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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
90/131

追いつめられたその先で・四

 月蓉(げつよう)が眉を跳ね上げ、楊鷹(ようおう)を見る。


「そう、そうです。王嘉(おうか)さんです。確か、王嘉さんと手合わせをして決着がつかなかったと、円寧府(えんねいふ)にいた頃に話してくださいましたよね?」

「ああ。王嘉殿は弓だけでなく、刀や槍の腕も確かだ。武官だったころに何度か打ち合いをしたが、いつも互角の勝負だった」

「ならば、王嘉は決まりだな」


 毛翠(もうすい)が言った。だが、楊鷹は頷きも返事も返さなかった。

 荘炎魏(そうえんぎ)が相手でも、王嘉の加勢があれば、勝機を見いだせる。そう思いつつも、楊鷹は迷いを抱いた。


(神仙だのなんだといったこんな私情に、巻き込んでしまっていいのだろうか……)


 しかも、かなり危険なことと来ている。下手をすれば、命を落とす可能性もある。親しい相手だからこそ、心苦しい気持ちも募る。

 そのような迷いを別にしても、王嘉の助力を得るには壁があった。

 彼は沁富県(しんふけん)菁雲村(せいうんそん)にいる。ここ、北汀村(ほくていそん)から菁雲村までは、かなり距離がある。仮に呼びに行ったところで、果たして期日までにやって来られるのだろうか。

 じっと考え込む楊鷹の足を、毛翠が叩いた。


「おい、黙り込んでどうした?」

「楊兄さん、何か問題があるんですか?」


 月蓉も、楊鷹の顔を覗きこみながら尋ねる。

 楊鷹は王嘉の姿を思い出す。詳しい事情を話さなかったにも関わらず、菁雲村での別れ際、彼は優しく微笑みかけてくれた。


「何か困ったときは、遠慮せずに頼ってほしい」


 そう言ってくれた、あの時の王嘉の声が、耳のすぐ近くで聞こえたような気がした。まるで誘うような柔らかい響きが、胸の奥を震わせる。

 雲が流れたのだろうか、小さな窓から薄い陽の光がすっと差しこんできた。

 楊鷹は、月蓉に向き直って問いかけた。


「月蓉、君は菁雲村からここまで来たんだよな? どれくらいかかった?」


 思うところはいろいろあれど、王嘉の言葉に甘えるならば、間違いなく今はその時機だ。神仙と共に戦ってくれ、と助力を()う。それすなわち、彼の命を背負うこと。楊鷹は腹を(くく)った。

 月蓉が真剣な表情で、質問に答えた。


「馬車と徒歩で十日ほどかかりました」


 つまり、往復するとなると約二十日。それでは、いくら馬を飛ばしても、慧牙(けいが)の示した期日――次の新月の夜――には間に合わない。

 楊鷹は小さく舌打ちした。


「だめか」

「いえ、だめではありません」


 月蓉が、楊鷹の言葉を否定する。彼女は人差し指で地面をなぞると、さらに言った。


「川を下れば、間に合うかもしれません。媚水(びすい)盧胡(ろこ)から流れ出て、珝江(くこう)へと続きます。ですから媚水を下っていけば、珝江のほとりの朱柳県(しゅりゅうけん)まで、五日とかからないはずです」


 朱柳県は、沁富県(しんふけん)の隣に位置する。なれば、行きは船で川を下り、帰りは馬を飛ばして戻って来れば、ぎりぎり間に合うかもしれない。王嘉は騎乗も上手い。


「船はどうする」


 毛翠の問いに、楊鷹はすかさず答える。


「心当たりはある」

超慈(ちょうじ)さんですね」


 月蓉が言う。楊鷹は頷いた。

 頭の中に浮かぶ、丸まった寂しい男の背中。彼、超慈は船を持っている。もちろん、操舵(そうだ)もできる。


「王嘉殿に協力を仰ぐ。早速、超慈のところに行こう」


 楊鷹はそう言うと、かたわらに置いてあった荷を手にして立ち上がる。

 善は急げ。微かな希望だが、確かに見えた。ならば、今はこの小さな光を見失わないように動くしかない。



 楊鷹(ようおう)毛翠(もうすい)月蓉(げつよう)と共に李白蓮(りはくれん)の家を飛び出した。

 目指すは盧西村(ろせいそん)。もはや通い慣れたと言ってしまっても良い、川沿いの道を急ぐ。「早く早く」と急かすように、背後から風が吹きつけた。

 あくせくと足を動かしながら、楊鷹は思う。果たして、超慈(ちょうじ)は協力してくれるだろうか、と。

 鸕鷀(ろじ)を失った傷は、当然癒えていないだろう。憔悴(しょうすい)しきった人間が、遠くまで船を出してくれるだろうか。それに何より。


(鸕鷀が命を落とした原因は、俺たちだ……)


 開心林(かいしんりん)が襲われた元凶は楊鷹にある。楊鷹たちがやって来なければ、超慈は唯一の家族を失わずにすんだ。協力を求めるとなると、そのことを含めた事情の一切を、超慈に話さねばならない。

 断られても仕方がない。しかし、そうだとしても頼みこむしかない。彼自身の協力を得られないならば、顔馴染みの船頭なり漁師を紹介してもらう。とにもかくにも、どうにかして沁富県(しんふけん)までの道筋を得る。改めて、楊鷹は腹を(くく)った。


 超慈の家に着いた時、家主の姿は鸕鷀の墓の前から消えていた。しかし、墓ではまだ香の煙がくすぶっていた。その隣の鸕鷀小屋は、悲しいほどに空っぽだ。

 緊張を覚えながらも、楊鷹は超慈の家の戸を叩いた。


「超慈、いるか?」


 声をかけると、すぐさまがたがたと音がして戸が開く。


「おう、てめぇか」


 現れた超慈は、思ったよりもすっきりとした表情をしていた。目はまだ赤いが、あの痛々しいまでの悲壮感は消えていた。

 その代わりぶりに、楊鷹は面食らう。かえってどう声をかけたらいいか分からずにいると、超慈が言った。


「聞きたいことがあって、てめぇを訪ねようかと思ってたところなんだ。とりあえず入れ」

「……ああ、すまない」


 言われるままに楊鷹は家の中に入った。後に毛翠を抱いた月蓉が続く。

 相変わらず、室内は殺伐としていた。乱雑に重ねられた鍋と食器。黒く汚れた壁。かごの中のしなびた大根も変わらない。しかし、そのしわしわの切れっ端には、小刀が突き刺さっていた。


 小さな卓を囲むように一同が席に着くと、早速超慈が口を開いた


「昨日の、あのでかい燃えた犬みたいな奴だけどよ、あれについて何か知ってんだろ?」


 楊鷹は眉根を寄せた。彼の聞きたいことというのは、この質問がそうなのだろうか。そうだとしたら、そう問いかける意図が読めない。まさか、超慈にも神仙たちの息がかかっているのか。警戒しつつ、楊鷹は答える。


「……知っている。だが、それがどうした?」

「あいつらがなんなのか、教えろ」

「どうして知りたいんだ?」

(たい)たちの(かたき)を討つんだよ」


 そう言うと、超慈はきっとまなじりを吊り上げた。


「あんな無残になぶり殺されて、黙ってられるかってんだ。俺は絶対に(せん)(たい)を殺した奴を許さねぇ」


 楊鷹を見つめる瞳の底には、ふつふつと怒りが燃えていた。演技で作れる瞳の色とは思えない、生々しい怒りだ。おそらく、彼は慧牙(けいが)たちとは無関係だ。

 超慈が勢いよく卓を叩きつけた。


「うだうだ悲しんでても、もうあいつらは戻って来ねぇ。なら、少しでも無念を晴らしてぇんだよ。だから教えろ」


 強い口調で超慈が詰め寄る。朝方に見た、抜け殻のようになっていた男の影は、微塵もない。おそらくこの強い怒りが、超慈の悲しみを吹き飛ばし、生きる力となったのだろう。

 生気を取り戻したのは良かったが、怒りに任せて仇討(あだう)ちというのは、少々危険なように楊鷹は思う。しかもその仇は、人間をはるかに凌駕する神仙である。


(……だが、この様子ならば協力してもらえるかもしれない)


 彼の気持ちを、無碍(むげ)にしてはならない。楊鷹は超慈の瞳をまっすぐ見返す。炎々(えんえん)と燃える怒りは、事の元凶である己も受け止めなければならないものだ。

 楊鷹は努めて冷静な口調で言った。


「分かった。教える。だが、(たい)たちの仇討ちというならば、俺が果たす。そのために、協力してほしい」


 超慈が盛大に眉をひそめた。


「ああん? どういうことだ?」


 楊鷹は、包み隠さずに語った。あの炎の獣は神仙が術で作り出したものであること。その神仙は人知をはるかに超えた力を持っていること。そして、彼らが己を狙っていることに、北汀村(ほくていそん)の人々を人質にとられてしまったこと。そのため、助けを求めるために沁富県に行きたいこと。さらに、無実の罪で流刑になった話やら毛翠と自分は実は親子だとか、その辺りの身の上まで、洗いざらい話した。

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