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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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囚われの身・六

 初めは、その熱心な視線を無視していた楊鷹(ようおう)であったが、だんだんとこそばゆくなってきた。


(どうして、そんなに見つめるんだ)


 一体、何が面白いというのだろう。さっぱり分からないが、とにかくやり難い。

 鏡面のような心水(しんすい)が、さざ波立つ。

 心の乱れは、動きにも表れる。やきもきするまま一歩踏み出せば、盛大に足音が鳴った。完全に集中力が途切れたことを悟り、楊鷹は動きを止めた。


「そんなに見て、俺の顔に何かついているのか?」


 楊鷹が尋ねれば、毛翠(もうすい)はさも嬉しそうに破顔した。


「いやいや、そうではない。そうではなくて、楊麗(ようれい)に似ていると思ったんだ」


 楊鷹の喉が詰まる。耳心地の悪い言葉だった。何故、毛翠は笑顔で母を語るのか。母のことなど、とっくの昔に捨てたはず。それなのに。

 一層、心がざわつく。

 楊鷹は「そうか」と一言答えると、できる限り毛翠から離れた。そうして、壁際に座りこんだのだが、毛翠はそんなつれない態度にもおかまいなしだ。彼は、はいはいで素早く楊鷹に近寄った。


「のう、楊鷹」


 呼びかけられても、答えない。しかしながら、赤子の口は止まらない。


月蓉(げつよう)との()()めは、彼女の父親に勉学を習ったから、らしいの?」


 楊鷹は顔をしかめた。その突拍子もない発言も当然ながら、何よりも心外な物言いが耳に引っかかった。


「……馴れ初め?」


 思わず、尋ね返す。月蓉とは、《《そのような》》関係ではない。


「ああ、いや、馴れ初め……というか、出会ったきっかけのことだ」


 毛翠は、ぎこちない口調で言い直すと、口早に先を続ける。


「なんでも、月蓉の父親は武挙を受けようとするお前の先生になってくれたというではないか。それで、月蓉の家に出入りするようになったんだってな」


 毛翠の言っていることは、間違っていない。


 楊鷹が十六歳の頃、円寧府(えんねいふ)に滞在していたときのこと。妓楼(ぎろう)の用心棒の仕事で、母が怪我をした。その出来事をきっかけに、楊鷹は身を立てる決意をした。暮らしが楽になるように、良い職を得て、流浪の生活から脱しようと思ったのだ。

 考えた末、楊鷹は武官になろうと思い立つ。とはいえ、役人の知り合いなど誰一人としておらず、口利きを頼めるような(つて)は一切ない。

 そこで、武官の登用試験である、武挙(ぶきょ)を受けることにした。武挙に受かれば、縁故を持たない者でも武官としての道が開かれる。

 ところが、流れ者の楊鷹は学がなかった。その具合といえば、字の読み書きすらまともにできなかったほど。そのため、まずは勉学を教えてくれる師を探したのだが、その異様な相貌と流れ者という身分が相まって、どこの誰に頼んでみても門前払い。

 そんなときに出会ったのが、都の外れに暮らす、一人の文人であった。彼は元官吏(かんり)で、官職を辞してからは詩や()を書きながら、時おり子供たちに勉強を教えていた。人が良いのか、はたまた変わり者なのか。何はともあれ、その文人は快く楊鷹の先生になってくれたのだった。

 そのような縁から、師の娘である月蓉とも懇意になった。月蓉は娘であったが、文字も書けたし史書にも詳しかった。ゆえに、時には彼女が楊鷹に手ほどきをすることもあった。

 師を得た楊鷹は、必死に勉学に励んだ。その結果、見事武挙に受かり、禁軍の武官になった。その節は、月蓉たち父娘(おやこ)もとても喜んでくれた。

 それから約一年後、楊鷹の師は突然命を落とした。どうやら、急な病だったらしい。

 ちょうどその頃、楊鷹の母も病にかかり、体の調子が芳しくなかった。武官として忙しく働くかたわら、病身の母を診るのは難しく、楊鷹は母の世話をいっそ人に任せようと考えていた。そのような事由もあり、楊鷹は父を亡くして困窮していた月蓉を、使用人として家へ招き入れたのだった。


 そう、毛翠の言っていることは、正しい。文句なく正しいのだが、楊鷹は腑に落ちない。


「その話、なんであんたが知っているんだ?」


 不機嫌な声音の楊鷹とは反対に、毛翠はにこにこと笑う。


「この間、お前が剣をとり返しに行っている間、月蓉から聞いたんだ」


 楊鷹のいないところで、毛翠と月蓉は何やら親し気に話をしていたようだ。そのことが、どういう訳か(しゃく)に障った楊鷹は、ふいとそっぽを向いた。

 労わるように、毛翠がぽんぽんと楊鷹の腕を叩く。


「お前、頑張ったんだな。初めは字すらまともに書けなかったのに、一発で武挙に合格したそうじゃないか。すごいな。随分と頑張って勉強したんだな」

「うるさい」


 まだまだ続きそうな毛翠の称賛を、楊鷹は遮った。まるで親が子を褒めているようなしゃべりは、聞きたくない。


「突然なんの話だ。今することか?」


 盛大に眉をひそめて、楊鷹はつっけんどんに言い放つ。すると毛翠は口を尖らせた。


「雑談くらい、良いではないか。こんな状況だ。何か話でもしていないと、ちと辛い。わし、こうして閉じこめられると、嫌なことを思い出してしまってだな」


 毛翠なりに、気を静めようとしているらしかった。

 しかし、楊鷹は気が乗らない。毛翠の話など聞きたくないし、己の話もしたくない。楊鷹は、できるかぎりお互いの事情には関わり合うようなことはしたくないのだ。しかし。


「のうのう、よいではないか。少しでいい」


 毛翠が、ぐいぐいと楊鷹の袖を引く。楊鷹は、さっと腕を振って小さな手を引きはがす。けれど、赤子は逃がさない。今度は衣の裾を、むんずと掴む。

 ずっとこれが続くとなると、気が滅入りそうだ。楊鷹は、ちらりと周囲を見る。仕切りも何もない祠廟(しびょう)の中に、逃げ場所はない。

 楊鷹は、盛大にため息を吐くと、口を開いた。


「……少しだけだぞ」

「おう、少しで十分だ」

「質問は一つまでだ」


 それが、楊鷹にできる精一杯の譲歩であった。

 毛翠が「ふぁっ!」と甲高い声を上げる。


「本当に少しではないか!」

「少し、でいいんだろ」

「うー、むぅ、むむむ……」


 毛翠は視線を彷徨わせながら、唸る。

 聞くべきことを吟味しているのか、毛翠は唸るばかりでなかなか言葉を発さない。

 楊鷹は、冷たく言った。


「何も思いつかないなら、話すまでもなく終わりだな」

「いや、そんなことはない! 決めた、決めたぞ!」


 毛翠がぱっと片手を挙げて、緑の瞳を楊鷹に向けた。


「楊麗と月蓉と三人で都で暮らしていたときは、どんな生活だったんだ?」

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