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小仙奇譚  作者: 平井みね
第二章
87/131

追いつめられたその先で・一

 そうして、楊鷹(ようおう)月蓉(げつよう)を抱えて、来た道をさっさと引き返す。李白蓮(りはくれん)の家の門をくぐると、それまで大人しくしていた月蓉があくせくと口を開いた。


「もう、ここまでで大丈夫です! ありがとうございました!」

「こんなときまで、気遣わなくていい」


 楊鷹は、月蓉の申し出を聞かずに突き進む。

 けが人なのだから、家屋の中まで運ぶのが道理。こんな屋根のないところで、降ろせるものか。

 そう考える楊鷹であったが、しかし月蓉が忙しなく背中を叩くので、さすがに足を止めた。


「どうした?」

「本当に本当に、もう大丈夫です! 足はしっかりしてますから! 楊兄さんだって、ずっと抱えていたら重たくて疲れるでしょう」

「いや、大して重たくない」

「お、重たいですよ。私、そんな小柄でもないですし」

「そんなことはない。大丈夫だ」


 楊鷹は、月蓉を抱く手をぐっと引き寄せる。そうして、しかと抱きしめたのは、一切問題が無いことを月蓉に示すためであった。彼女に杞憂(きゆう)だと安堵してほしかったのだが、しかし当の月蓉は力なくうつむいてしまった。

 一体どうしたのかと、楊鷹は月蓉を見る。黒髪の合間から、真っ赤になった耳が覗く。熱でも出てきてしまったのだろうか。


「月蓉、大丈夫か?」


「あ、ええと」と、もごもごと何事かを口ごもった後、月蓉は答えた。


「あ、あまり大丈夫でないかもしれません。あの、本当に、降ろしてください。お、降ろしてくださらないと、余計に具合が悪くなってしまいます……」


 月蓉の声は、やたらと細い。

 抱えられていたら具合が悪くなるとは、これ如何に。しかし、声の弱々しさと言い、うなだれた様子といい、確かに具合が悪そうだ。

 具合が悪くなったならば、こちらとしても余計に離せない。だが、しかし。

 逡巡の後、楊鷹は月蓉を降ろした。彼女がしっかりと地に足をついたのを見て、おもむろに手を離す。


「歩けるか?」


 楊鷹が尋ねれば、月蓉は勢いよく頷いた。


「はい、歩けます。ありがとうございました」

「それじゃあ、傷の手当てを……」

「それは、一人でできます! ですから、楊兄さんは毛翠(もうすい)さんのところに早く戻ってあげてください!!」


 楊鷹を遮って月蓉は口早に言うと、そそくさと主屋めがけて駆けだした。彼女の姿が主屋の中に消えて、扉がばたりと閉まるのを、楊鷹は呆然と見送るしかなかった。

 具合が悪いのか、そうでないのか。正直、気がかりなところはあるが、走る足取りはしっかりしていた。とりあえず月蓉は大丈夫そうだと判断した楊鷹は、彼女の言葉に従い主屋の裏手へと向かった。足早に歩きながら、気持ちを切り替える。思い返すのは、慧牙(けいが)とのやり取り。強引に交わされた、無情な取り決め。疑心に満ちた村人たち。

 朝とはすっかり状況が変わってしまった。「関係のない人々をさらに巻き込むかもしれない」と言ったそばから、本当のことになってしまった。


 納屋の前まで来ると、楊鷹は足を止め、深々と呼吸をした。

 己に良策がないのなら、毛翠に聞いてみるしかない。赤子の姿をしていても、彼も神仙。敵の手の内について、何か知っているかもしれない。正味、彼を頼ってあれこれ話を聞くのは、気が引ける。知りたくもないことを――例えば赤子になった詳しい経緯だとか、家族を捨てて姿を消した理由だとか、そのような彼が抱える事情などを――知ることになるかもしれない。しかし、この状況、背に腹は代えられない。

 今一度深く吸った息を、ため息のように吐き出して、楊鷹は扉に手をかけた。そのとき、かすかな気配を感じた。楊鷹は下方に向かって声をかける。


「危ないから下がれ」

「お、おう」


 壁越しに毛翠(もうすい)の小さな声が聞こえた。外に出るつもりだったのか、扉のそばにいたようだ。

 そっと扉を開けて楊鷹(ようおう)が中に入ると、真下と行ってもいいほど近くに、小ぢんまりとした赤子の姿があった。彼は楊鷹を見ると、すぐさま口を開いた。


「おい、何があった。大声が聞こえたし、しかも神仙のにおいがしたぞ」


 こそこそとした早口な口調には、不安がにじむ。彼も、神仙がやって来たことに、気がついていたらしい。

 楊鷹は毛翠を抱きあげると、(たた)んだ寝床の上に降ろす。それから、自身もそのそばにどっかりと座り込んだ。

 毛翠が、楊鷹の膝をぺちぺちと叩く。


「おい、どうした。逃げるのではなかったのか」

「事情が変わった。逃げられなくなった」

「なぜだ?」


 毛翠があどけない声で問いかける。今朝方、楊鷹が開心林かいしんりんから戻ってきたときと同じような調子だ。くりくりとした(つぶ)らな瞳に小さな鼻。ふっくらとした頬、薄い唇、柔らかそうな白い肌に、小ぢんまりとした手足。どこを切り取っても、彼は赤子である。渦中にいながらも、何も知らない無垢(むく)な赤子。

 楊鷹は、かすかにいら立ちを覚えた。彼に話を聞いたところで、何も得られないような気がした。


「この村の人たちを人質にとられた」

「人質? どういうことだ?」


 楊鷹がぶっきらぼうに答えると、毛翠は目をぱちくりとさせた。幼い顔が、さらに幼く見える。

 楊鷹はそのあどけない顔貌(がんぼう)から視線をそらすと、先ほど起こった出来事を、慧牙(けいが)が突きつけた情もへったくれもない約束を手短に話した。


「……と、そういうわけで、俺が逃げたらこの北汀村(ほくていそん)の人たちが罪を負うことになるんだよ」

「ぬうぅ……」


 随分と苦しそうな声で、毛翠はうなる。楊鷹はちらと赤子を見た。彼は深々とうつむいていた。項垂(うなだ)れている、と言っても良いほどだ。沈んだ黒い頭は力なく、起き上がる気配もない。この様子、やはり彼には期待できそうになかった。


 毛翠は頼りにならない。そう判断した楊鷹は、再び彼から視線を外した。こうなったら、自分で考えるしかない。

 まず、今一度この状況を整理する。

 次の新月の日までに、己と毛翠が喬徳(きょうとく)の屋敷があった場所で待つ神仙たちのもとに行かなければ、北汀村の村人たちが罪人に仕立てあげられてしまう。

 己が逃げれば北汀村の人々が犠牲になる。しかし、真正面から神仙たちに挑んだとて、敵わないのは明白。荘炎魏(そうえんぎ)は強い。だからと言って、易々(やすやす)と自身の命を差し出す真似も、あり得ない。

 さらに問題はそれだけではない。北汀村の人々にも、注意を払わねばならない。佩玉(はいぎょく)という褒美をちらつかせられた彼らだが、果たして期日まで待ってくれるのか。


(さっきは引き下がったが、本当にこのまま大人しく待ってくれるか……)


 楊鷹は、浴びせられた怒号の数々を思い出す。

 佩玉をあきらめ、さっさとこちらをとっ捕まえて、神仙に差し出そうとする可能性も十分にある。

 猶予といえど、悠長にしている暇はない。一刻も早く、この混沌とした状況を打破する、確固たる手立てを示さねばならない。自身と村人たちが生き延びる方法を。

 とはいえ、である。結局、話は最初に戻る。神仙に挑んでも敵わない。ならば、どうすれば良いのか。


(考えろ、考えろ……)


 楊鷹は必死に思考を巡らせる。真っ向から挑んでも敵わないのであれば、裏をかく、奇襲をかける。正攻法をやっている場合ではない。だが、具体的にどうすれば良いのか、さっぱりである。動ける駒は己一人しかいないこの状況、圧倒的な力を持った神仙たちを相手に、どう立ち回れば良のだろう。


(分からなくても考えろ。どうにかするしかないんだ……)


 そう言い聞かせても、思考は空回るばかり。

 陰った太陽は未だ姿を現さず、納屋の中は変に薄暗い。冷めてしまった心の熱も、返ってこない。楊鷹は心細さを覚えた。


「おい楊鷹……」


 呟くように、毛翠が名を呼んだ。楊鷹はおもむろに彼を見た。

 呼んでおきながら、赤子は黙りこむ。彼の眉間にはしわが寄っていた。むずかるような表情で言い淀むことしばらく、毛翠はぎゅうっと唇を噛むと、叫ぶように言った。


「逃げよう!」

「は?」


 思いもよらない提案に、楊鷹は声をもらした。

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