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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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囚われの身・三

 ひょこひょこと片足を引きずるようにしながら、老人は歩く。そのすぐ後ろに、毛翠(もうすい)を抱いた楊鷹(ようおう)が続く。村人たちは、老人の隣に一人、残りは楊鷹の左右と後ろに陣取っている。誰も一言も発さない。ただ足音だけが、やけに重々しく響く。物々しい雰囲気を(かも)す集団は、まるで罪人を刑場まで護送しているようであった。

 楊鷹の右頬がうずく。過去のーーといってもまだ一月程度前のことであるがーー苦い記憶がよみがえる。こんな風に歩くのは、二度目だ。あの時も今も、これといって悪事を働いた覚えはない。


(どうして、このような扱いをされてばかりなんだろうな……)


 ふと、楊鷹の胸中に虚しさがよぎる。このような扱いをされるのも、己が人ならざる者だから、なのだろうか。

 流罪になった原因も、元をたどればりんの民らしからぬ外見と、人間とは思えぬ膂力(りょりょく)ゆえに、邪険にされていたことに辿りつく。枢密使(すうみつし)に邪魔者扱いされていたために、罪をでっち上げられて、排除された。

 北汀村(ほくていそん)の村人たちに疑われるのも、そうだ。よそ者であるという部分に加えて、奇異な見た目が拍車をかけてしまっているのだろう。第一、己が普通の人間であったなら、神仙に目をつけられることもなかった。


 どうしたって、普通の人間にはなりえない。

 毅然としていた心が揺らぐ。つい、うつむきそうになってしまった楊鷹であったが、どうにか堪える。

 旅立っていった、超慈(ちょうじ)月蓉(げつよう)の姿を思い返す。それから「頼ってほしい」という王嘉(おうか)の言葉も。己を助けてくれる人がいる。彼らの存在を忘れてはならない。

 楊鷹は老人の向こう、進む道の先を真っすぐ見つめた。


 そうして連れられてやって来たのは、北汀村の外れに建つ、古びた祠廟(しびょう)であった。土地の神を祀る場であろうが、しかしその役目はとうに失っているようだった。中に入ってみれば、神像も香炉(こうろ)供物(くもつ)もなく、がらんとしていた。壁や床は古ぼけて、白っぽく変色している。さらには、ところどころ穴が空いており、すきま風が入りこんでくる。風通しは良さそうだが、その割に埃っぽくかび臭い。


 空っぽの祭壇の前まで進むと、楊鷹は毛翠を降ろした。そこに、一人の村人が近づいた。楊鷹に跳びかかってきた、あの若者だ。


「その剣をよこせ」


 無愛想な声で言いながら、若者は手を突き出した。

 楊鷹は、腰に差した剣を帯から外し、手に取った。そのまま渡そうとしたところで、はたと動きが止まる。

 彼の言葉に従って剣を手放した方が、己は敵ではないという気持ちを示せる。しかし、一度剣を盗まれ、勝手に売り飛ばされた。そのことを考えると易々と渡してしまってよいものか。これが、単なる刀剣ならば、渡すことに迷いはない。だが、この剣は神仙が打ったかけがえのない一振り、仙器(せんき)である。神仙との戦いにおいて、この剣がなければ太刀打ちできない。

 楊鷹は若者を見た。若者は眉をひそめた。


「なんだ? 早くしろ」


 楊鷹が迷っていると、小さな手が、ぐいと剣を引っ張った。


「いや! やめ!」


 わざとらしいほど舌足らずな声が、木霊する。声の主は、毛翠である。


「やめ! やめ! だめ!」


 さらに叫びながら、毛翠は両手で剣をつかむ。彼は、赤子のふりをしながら、剣を取り上げられるのを阻もうとしているようだ。


「なんだ、うるさいぞ!」


 若者が、声を荒らげる。ぴたりと、毛翠は黙りこむ。

 一瞬間の沈黙。それは嵐の前の静けさだった。

 毛翠の顔が、ぐしゃりと歪む。直後、赤子は悲鳴を上げた。


「いやーあーっ!」


 悲鳴は、そのまま泣き声に変わった。


「泣いたって、だめだ」


 容赦なく若者が柄の先をにぎると、毛翠はがばりと剣にしがみつき、わんわんと鳴きわめく。

 若者がたじろいで手を離す。それでも、甲高い泣き声は止まらない。


「おい、うるさいぞ!」


 廟の扉が開き、他の村人たちの声が飛んでくる。

 すると、毛翠の泣き声はますます爆ぜた。楊鷹ですら、耳を塞ぎたい気分になってくる。

 すっかり困った様子で、若者はさんざん視線を泳がせた後、楊鷹を見た。


「こら、やめろ」


 楊鷹は毛翠を振り払おうと、ぐいと剣を引っ張る。しかしながら、赤子は頑なだ。まるでこれが己の命であるとでもいうように、しかと剣を握ったまま決して離れようとしない。

 毛翠は、なんとしてでも剣を守りたいらしい。

 楊鷹はため息をつくと、赤子の頭に触れる。親が子をなだめるように、優しい手付きで撫でる。ふさふさとした黒い髪に手を滑らせながら、以前よりもそれらしく撫でられるようになった、などと冷静に思う。

 しかし、そうやってなだめたところで、当然毛翠は泣き止まない。真に迫る泣き真似が続く。彼もまた、それらしく泣くのが上手くなっている。

 楊鷹は、もう一度息を吐いた。


「この剣のことを、おもちゃか何かと勘違いしているようで、随分と気に入っているんです」


 楊鷹は、しれっと嘘をついた。腹の奥が、きゅっと縮み上がる。さらりと言ってのけたものの、嘘をつくことには未だに慣れていなかった。

 

「もう良い。無理強むりじいするな」


 しわがれた声が聞こえた。見れば、開いた扉のそばに、顔役の老人が立っていた。

 若者はぶんぶんと首を左右に振り、老人と楊鷹とを何度も交互に見やる。それから、彼は舌打ちすると、逃げるような足取りで祠廟から出ていった。

 (きし)む音を立てながら、扉が閉まる。日の光が陰る。淡い闇の中、赤子の叫喚(きょうかん)は、天井をつんざくような激しさで荒れ狂う。

 その悲愴な泣き声を無視して、楊鷹はじっと扉の方を見つめ、様子を探った。一時、扉はがたがたと音を立てたものの、それ以降はすっかり静かになった。扉が開く気配はない。


「もう、止めていい」


 楊鷹が言えば、毛翠は面白いほどぴたりと泣き止んだ。

 楊鷹(ようおう)がそっと剣を引っ張れば、毛翠(もうすい)はいともあっさり手を離す。


「そうそう言いなりになると思うなよ」


 泣き顔から一転、眉を釣り上げた毛翠は、扉に向かって唾を吐く。先ほどまでの泣きっぷりはどこへやら、なんとも小癪(こしゃく)な態度である。もはや、瞳も潤んでいないようだった。その変わり身の早さに、楊鷹は呆れてしまう。


「おい、楊鷹。お前も、お前だ」


 毛翠が振り返り、楊鷹をねめあげた。すっかり乾いた緑の瞳には、くっきりと怒りがにじんでいる。


「言われるままに剣を渡そうとして。この馬鹿正直者め」


 小声ではあるものの、とげのある言いぐさだ。叱責というよりも誹謗(ひぼう)に近い。

 楊鷹は、かちんと来た。


「敵意が無いと示すなら、剣は渡したほうが良いだろう」

「また、売っ払われたらどうする? 仙器(せんき)がなければ話にならんというのに」

「そう思ったから、すぐには渡さなかっただろうが」


 楊鷹が言い返せば、毛翠は鼻の頭にしわを寄せた。


「わしが止めなかったら、渡していたんじゃないか?」


 楊鷹は、返す言葉を見失う。ただ苛立ちが募る。

 毛翠がこれ見よがしに、短い指を楊鷹に突きつけた。


「ほれみろ。村人たちに信頼してもらう、という話は分かった。だがな丸腰で……」

「あー、分かったよ。悪かったな」


 赤子の説教など聞きたくない。

 口先だけの雑な謝罪を言い捨てて、楊鷹は逃げるように扉の方に向かった。

 剣を帯にたばさんでから、扉に手をかける。軽く押してみるも、開かない。手のひらに伝わってくるのは、何かがつっかえている感覚。入るときに鍵はなかったはずなので、棒でも引っ掛けて塞いだのだろう。じっと耳を澄ましてみれば、かすかに足音が聞こえる。数は二人、だろうか。見張りもいるようだ。

 約束通り、楊鷹は囚われの身となった。だがしかし、手足は自由であるし、剣もある。

 楊鷹は、木製の扉の表面をそっとなでた。ざらりとした嫌な感触が、手のひらに広がる。そのままなぞってみれば、ところどころ樹皮が剥がれており、くぼんでいるのが分かる。ひどいところは、穴になっていた。かなり傷んでいる。厚みも、さほど厚くはない。これならば。


(いざというときは、壊して外に出られそうだな)


 とはいえ、その“いざというとき”はやって来てほしくなかった。自ら囚われたのだ。逃げる意思はない。故に、いざというときというのは、相当悪い状況に陥ったとき、であろう。


「まったく、逃げぬと言っておるのに、こうも暗いところに閉じ込めおって……」


 楊鷹の背後で、毛翠が随分と悔しそうにつぶやいた。ちらりと背後を一瞥してみれば、赤子が自身の親指の先を噛んでいた。

 この程度で泣き言とは、甘い。楊鷹は鼻で笑った。


「棒打ちがないだけ、まだましだろ」


 あらぬ罪により流罪になった楊鷹であったが、ただ流罪になったのではない。正確な罪状は、棒打ち三十回のうえ槍山島(そうざんとう)へ流罪、というものであった。その沙汰が言い渡されると早速、役人は楊鷹の背中を棒で打ちのめした。

 楊鷹は、傷の治りが人一倍早い。都を出発して三、四日経った頃には、棒打ちの傷はだいぶ癒えていた。そして、護送役人はそのことを盛大に気味悪がったのだが、それはさておき。

 傷の治りが早いといえど、痛みを感じないわけではない、親の仇とでもいわんばかりの勢いで、同じところを何度も打たれるのは、かなり辛い。最後の方は、感覚が麻痺して痛いのかどうか分からなくなっていた。


 そのような仕打ちを受けたのである。囚われの身となれど、身体を傷つけられていないのは幸いなのであった。


「お前は、流罪になったとき、棒で打たれたのか?」

「ああ、打たれたな」


 楊鷹はけろりと答える。その途端、ぼんやりとした霧のような虚しさが、胸中に立ちこめる。何が幸いなのだろうか。この状況が幸いと思えるだなんて、まったくもって良い身の上ではない。

 再度、楊鷹は鼻で笑った。今度のそれは、自嘲の笑いだった。


「楊鷹、お前……」


 同情するような、湿っぽい声で毛翠が言った。

 楊鷹は、かぶりを振った。


「とにかく、命も手足もあるんだから、どうだってできる」


 取り繕うように、楊鷹は言った。

 毛翠から憐みを向けられるのも、嫌だ。説教されるのも憐れまれるのも、たまったものではない。彼に親のような態度で接されると、ひどく心がざわついて、反吐(へど)が出る。

 楊鷹は、目を閉じた。

 しばらくの間、毛翠と二人きり。しかも、大して広くないうえに薄暗い場所で、だ。外には出られず、離れることも難しい。そう思うと、心底げんなりしてしまう。彼と二人きりだと、どうにも調子が狂う。

 ふいに、月蓉(げつよう)の声が聞きたくなった。彼女がいてくれたならば、ここまで気が滅入ることはなかったような気がする。だが、彼女はいない。ならば、あまりしゃべらず、関わらず。やはり、それが一番良い。

 しかし、こうなってしまっては、そういうわけにもいかないのだった。


 楊鷹は一度深呼吸をすると、ゆっくり目を開けた。そして、祭壇の前に引き返し、毛翠のそばに座りこむ。


「……なあ、少し聞きたいことがあるんだが」

「なんだ?」


 毛翠はきょとんとした様子で、ぱちぱちと瞬きをした。そのあどけない表情に、父の影はない。楊鷹は安堵しながら、話を続けた。


荘炎魏(そうえんぎ)慧牙(けいが)のことだ」

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