでもそうあると決めた呪いでしかない。
悲鳴を上げたのは救われた彼等ではなく、朽ち果てた残骸となった男。
確かに魔王と言うシステムは破壊された。
彼だけは自分が行う行為の全てを理解する。自分と言う人間の結果が、この星にとどめを刺す呪いに変わる事など、魔王を掌握してしまった男には、自分自身がどういう存在に成り果てたのかの理屈を理解するしかなくなる。
それは理屈の固着に近い。
彼は自身の全てをもって魔王を殺す呪いであると、自身をそう言うものであると作り上げた。
魔王とは星の延命を旨とした救済のシステムだ。
それを枯死させる呪い、魔王と言う樹を枯らす呪い。
だが男はその木を枯らす星の天敵へと成り果てるた
その名前をただ魔王を枯らす星への呪い。
魔王枯渇樹 枯死太歳
鏑音の朽木、枯れ木の名にふさわしき最悪の名前、これまで起きたすべての命を凌辱する彼の行動にふさわしい呪いである。
光の柱とも言える魔王を腐らせる用の黒い手は根となって、柱の機能を簒奪していく。
それは彼以外には気付かない事であり、彼以外には知られることのない。
男が犯した最悪の咎、星はその根幹を破壊されて、外殻だけを残す物質だけの天体と成り果てる。
それは星の資源の消失を意味していた。
星から生み出されるものは消え果て、生命の発露は消えて、星における生命の発展は終わる。
だが男は止められない。
自身がそうなるようにと願い、そうなってくれと手順を踏んで、生命の形をそう塗り替えてしまったのだ。
彼こそが呪いであり、彼自身が望んだ自身の執着であった。
こうなる為だけに、未だに存在している彼に食い尽くされた妻がいる。
その体の中でまだ生きている赤子がいる。
何度も何度も産み落とすだけ落として、殺させた赤子たちの残骸がある。
彼は命の残骸を積み上げて、魔王を殺す呪いであれと願った。
この呪いの有様は、容易く命を扱い続けた残額への咎だ。
命を資源として扱い、人類史上最悪の殺人鬼と成り果てた男の罪業全てである。
これは星を殺す呪いだ。
彼が望んだ救済の全てを汚辱に捨てる破綻の始まりだ。
男はそれでも、自分を止めようと願った。
しかしもう男は許されない。
当然だ許されるような事をしていないのだから、因果は応報されて然るべきだ。
誰とも知れないものが、なにもかもが終わった老人の顔を殴りつけた。
呪いの全てが終わった結果の末路は、彼が行った事によって証明されるのだ。
彼によって救われたすべてを認めてくれるものはいない。
行った事は何もかもが失敗だったのだ。
男の体は、拳が、口が、足が、何もかもを使って破壊していく。
彼に破壊され亡くなった文明が破綻した地で、許される原始的な暴力の全てを彼は受ける事になる。
魂の受け皿である肉体は、嚙み千切られ踏みつぶされ原型がなくなっても何度も何度も破壊される。
それはかつて自分が妻や娘に行った事が返されている。
だが男は絶望を許されなかった。
自身が呪いに成り果てる前に足掻く必要があったからだ。
しかしながらそれを成し遂げるようなことはない。
彼と魔王の類似は一つだけ、人類の存続こそを願った。
魔王を侵食し星の全てを呪殺する結論となった男は、自身に一つの楔を打った。この無様な状況を利用する手を、人類が自分を殺すその有様を利用した。
ぐちゃぐちゃになってもなお人の形を保つ残骸は、人類を脅かした時のままに声を張る。
「恨め、私を呪い続けるといい。それが私の原動となる。魔王は終わった、それは君たちにこそ保障しよう。この私が殺したと言い切ってもいいだろう」
それは彼が厚みが子供の小指程に薄さになっていた体から朗々と語られた。
ここまでしても生きていること自体が、恐怖となって呪いの恐怖によって人々は硬直するしかなった。
「だがこの程度では私は終わらないようだ。これは私の誤算であるが、まだ呪いは終わらない。私はどうやら続くようだ」
声を聞き届けるしかない。
人類はまたあの呪いに追い込まれる恐怖を忘れられない。
その事実を告げたとたん誰かが発狂したように彼を踏みつけた。
「だが心配はいらない。私は殺せる、君たちは私を殺せるのだ。この醜悪な呪いに身をやつした、人類の破綻者である私が、君たちに残せる言葉はこれぐらいだ。
私は人々に殺されてしまうような存在だ。だから私を呪え、君たちを追い詰めたこれしか思いつかなかった私を殺すのだ」
人の形などない。
死ぬ事すらないのではと思うほど、男の肉体は人の形すら保っていない。
「私ですら君たちを犠牲にして魔王を殺せたのだ。ならば人が私を殺せないはずがない」
はっきりと言おう。
彼はもう呪いと成り果てて星を凌辱している。
この天体の末路はもう決まっている。
だが男は叫ぶ、殺せると、私如きが人に殺せないわけがないと、
「私は殺せる。魔王の如く殺せてしまうのだ」
それこそが彼が自分自身に打ち込む楔となる呪いとなる。
星を殺す呪い、その呪いを終わらせる自信と言う魔王を殺す呪いがあるのだと、それこそが彼が唯一可能とした魔王と変わらない男を殺す術である。
「人を私を殺せ、魔王と変わらない卑怯者の私を殺すのだ」
男は人類の暴力によって確かに死んだ。
だがこれが自分にかけた呪いだ。星を殺す呪いを殺す為の呪い。
人は彼と言う呪いを殺せると言う楔を打った。
それこそが魔王枯渇樹と言う彼を終わらせる為の呪い。
枯死太歳と言う自身を終わらせる為だけに刻んだ呪いだ。
しかしそれはこの時代に成し遂げる事が出来るものではない。
これら先の先、彼と言う存在すら忘れ去られて、人が新たな星にたどり着く時代の話だ。
だがそれでも呪いは成ったのだ。