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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
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追いつめられたその先で・六

月蓉(げつよう)、なんだ?」

王嘉(おうか)さんのところまで、私が行きます」


 真剣な眼差しが、楊鷹(ようおう)を射る。

 しかし楊鷹は迷ってしまう。旅人、ましてや女性ともなれば、追い剥ぎや盗っ人といった輩の格好の獲物となる。遠く離れた沁富県(しんふけん)までの旅路は、決して楽なものではないだろう。それに、手当をしたと言っても、月蓉はけがをしたばかりではないか。


「そう言ってくれるのはありがたいが、危険だ。けがだって、まだ良くなってないだろう?」

「危険なのは承知のうえです。傷も大したことありません。痛みはだいぶ治まりましたし、大丈夫です」

「しかし……」


 楊鷹が渋っていると、月蓉はほんのりと眉を吊り上げた。彼女にしては珍しい、少し怒っているような表情である。


「私は一度、菁雲村(せいうんそん)から北汀村(ほくていそん)まで旅しています。道だって知っていますし、王嘉さんと面識があります」

「なんだ、それならその嬢ちゃんが適任じゃねぇか」

「そうだな」


 超慈(ちょうじ)だけでなく、毛翠(もうすい)までも口を揃える。

 それでも、楊鷹は決心がつかない。是とも否とも決めかねて、答えに窮する。

 すると、月蓉がきっぱりとした口調で言った。


「もう、自分を犠牲にするようなことは言いません。でも、私は楊兄さんの力になりたいんです」


 黒瑪瑙(くろめのう)の瞳は凛とした光をたたえ、揺るぎない。少し潤んでいるようにも見える。彼女の意志がひしひしと伝わってくる。

 楊鷹は、かすかに目を伏せた。

 王嘉を迎えに行く使者として、月蓉よりも適した人物はいない。彼女自身、行かせてくれと、そう言っている。

 理性ではそう分かっていても、どうにも情が邪魔をする。旅に危険はつきもの。月蓉を危険に晒したくはない。

 黙ってしまった楊鷹を見かねたのか、超慈が穏やかな口調で諭す。


「心配するな。俺だって一緒に行くんだ」

「お前は、月蓉に手を出すでないぞ」

「出さねぇよ」


 毛翠の忠告に対して、超慈はすかさず言い返す。それから、彼はため息混じりに言った。


「信じろ、大丈夫だ。だからさっさと決めろ。時間がないんだろ?」


 楊鷹は月蓉を見た。彼女の瞳は未だ凛々しい。

 こんなにも強い意志であるならば、それを尊重することも、情なのではないか。そも、人の助けを借りるしかない、という話であった。超慈の言うとおり、時間も惜しい。ためらっている場合ではない。


「……分かった」


 楊鷹は頷くと、表情を引き締めた。


「月蓉、王嘉殿のところまで行ってきてほしい。だが、十分に気をつけててくれ。くれぐれも、無理はするな」

「はい!」


 月蓉はぱっと破顔すると、威勢よく返事を返す。


「よし。そうと決まればさっさと発つぞ。準備するから、お前らも支度しろ」


 超慈は立ち上がると、颯爽と奥の間へ向かった。

 楊鷹は、卓に置いた荷を手早くほどき、中から母の位牌と耳飾りの包みを取り出す。それから、改めて荷物を詰める。この荷物は、もはや己のものではなくなった。


毛翠(もうすい)をこっちに」


 楊鷹(ようおう)が言えば、月蓉(げつよう)は抱いている赤子を差し出した。楊鷹は毛翠を片手で受け取ると、もう一方の手で卓上の荷物を取り上げて、月蓉に渡す。


「君が用意してくれた荷物は、このまま使ってくれ」

「はい。頂戴します」


 月蓉は、荷袋を両手でしかと受け取った。


「……王嘉(おうか)殿のこと、よろしく頼む。それで、もしも王嘉殿が神仙の話を信じなければ、蒼香山(そうきょうざん)にいる銭秀(せんしゅう)という男を頼ってくれ。彼は俺たちの事情を知っている男で、王嘉殿とも親しい」


 王嘉について心配があるとすれば、そこだった。おそらく、助けを求めれば王嘉は応じてくれるだろう。だが、彼は果たして神仙という存在を、すんなりと受け入れてくれるだろうか。怪訝に思われたとしても、文句は言えない。それだけ、怪しい話なのは確かだ。

 今更ながらに、詳しい話を秘したことが悔やまれる。だが、悔やんだところでどうしようもない。月蓉には負担をかけることになってしまうが、説得してもらうしかない。そして、その説得のためには、銭秀はなんともおあつらえ向きな人物だった。


「分かりました。蒼香山の銭秀さん、ですね」


 朗らかに月蓉が答えると、毛翠の黒い頭がぱっと跳ね上がる。丸々とした瞳があらわになり、楊鷹を見た。


「いっそあいつらにも来てもらったらどうだ? 動ける駒は多いほうがいいだろう? しかも、あいつらは神仙のことも知っているから、諸々説明する手間が省ける」

「……確かに、そうだな」


 口早にまくし立てられた提案を、楊鷹はするりと飲んだ。

 王嘉がいたとて、荘炎魏(そうえんぎ)たち神仙を打ち倒すのは、決して楽なことではないだろう。何か策を使うとしたら、一人二人ではできることは限られる。

 そう、一人二人では、できることは限られるのだ。そのことは、昨晩の開心林(かいしんりん)の惨状がまざまざと語っている。たった一人では、烈熾狼(れっしろう)の相手をするので精一杯。けが人を助けたり、火を消したり、ということまで手が回らなかった。人手があれば、救えた命はもっとあったに違いない。

 約束に反して、神仙たちが北汀村(ほくていそん)を襲撃する可能性も無きにしもあらず。そのようなことが起これば、王嘉だけでは人手不足だろう。

 楊鷹は月蓉を見た。すると、彼女はすぐさま意を汲んでくれた。


「銭秀さんにも、協力してもらうよう、頼んでみます」

「すまない月蓉。よろしく頼む」

「いえ、このくらいお安い御用です。むしろ、私はこのくらいのことしかできませんから。王嘉さんたちと一緒に、必ず期日までに帰ってきます」


 はつらつと笑いながら月蓉が答える。その笑顔が、とても頼もしい。楊鷹も、かすかに口の端を上げた。

 希望の光はつながれた。それだけでなく、少し大きくなったような気がする。

 そのとき、


「おい、楊鷹!」


 と、超慈(ちょうじ)が叫んだ。

 呼ばれたままに、楊鷹が振り向けば、途端超慈が白っぽい包みのようなものを投げつける。勢いよく飛んできた包みのようなものを、楊鷹はさっと腕を伸ばしてつかみ取った。

 手にしたものをよくよく見てみれば、それは包みではなく、白い短衣であった。


「これは……なんだ?」

「着物、だな……」


 紅葉(もみじ)に似た小さな手が、短衣の裾を引っ張った。

 楊鷹だって、着物であることは分かっている。分からないのは、何故、超慈は着物を放り投げたのかということだ。

 奥の間から、超慈が大股でやって来る。すかさず、楊鷹は尋ねた。


「この着物は、一体なんだ?」

 

 超慈は顎でしゃくって、楊鷹を示した。


「てめぇの着てるもん、汚れたままじゃねぇか。さっさと着替えろ」


 楊鷹は自身の体を見下ろした。上衣は昨夜から変わらぬまま、胸元と袖が黒く汚れていた。煤なのか血なのか、もうよく分からない。着替えねばと思えど、怒涛のごとく事件が続いたために、今の今まですっかり忘れていた。

 つまり、超慈は目敏く汚れたままの衣に気がついて、着替えを見繕ってくれた、というわけだ。それが、楊鷹の手中にやって来た短衣の答えである。

 そしておそらく、超慈のことだ。断ろうとしても、頑として聞かないのだろう。昨夜、開心林で食事をおごってくれた時のように。

 楊鷹は短衣を一瞥してから、超慈を見た。まるで心遣いとは縁遠そうな、強面の男が立っている。

 またもや、楊鷹は吹き出した。


「んだよ、また笑いやがって」

「すまない。いや、貴方は情に厚いというか、本当に優しいんだなと思って」

「うるせぇ! そんなんじゃねぇよ! 馬鹿言ってないで、さっさと行くぞ!」


 大声で言い捨てると、超慈はくるりと体を翻す。そして、荒々しい足音を響かせながら、家から出て行ってしまった。

 毛翠が、ため息混じりの笑いをこぼす。


「まったく、兄弟そろって素直でないな」

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